ダイヤモンド 2024.12.26 12:00
ドキュメンタリー映画『どうすればよかったか?』を考える(上) 藤野知明監督に聞く
「どうすればいいのか」。その逡巡を積み重ねた末、取り返しがつかなくなった後に改めて、自身に問い続ける、「どうすればよかったか?」――。医学生の時に統合失調症を発症した8歳年上の姉と、病気と認めず南京錠をかけて外の世界から遮断することを選んだ医師で研究者の父と母の姿を、20年以上にわたり記録したドキュメンタリー映画が12月7日に公開後、連日満席が続き話題になっている。藤野知明監督は、「統合失調症について知ってほしい思いで映画を作った」と話す。(取材・文/編集者・ライター 西野谷咲歩)
女性の絶叫が響くスクリーン
姉の異変を直視した監督の覚悟
「私は色々努力したけれど、結果として、両親を説得して姉を受診させるまでに25年かかってしまった。姉に対しては本当に申し訳ない。これは私の家族の失敗例です」
そう吐露する藤野監督の映画『どうすればよかったか?』は下記のシーンで始まる。
「どうして家から分裂病が出なきゃなんないの?」
「あんた本当にひどい人だね!」
「なんでそんなひどいことするの!」
「やだこんな人!」
「なんで私にばかり恥をかかすの!」
黒のスクリーンに約1分間にわたる女性の絶叫が響き渡る。これは1992年、藤野監督が北大農学部の学生だったころ、家の様子を記録に残すために録音した姉の声だ。
初めて姉に不審な症状が出たのは1983年の春、この録音の約9年前だという。当時、姉は24歳の医大生だった。17歳だった藤野監督は「神経質だったり怒りっぽかったりはしましたが、このときは状況が違う。隣の部屋にいた姉が突然怒鳴るように、支離滅裂でうなされているような言葉を30分以上しゃべり続けました」と語る。
父は単身赴任中だった。そこで母と話し合って救急車を呼び、父の知り合いがいる病院につれて行ってもらった。そのとき、「医学的な助けがいるだろう」と直感的に思ったという。
翌日、姉は退院し、家に戻った父は「医師から全く問題ない。精神科病院に入れると心の傷になるから早く連れて帰った方がいいと言われた」と話した。その後、「姉は、勉強ばかりさせた両親に復讐するため、あのように振る舞っている」と父と母は説明するようになる。「当然、私と同じような認識を持つと思っていたので、最初は何が起きているか分かりませんでした」
姉は常に症状が出るわけではなかったが、急に食卓の上に飛び乗るなどの行動が頻発した。「泣きながら夜、私の部屋に飛び込んできたこともあって、怖くて姉が寝るまで眠れず、睡眠時間1、2時間で高校に通うこともありました」
「姉さんが精神障害ならお前もか?」
面と向かって言われるとショックだった
月日は流れ、大学生になった藤野監督が語学の単位を落とした際、教員が心配してくれた。家の事情を相談すると、「姉さんが精神障害ならお前もか?」と返された。「自分自身にも不安がありました。いつかそうなるかもしれないと。ただ、人に言われるとショックでしたね」
相談しても、周りは受け止められない。話している言葉を遮り「そんなこと、気にするなよ」と早急に答えを出す人もいた。そんな中、大学の近くにあった居酒屋の「おじさん、おばさん」は違った。「ひたすら話を聞いてくれるんですね。それで楽になることを知りました。このことは今のドキュメンタリーの仕事にも役に立っています」
姉の症状は悪化していく。受験できるような状態ではないにもかかわらず、父は国家試験の参考書を毎年買ってくる。姉は110番通報し、「変な女の人がいるから逮捕してくれ」と叫び続ける――。
一般の人にとって、明らかに「普通ではない」情景がスクリーンに広がるが、それが「当たり前の風景」として家庭になじんでいる。「最初はビックリしていたと思いますが、確かに、だんだんと慣れてきてしまったのかもしれませんね」
実家を離れて東京で就職し、営業マンとして働いていた藤野監督は28歳で日本映画学校に入学。卒業後の2001年から、家族にカメラを向け始めた。
姉が発症した1983年の春から20年後、「統合失調症ではない」と診断した精神科医を突き止める。そして父の説明が嘘だったことを知る。その医師は「両親のうち一人が病気になれば、一人で二人をみないといけないので、ギブアップするかもしれない」とアドバイスをくれた。実際、その日が訪れる。
2008年5月、姉は精神科に入院。最初に救急車を呼んでから25年が経過していた。毎日お見舞いに通う中、1週間で姉の症状の変化に気付き、兄弟の会話を20年ぶりにできるようになった。
退院後、劇的に症状が改善していることは、素人目にも見てとれる。「これだけ症状が良くなるのならば、もっと早く受診させればよかったと思いませんでしたか?」と問うと、「はい。ただ主治医には、2000年代に出た(幻覚や妄想などの陽性症状に効果がある)非定型抗精神病薬が効いたお陰だと思うと言われました。でも遅くなって良かったことは一つもないです」
治療を受けた後、姉がカメラに向かいピースをするシーンが何回も映し出される。「もともと姉は陽気な人で、昔からよくピースをしていました。当たり前ですが、善良な人だった。そんな素の部分が出てくるようになったのだと思います」
「ギブアップした」きっかけは、母の認知症と思われる症状が出てきたためだ。「05年のころから私は気付いていました。父に相談したけれど、相変わらず受け入れませんでした」
謎の悪い男が家に侵入し、姉に麻薬を注射しているという妄想にとりつかれ、真夜中に見張りをするため、姉の部屋に入っていく母。どこか「姉を守れなかった」という罪悪感があっての行動にも思える。
「姉を守っているのは自分だという、自身の存在意義の最後の砦(とりで)だったのかもしれませんね。また、自分を苦しめているものの理由を、外に見つけようとして、苦しみから少しでも解放されたかったのかもしれません」
姉の葬式で発せられた
父の信じられない一言
先ほど「母の認知症と思われる症状」と表現したのは、結局、一度も病院を受診することなく、亡くなったためだ。姉も63歳のとき、肺がんで亡くなる。
「わりと充実した人生だったんじゃないか」
「死んだ瞬間から、姉が統合失調症だったという事実を改ざんし、歴史を塗り替えてなかったことにする。さすがに頭にきましたね」
ただ父は、息子がカメラに写した家族の記録を映画としてまとめることを許した。カメラを通じ、閉ざされていた世界がスクリーンに投影され、多くの人の目に触れることを厭わなかった。そこに父の息子へ思いがにじむ。
「父はだんだん私の仕事を応援してくれるようになっていました。自分よりも、私が病気で動けなくなることの方を心配していた。だから、この映画についても応援はしてくれるだろうとは思っていました」
藤野監督が「姉が統合失調症だと思ったことがあるか?」と父に質問すると「ある」と答えた。ただ、「姉が統合失調症であることを母が恥じて認めなかった。その判断に従った」と口にする。姉よりも母を優先したということになるが、「それでいいと思った」と。
「事実が逆で、父が母にそう仕向けたのだと思っています」
姉の統合失調症を両親が認めなかったことで、藤野監督の人生は変わった。目指していた学者の道も諦めた。姉に「復讐をしたいの?」と問うたが、自身こそが、この映画を両親への復讐のために撮った、という側面はないのだろうか。
「処罰感情はありません。両親の人間性を問うつもりはありません。ただ、病院から遠ざけたこと、鍵をかけるという行動には問題がありました。撮影で出会ったアラスカ先住民のボブ・サムさんは、怒りは生活を悲惨にする、人生が怒りにまみれてしまうと、子どもたちからも笑顔が消えていく、と教えてくれました」
絶対に忘れないでほしい
誰よりも当事者が圧迫を受けていること
(C)2024動画工房ぞうしま
この映画を作った理由は、自分たちと同じような間違いをしないでほしいことに尽きると言い切る。
「統合失調症などの精神疾患がある人間は猟奇的な事件を起こすから、家や施設に閉じ込めておけという話が出てくることがあります。姉を見て分かるのは、誰より当事者が怯えながら暮らしていること。危害を加えるどころか、圧迫を受けながら生活しています。そのことを知ってほしい。そんな気持ちで作品としてまとめました」
藤野監督は、研究者が墓場から持ち去った先祖の遺骨返還を求めるアイヌの人々の姿を撮り続けている。きっかけは、「自分と同じように、困っていても話を聞いてくれる人がいないと感じたから」だという。
「誰かの支えになろうとする人こそ、一番支えを必要としている」。めぐみ在宅クリニックの医師、小澤竹俊さんの言葉がある。
「知り合いのミュージシャンに言われました。誰かの話に耳を傾けて受け止めるのは、自分に人間らしさが残っていると確認したいからではないか、と。それで自分の精神のバランスを取っている『アンバランスのバランス』だと。まさにそうかもしれません。映画を撮らないと、自分がまっすぐ立っていられない感覚です」
PROFILE
藤野知明(ふじの・ともあき)
1966年北海道札幌市生まれ。北海道大学農学部林産学科を7年かけて卒業。横浜で住宅メーカーに営業とし2年勤務したのち、1995年、日本映画学校映像科録音コースに入学。2012年、家族の介護のため札幌に戻り、13年に浅野由美子と「動画工房ぞうしま」を設立。主にマイノリティに対する人権侵害をテーマとして映像制作を行なっている。現在、『アイヌ先住権とは何か?ラポロアイヌネイションの挑戦(仮)』のほか、サハリンを再取材し、先住民ウィルタ民族の故ダーヒンニェニ・ゲンダーヌさんに関するドキュメンタリーを制作中。