SSENSE July 24, 2019
この記事は、「環境と共存するファッション」特集の一環として書かれたものです。
環境問題に関してゾーイ・シュランガー(Zoë Schlanger)のレポートが感じさせる切迫感にはいつも強い印象を受けてきたが、それに劣らず私の心を揺さぶるのは、自然界の神秘的な智慧に寄せる彼女の絶大な敬意だ。シダのゲノム配列が初めて解読されたときは – ちなみに、シダはヒトよりゲノムのサイズがはるかに大きい – 彼女はその微小な植物のタトゥーを左腕に入れた。ティク・ナット・ハン(Thich Nhat Hanh)なら「他者に対する深い気づきと理解から愛が生まれる」と言うところだろうが、確かにゾーイは、自然界の真実を見ているからこそ、自然界を愛することができる。今回のインタビューは、私たちの運命と他の生物との繋がりを理解する講座でもある。
受賞歴のある科学ジャーナリストとして、また、人間が地球の生態系や気候に大きな影響を及ぼすようになった「人新世」の美意識に精通したエキスパートとして、ゾーイは非常にユニークな立ち位置にある。まだ確立されていないもっとも不安定な分野で経歴を積む一方、気候変動という、もっとも深刻な世界的危機の最前線に立っている。環境破壊が一種の見えざる戦争であり、その前線で大きな災害や何百万もの一般市民の死傷が発生していると考えるなら、多くの場合、ゾーイの仕事は被害状況を調査し、白日の下にさらすことだ。取材するのは、種の絶滅であったり、企業による汚染が 原因の癌であったり、水資源の枯渇であったりする。彼女と話す機会があれば、単に彼女の仕事についてだけでなく、日々、取材という密接な作業を通じて一般人には理解不可能なほど大きな問題に直面するという体験について、ぜひ聞いてみたいと私は思っていた。環境の危機的な状況を憂慮するあまり、エコ不安神経症が発症することだってあるのだから。
ゾーイは、アウトドア ブランドとして定評のあるChacoのウェアとユーティリティ パンツで現れた。環境ジャーナリストの定番とも言うべきこのスタイルは、最近のトレンドでもある。SSENSEのエディトリアルとして執筆した 記事で、「エコ的ファッション」はノスタルジアとニヒリズムの境界線上にある一時的な流行に過ぎない、とゾーイは論じた。着る人は、嘘偽りなく、失われつつある地球への想いを切実に感じているのかもしれない。だが「エコ的ウェア」の製造そのものが、文字通り、環境を破壊しつつある。「確かにレトロだ」。ドライなユーモアを込めて、ゾーイは書いている。「それももっともだ。現実の世界では、野生はレトロなのだから」
サラ・レオナード(Sarah Leonard)
ゾーイ・シュランガー(Zoë Schlanger)
サラ・レオナード:あなたが書いた人新世のファッションに関するSSENSEのエディトリアル、すごく良かったわ。そこで、最近サステナビリティを口にし始めた業界について、あなたの考えを聞かせてほしいの。見せかけだけの欺瞞か、本当に生産的な取り組みか…どうやって見分けるのかしら?
ゾーイ・シュランガー:私たちが新しいものを製造し続ける限り、私たちが招いた状況に歯止めをかけて、逆の方向へ転換する、という主な目的と真っ向から対立するわ。今私が持っているものは、ほとんどが中古。実は私のパートナーはもっと徹底していて、基本的に我が家では新品はタブーになってるわ。
私が注目してるのは、すっかりファッションになったハイキングやキャンピング用のウェアの成り行きね。アウトドア用品は、決してファスト ファッションではないわ。1シーズンしか使えないようには作られていない。とても耐久性に優れているの。ハイキング ブーツを1足買うほうが、今後10年でKedsを40足買うより、はるかにいい。気がかりなのは、あらゆるトレンドと同じように、今のトレンドもどんどん変化して、それにつれて消費者の手持ちのウェアもどんどん入れ変わって、せっかく環境的に有効なアウトドア用品が用なしになることなの。まだeBayみたいなサイトで売るんだったら、使わなくなったものを活かしているって意味で、少しはマシだけど。
だけど何と言っても、現在の状況の大半は企業の責任だわ。だから、企業がよく考えて、思い切った運営方法に転換して、環境劣化の問題に対して有意義な対処を講じるのであれば、もちろん素晴らしいことよ。ただし、そのためには、非常に大規模な変革でなくちゃダメね。サステナビリティという言葉は何にでも使える。つまり、中身が全く空っぽな場合もありえる。だから、生産過程を根本的に見直しもせずに、炭素クレジットだけ買って排出量を相殺しておきながら、 サステナビリティを謳い文句にしている企業の取り組みには、私はとても懐疑的よ。私が訴えているのは、うわべだけの変化じゃないわ。これという数字の基準があるわけじゃないけど、企業が収益のかなりの部分を投じて取り組むのでなければ、おそらく不十分でしょうね。
数字の基準があるわけじゃないけど、企業が収益のかなりの部分を投じて取り組むのでなければ、おそらく不十分
あなたが去年の夏に完結させた、テキサス州とメキシコの国境地帯の水資源に注目したプロジェクトだけど、パート1からパート9まで、1年がかりで水資源の枯渇を取材した素晴らしいシリーズだったわ。最近は、終末論的なショック療法で気候変動に対する関心を喚起しようとする人が多いけど、あなたはそれとは逆のアプローチをとっている。長い時間と忍耐が必要な気候変動やサステナビリティについて語る一方で、すべてを火急の事態として感じているのは、どんな気持ち?
今は、もっと微妙な意味合いのある記事を書いて、「すべてが緊急事態」という視点を変えようとしてるところなの。そうしないと、私という人間が壊れかねないもの。毎日毎日、種の絶滅や気候変動に関するレポートを読みながら、同時に私は快適な生活を送っている。そういう大きな矛盾を意識するのは、イリヤ・カミンスキ(Ilya Kaminsky)が「We Lived Happily During the War – 戦争が続くあいだ、私たちは幸せに暮らした」で書いたこととすごく近いわ。何もかも狂ってるとわかっていながら、家へ帰って、パンを焼いて、映画へ行く…。
水資源のプロジェクトは、イェール大学が気候に関するアメリカ国内の認識をまとめた地図を見て、思いついたの。どの地域の住民が気候変動を唱える科学者の言葉を信じているか、生活が気候変動に影響を受けていると思うか…それを調査した結果で、地図が赤と青に色分けしてあったわ。テキサス州は赤い塊。ところが南へ下って国境地帯を見ると、青になっている区画が沢山ある。「一体どういうこと? これはリオグランデ川沿いじゃないの」って、びっくりしたわ。農民はもちろん、あの地域の住民にとって水不足は疑う余地のない明白な事実で、気候変動はごく当然の帰結だったわけ。あのプロジェクトで、気候変動をもっと身近に感じてもらえたと思う。事実、気候変動は紛れもなく身近な問題なんだから。
私は去年の10月テキサス州のオースティンにいて、気候変動が原因という洪水に遭遇したの。水処理工場の操業がストップして、先ず水を煮沸するように指示されて、次に、水の使用を控えるように勧告されたわ。ボトル入りの水は売り切れだし、車がないと、隣の郡まで出向いて水を買うことさえできない。あれほど環境に恐怖を感じたのは初めてだった。水が手に入るということは、生活のすごく重要な基盤なのに、手に入らないかもしれないという恐ろしい体験をするまで、当たり前のように思ってるのよね。
そういう意味で、人間は他の動物よりはるかに脆弱なのよね。人間が水なしで生きていられるのは3日程度だけど、犬は1週間くらい。人間はとてもデリケートな動物よ。ほとんどの人は、気候変動の問題はゆっくり忍び寄ってくると思っている。あなたの話は、そのことを教えてくれる好例ね。事実、水とか空気とか、私たちに欠かせないものの場合、環境はあっという間に変化することが多いのに。
私が取り上げているもうひとつのテーマは、水と空気の汚染や毒性なの。今は、あらゆる場所でこの問題が表面化してる。自治体は自分たちの水が安全ではないという報告を聞いて現実に目覚め始めてるけど、問題は多分10年も前から存在してたのよ。例のフリント市の水問題は、ほんの1例に過ぎないわ。私、水道水の煮沸消毒勧告とか、レジオネラ菌とか、最近ほぼあらゆる場所の上水道で検知されるようになった有機フッ素化合物(PFAS)とか、危険情報を受け取るようにGoogleアラートを設定してるの。それを見てると、たった一晩で問題が表出することだってあるし、人種や階級にも関係ない。上流階級のリゾートとして有名なマーサズ ヴィニヤードでさえ、今PFASの問題に直面してるんだから。
PFASの影響は十分に把握されてるの。癌発症率の増大から認識機能障害、もっとキワモノ系のイタリアでの調査によるとペニスのサイズの縮小まで、あらゆる健康被害を引き起こすようだわ。
ジョン・オリバー(John Oliver)とエドワード・スノーデン(Edward Snowden)のインタビューじゃないけど、環境に関して真剣な関心を呼び起こすには、ペニスを引き合いに出すのがいちばんの手段かもしれないわね。また、注目のレポートになるんじゃない?
編集者に伝えておくわ。
あなたは空恐ろしい情報を沢山知ってるのに、ほとんどの人にはそれが見えていない。まるでカサンドラ症候群みたいに、不安や抑鬱を感じることはある?
壁に頭を打ちつけてるような気がすることはあるわ。私自身そういう情報を発信してるのはわかってるけど、気候に関する新刊は読まないことも多いの。気分が悪くなるから。文字通り生命が存続するためには持続的な変革が必要だけど、同時に、問題に取り組もうとしない人たちの気持ちも、私にはよくわかる。実行に移さない理由のひとつは、私たちの理解を越える、はるかに大きな問題だからなの。そのことは、環境問題について書くライターにとっていちばん難しい点でもあるわ。でも、ジャーナリストの役割は変革を起こすことではなくて、人々に情報を説明すること、さまざまな報告をみんなが理解できるように伝えることだと、私は思ってる。そのことを忘れないようにすれば、絶望感がかなり和らぐわね。
紛れもなく身近な問題である気候変動を、もっと身近に感じてもらえたと思う
あなたのように環境危機を認識しているとエコ不安神経症になっても不思議はないけど、その点にはどう対処してる?
大きな問題に目を向けていると、つい最近まで、環境に役立つはずの小さなことを実行するのが難しかったの。例えば、リサイクリングとか…。かなり最近まで、私、リサイクリングをしてなかったのよ。そんなことをしたって、どうせニューヨーク市のリサイクリングの実態はいい加減なものだろうとか、ガラスでも何でもリサイクルする度に品質は劣化するし、プラスチックだって破砕や再処理で品質が低下するから、果たして排ガス抑制につながるかどうかわからない、と考えてた。
だけど、最近になって、そういう姿勢をきっぱり改めたの。精神にとっていちばん有害で、憂鬱を引き起こす要因は、何もかも知ってるくせに何もしないことだと思う。不健全な状態なのよ。少なくとも私は、本当に具合が悪くなる。些細なことを積み重ねても結果は出ないと思ってたし、今でもそう考えてる部分はあるけど…。でも、私はブルックリン植物園の近くに住んでるし、コンポストがそこで使われることを知ってからは、コンポストに協力し始めたわ。とにかくやればいいじゃないかって、考えるようになったの。そうすると、日常の行動への向き合い方が本当に変化したわ。
それは、すごくよくわかる。私自身、構造全体を分析してると、日常生活での選択は取るに足らないように思うことが少なくなかった。だけど、鍵はそこにあるのよね。人々が自然との繋がりを失っていることが、世界の変化に対する認識や理解が損なわれる理由のひとつだわ。繋がりには再生を促す力がある。
そう、「再生」という言葉がぴったりね。物理的に測定しえないレベル、魂のレベルで再生できるの。『Braiding Sweetgrass(邦訳:植物と叡智の守り人 – ネイティブアメリカンの植物学者が語る科学・癒し・伝承)』を読み終えたばかりなんだけど、あなたは読んだ?
いいえ。でも、ジェニー・オデル(Jenny Odell)の素晴らしい新著『How To Do Nothing』に、その本のことが書いてあったわ!
まあ、本当?! 著者のロビン・ウォール・キマラー(Robin Wall Kimmerer)は、アップステート ニューヨークに住んでる植物学者で、ネイティブアメリカンのポタワトミ族の出身なの。彼女の視点には、先住民族の智慧と科学が融合してる。植物に関する限り、基本的には、植物学という科学はまだ先住民族の智慧に追いつこうとしているところね。
本の中にイチゴに関する章があって、イチゴは人と動物に与えられた大地からの贈り物だと教えられて育ったと書いてある。そこから、贈り物に基づいた経済はどんなものになるだろう、贈り物を与えてくれる存在として世界をとらえれば、私たちはどんな行動をとるだろう、って進んでいくの。彼女が提示する枠組みは、国連が発表した新しい報告書と驚くほどぴったり一致してるわ。100万の種が絶滅の危機に直面している状況、資本主義が問題を作り出していること、農民に対する補助金制度は – 例えばハチのように – 無料で花粉を媒介してくれる生物の介在を考慮に含めていない点で財務上の計算がまったく間違っていること、補助金自体が、農民に与える利益より何兆ドルも多大なコストを地球に負わせていること…。
私たちの生活に存在しているあらゆるものは、自然のプロセスに関連している。特に、ほとんどは何らかの方法で植物に関連していることを考えれば、植物園のためのコンポストづくりにだって、繋がりを感じるわ。
ジェニー・オデルの本には、自然の中で精神的な健康が増進する感覚を説明した箇所があるの。特に、そこに生息している樹木や鳥類に親しみがある特定の場所。そして、環境保護が自分自身の保全に他ならないことを痛感する。自分が暮らしている地域で見かけるすべての鳥の名前を覚えるなんて、大多数の人は政治的に意味のある行動とは考えないだろうけど、実際には、そうやってオデルは、はるかに真摯に政治活動に取り組むようになった。地球上の存在が相互に繋がり合っていることを、オデルは心の底から感じてるのよ。
すごく共感する。実は今、植物の知性に関する調査プロジェクトに取りかかってるの。植物学者と植物の関係は、世間一般の人のそれとは根本的に違う。茂みの横を通り過ぎても、ほとんどの人は違いを見分けられないでしょ? それを植物学者は、色を見分けられないカラー ブラインドに倣って、プラント ブラインドだと言うの。動物なら、たとえ小さいものでも、マウスとかラットとか、ちゃんと区別できるのに、植物に関してはそういう認識が普及していない。ほとんどの場合、ただの「緑色のかたまり」ね。だけど植物学者は植物を主体としてとらえるし、植物には選択して、環境に適応して、生存を最適化するさまざまな能力があることを理解してる。つまり、私たちと同じ有機体として、植物を体験するの。
精神にとっていちばん有害で、憂鬱を引き起こす要因は、何もかも知ってるくせに何もしないこと
植物の知性って、例えばどういうもの?
すごく面白いのよ。私が左腕にシダのタトゥーを入れてるのは、たまたま去年、シダのゲノム配列が初めて解読されたからなの。シダのゲノムは人間のゲノムよりはるかに大きさが大きいから、それまで誰も解読できなかった。ともかく、最初にゲノム配列を解読されたのが、アゾラフィリクロイデスという学名の小さな小さなシダ。本当に世界一可愛らしい、親指の爪程度の大きさのシダなの。全体に緑色の鱗に覆われたような外見で、生息しているのは湖や池の浅い水面上の凍結部分。過去に地球に訪れた最後の暖候期の後は、北極圏全域にかけて大量に繁殖して、気候状況を変えるほど大量の二酸化炭素を吸収して、惑星の温度を下げる役割も担ったのよ。
そういうことで植物に興味を持って、植物学者の話を聞くようになって、ここ15年くらいの間に行なわれた植物の知性に関するプロジェクトを研究してるところ。「行動」とか「選択」とか、私たちが当たり前のように使っている言葉の一般的な定義に照らし合わせるなら、植物は完全にその範疇にあてはまるわ。人によっては、植物を私たちと同じ感覚を持つ生物に含めるべきじゃないかって考えてるほどよ。
イネは同類を認識できるわ。仲間に対しては日差しを遮るようなことはしないし、根を張る場所を争うこともない。ところが、関係のない植物の隣に植えると、容赦なく根を広げようとする。本当に唖然とするほど。ハエジゴクは数だって数えられる。木の葉が落ちただけで無駄に葉を閉じたりしないように、昆虫が触れる数で閉じるタイミングを判断するの。雌性植物は受粉した花粉の遺伝物質を判断して、受精するかどうかを選択する。つまり、非常に高度な、人間よりはるかに高度な選択にしたがって交配する。
人類が環境を明確に理解するのは確かに難しいことだけど、世代交代が進行しているのも間違いないわね。もっとも先鋭的な環境保護グループの先頭に立っているのは本当に若い人たち、ジェネレーションZだわ。彼らのスイッチを入れたのは何だと思う? 若者が緊急性を肌身に感じられるのは、なぜなのかしら?
若い人たちは素晴らしい行動を起こしてる。子供たちが不正に対してとても敏感なのと同じで、きっと、問題がはっきり見えるんだと思う。社会という集団の構成員として要求される意識、クールを装うポーズ、夢の挫折…私たち誰もが大人になる過程で通る体験を、まだ経ていない。子供にとっては、ハエを殺すのさえ辛かったりするでしょ?
小さい頃、クモを踏みつぶしたことがあるの。すごく後悔したわ。今でも覚えてる!
そういうこと。気候変動にも、同じ気持ちを感じるんだと思うわ。グレタ・トゥーンベリ(Greta Thunberg)のステートメントはとても明確だし、ダボスの世界経済フォーラムでの講演では「そこに坐っているあなたたち、あなたたちの面目が潰れても、私は気にしません。私が気にするのは、地球という惑星の生存です」と言ってのけた。個人的な損得や失うかもしれないものに惑わされないで、現在進行していることの公正さと正しさを判断できるのは、人生で唯一、あの時期だけなのかもしれない。ああいうキッズたちのスピーチを聞くだけで、私たちのなかにいる10歳の子供が目を覚ますわ。自分の中にいる10歳の私たちは、公正や正しさを知っているし、これまでも、ずっと知っていたのよ。
Sarah Leonardは、ニューヨーク在住のエディターであり、ライターである
文: Sarah Leonard
写真: Heather Sten
https://www.ssense.com/ja-jp/editorial/culture-ja/a-climate-crisis-master-class-with-the-award-winning-science-journalist-zoe-schlanger