論座 2019年07月23日
古代人の顔つきばかりか、体質や性格までもが分かる時代に
米山正寛 朝日新聞記者(科学医療部)
船泊遺跡の23号人骨の頭骨=いずれも国立科学博物館提供
縄文人が核に持っていた全ての遺伝情報(ゲノム)が、国立科学博物館など国内7機関の共同研究で初めて現代人並みの高精度で解読され、その結果が日本人類学会の英文誌Anthropological Scienceで公表された。解読の対象となったのは、北海道礼文島にある船泊遺跡から1998年の発掘で出土した、約3500~3800年前(縄文時代後期)の23号人骨(女性)だ。解読成功の話はすでに昨年から断片的に伝えられていたが、論文の公表を機に、ここから何が得られて、今後にどんな展開が待ち受けているのかを、改めて整理してみたい。
現代人・古代人のゲノム研究の主な経緯(国立科学博物館による)
2003年 国際協力による現代人のゲノム完全解読完了
2010年 日本人のゲノム完全解読
2014年 ネアンデルタール人のゲノム完全解読
2016年 縄文人(三貫地遺跡)のゲノム一部解読
2019年 縄文人(船泊遺跡)のゲノム完全解読
DNAの保存状態が良かった船泊遺跡の23号人骨
ゲノム解読に当たって必要なのは保存状態の良い核のDNAだ。現代人なら皮膚や血液からすぐに新鮮なDNAを得られるが、古代人に関しては人骨が置かれていた条件によってDNAの状態は大きく異なる。状態の良いDNAが、全ゲノムの5%ほどから得られれば、まずまずというレベルらしい。一般には寒冷地の方が状態が良いとされ、船泊遺跡の23号人骨に関しても、ほぼ日本最北の地という立地が幸いして、現代人並みに高精度の解読ができたそうだ。もちろん土壌や湿度などミクロな環境条件も関わっており、同じ遺跡の中には、ずっと状態の悪かった人骨もある。23号人骨の大臼歯を使って、細胞のミトコンドリアDNAを先行して調べていた安達登・山梨大学教授(法医学)は「私たちの研究で状態の良さが確認されていたため、残っていたサンプルから核のDNAを抽出し直して分析した」と説明する。
データの解析に当たった国立科学博物館人類研究部の神澤秀明研究員と篠田謙一部長は、主な成果として次の5点を記者会見で挙げた。それらを順番に説明していこう。
縄文人ゲノム完全解読の主な成果
① 現代日本人が縄文人から受け継いだDNAの割合が分かった
② アジア人集団における縄文人の祖先の起源がはっきりしてきた
③ 縄文人の祖先集団の人口動態が明らかになった
④ 個々の縄文人が持つ遺伝的な特徴をつかめるようになった
⑤ HLAクラス1の配列を決定した
本土日本人はゲノムの10%が縄文人由来
① 現代日本人が縄文人から受け継いだDNAの割合が分かった
東京在住者に代表される本土日本人のゲノムの約10%が縄文人に由来すると推定できた。また北海道のアイヌ民族の人々は7割くらい、琉球の人々は3割くらいを受け継いでいると考えられた。これらの割合について、神澤さんは「従来、形態的な特徴などの研究から言われていたこととほぼ一致した」と話す。
② アジア人集団における縄文人の祖先の起源がはっきりしてきた
縄文人は漢民族に代表される大陸のアジア人集団と比較的古い時期に分かれ、それは約3万8000年前から約1万8000年前までの間とみなすことができた。少し幅があるが、最近は縄文時代を約1万6000年前~約3000年前の間と考えるようになっており、それより前だということに意味がある。つまり縄文人の祖先集団は、縄文時代に入る前の旧石器時代末には集団として確立していたことになる。「旧石器時代人と縄文人は日本列島の中でつながっており、列島内にいた人たちが縄文土器を作り始めて縄文時代が始まった」と篠田さんは考えている。
ただ、縄文人の遺伝的要素を持つ人々は日本列島のみならず、ロシア沿海州、朝鮮半島、台湾など東アジアの沿岸部に少なからずいることも分かってきた。こうした要素を持つ人たちが大陸沿岸部に分散する中で一部が日本列島へ渡ってきた可能性が高そうだが、現状では日本列島の縄文人が大陸沿岸部に広がった可能性も否定できない。
③ 縄文人の祖先集団の人口動態が明らかになった
ゲノム情報を活用した統計的な分析から、過去5万年にわたり縄文人集団の規模は小さいままで推移してきたと推定できた。縄文人につながる人々が日本列島へやって来たのは早くとも約4万年前なので、それ以前の大陸にいた時代から人口の増加はあまりなかったらしい。これは狩猟採集生活を送っていたことと関係するとみられ、同じような人口動態を示す例として挙げられるのは現在の南米先住民族だという。比較的早くに農耕生活を始めた漢民族などで、集団の規模が爆発的に膨らんでいったのとは大きく異なる。
遺伝的な特徴を盛り込んで復顔像を作製
④ 個々の縄文人が持つ遺伝的な特徴をつかめるようになった
外見的に分かる遺伝的特徴を取り込んだ23号人骨の復顔像は昨年、科博が開いた特別展「人体」において初めて公開された(今年のNEWS 展示「北海道縄文人の全ゲノムを完全に解読」でも公開)。肌の色は濃いめでしみができやすい、髪の毛は細くて巻きぎみだった、目の虹彩の色は茶か黒、といった具合だ。このほか、前歯がシャベル型になる程度は弱い、耳あかは湿ったタイプ、血液型はA型でRh+、などという特徴もつかめた。アルコールやアルデヒドの分解に関わる酵素は活性型で、生活の中でお酒を飲む機会があったかどうかは分からないが、お酒に強い体質の人だった。
注目されたのは、この23号人骨の女性が、CPT1A(カルニチンパルミトイル基転移酵素1A)欠損症という、現代では脂肪の代謝に関連する疾患とみなされる遺伝的変異を持っていたことだ。この変異は、23号以外の船泊遺跡人骨からも見出された。「エスキモーやイヌイットなど極北の地でアザラシなど海獣類を対象に狩猟生活を送ってきた人たちの中には、この変異が高頻度にみられる」と神澤さんは説明する。高脂肪食を摂る人々の集団ではこの変異が有利に働くようで、正の自然選択がかかるからだ。篠田さんは「船泊遺跡の人たちが海獣類を多く食べていた考古学的証拠と整合性がある。考古遺物とゲノムのデータが一致した、おそらく初めての例だ」と話す。船泊遺跡からは、もっと南の海域に生息する貝を使った装身具も出土しており、縄文人が広域の交易をしていた点でも注目される。
⑤HLAクラス1の配列を決定した
HLAは白血球の血液型として発見された。クラス1は白血球のみならず、ほぼすべての細胞にあって、自他の認識や免疫の反応に関わる重要な分子だ。そもそも複雑な構造をしているのでDNA配列を知ることは特に難しいそうだが、それにも成功した。23号人骨はそっくり同じタイプを2組持っていたため、両親から同じタイプを引き継いだと言える。
アジアの古代人ゲノム研究における基本情報
完全解読に成功し、こうした成果を生んだ23号人骨のゲノムについて、篠田さんは「この縄文人ゲノムの解読は、日本列島をめぐるゲノム研究へ過去にさかのぼる時間軸を与える成果だ。アジアの古代人ゲノムの研究で、常に参照される基本のゲノム情報になる」と意義を強調する。
ただ、ここまで説明を受けて、北海道の離島で主に海獣などを食べて暮らしていたという船泊遺跡の人たちは、本州の多くの縄文集落で暮らしていた人たちとは違うのではないか、という疑問を持つ人もいるだろう。筆者も真っ先に「船泊遺跡の人が縄文人の代表と言えるのか」と尋ねてみたが、答えは「縄文人は、遺伝的には現代の東アジア集団からは明確に区別しうる集団で、船泊縄文人はその一員だ」とのことだった。
グループは完全解読ではないにしろ、2016年に一部解読を報告した福島県・三貫地遺跡の人骨など、すでに約100体もの縄文人骨からDNAを抽出して解析してきた。それらのデータを船泊遺跡の23号人骨と比較すると、ライフスタイルはとても違っているように思えても、23号人骨と他の縄文人骨との間に、海獣食に適応したCPT1A欠損症以外は特別な違いを見いだせないのだという。篠田さんは「船泊遺跡の考古遺物からは、特殊な縄文人がいたように見える。だが、そう見えるだけで、実際には日本列島にいる他の縄文人と同じだということが、これからもっと分かってくるだろう」と考えている。
今回の発表は、昨年度に始まった新学術領域研究「ヤポネシアゲノム」(ヤポネシアとは、日本列島とその周辺を指す言葉)の成果でもあり、その代表者を務める斎藤成也・国立遺伝学研究所教授も「こんなに良い状態のゲノムは、将来にも出てこないかもしれない。まさにザ・縄文人だ!」と今回の解読結果を礼賛した。
縄文人の起源や現代日本人の成立過程の研究に大きなはずみ
解読された縄文人ゲノムをもとに、今後はどんな展開が予想されるのだろうか。
遺伝子の持つ意味は現代人も古代人も共通する。従って、現代人のゲノム解析が進めば、外見だけでなく、「病気、体質、性格、能力といった古代人の遺伝的な特徴がさまざまに分かってくる」と神澤さん。23号人骨の女性も顔つきは分かったが、さて、明るい?暗い?どんな性格の人だったのか、何が得意だったのか、どんな病気を持っていたのか……。そんな縄文人一人一人の姿が、鮮やかに描き出される日も遠くない予感がする。
今回、CPT1A欠損症の変異を検出したが、日本人における他の遺伝的疾患がいつごろからもたらされたのかも、多くのゲノム解読結果が積み重なる中で分かってくるはずだ。HLAは免疫関連の疾患など、様々な病気との関わりも指摘されており、治療などに結びつく有益な情報が長いタイムスケールの中から得られる可能性がある。
これまで縄文人の起源について、人骨の形態などの研究では主に南方起源説が唱えられ、一方、現代人の遺伝情報をもとにした研究では北方からの影響も強かったとされ、はっきりしたことは言えていない。今回分かった縄文の要素を持つ人々の分布から、大陸の沿岸から人々が渡ってきた可能性が高まってきており、大陸側の古代人骨や現代人でゲノム解析が進めばもっと多くのことが言えるようになるだろう。
「ヤポネシアゲノム」の研究では今後、日本列島の弥生時代や古墳時代においても古代人ゲノムの解読が進められる。そうした時代の人々でも高精度の解読結果が導かれ、そこに縄文人がどんな影響を残しているのかが分かってくれば、日本列島に暮らす人間集団の形成について、さらなる研究の展開も生まれるだろう。
北海道礼文島に生きた一人の縄文人女性。そのゲノム解読結果が、日本の古代人ゲノム研究に大きな弾みをつけようとしている。
https://webronza.asahi.com/science/articles/2019071500005.html