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コロンブスが“美化”されたのはなぜ?「アメリカの地を踏んでもいない」のに

2020-06-27 | 先住民族関連
クーリエ 6/26(金) 12:05配信
「先住民の虐殺者」各地で破壊されるコロンブス像
ジョージ・フロイド事件を機に、黒人差別への抗議デモが続いているが、これに伴い、各地で歴史上の人物の銅像や記念碑が破壊、および撤去が相次いでいる。
アメリカで標的となっていたのは当初、主に奴隷制度廃止に抵抗していた南部連合時代の英雄像だったが、標的は瞬く間に拡大していき、奴隷制度や黒人差別に加担したとされるものだけでなく「ヨーロッパ諸国によるアメリカ大陸の植民地化や、それによる先住民族たちへの迫害に関わるもの含まれるようになった」と、米紙「ニューヨークタイムズ」は述べる。
そのアメリカ大陸の植民地化の契機を作ったと言われるのが、イタリアの探検家クリストファー・コロンブス(以下、コロンブス)だ。
今月に入ってからアメリカ各地にあるコロンブス像の破壊が増加したことはまだ記憶に新しい。コロンブスを先住民の虐殺者、人種差別の象徴とみなし、抗議者の一部がワイヤーで引っ張って台座から引きずり下ろしたり、像の頭部を切り取るといった過激な行動に出たことが話題になった。
教科書などでは「アメリカ大陸を発見した探検家」として語られてきたコロンブスだが、近年は先住民の土地を奪い、虐殺したなどとして歴史的評価が割れていた。植民地主義や人種差別の美化につながるなどとして、以前から像の撤去を求める声も広がっていた。
国の祝祭日であるコロンブスによるアメリカ大陸への発見および到着を祝う「コロンブス・デー」をやめて、「先住民の日(Indigenous Peoples Day)」に置き替える市や自治体も増えている。
実は”発見”どころか、USAの地を踏んですらいなかった
コロンブスは1492年に「アメリカ大陸を発見した」と言われているが、1502年までの4回の航海で彼が上陸したのは、バハマ諸島やカリブ諸島、中米、南米のみで「現在のアメリカの地の土を踏んだ記録はない」と、米メディア「Vox」は述べる。
にも関わらず、なぜ、アメリカでは各地にコロンブス像が建てられ、彼の名前のついた町や道が多数存在するのか。
同メディアによると、アメリカのコロンブス美化は、イギリスと戦った18世紀後半の独立戦争の頃にさかのぼる。1776年に独立を勝ち取ったアメリカは、「独立自尊の精神を持ち、どこか反抗的な、非イギリス的なシンボル」、つまり、アメリカという国はアメリカ国民統合の象徴を必要としていた。
そこに抜擢されたのが「コロンブス」だったという。「アメリカは独立するやいなや、道や町にコロンブスという名をつけた」。
神話が作られた要因としては、1828年に作家のワシントン・アーヴィングが出版したコロンブスの伝記の存在も大きいという。そこには「『勇敢で』『天才』『ヒーロー』的存在と、美化して書かれているが、先住民に対する残虐行為、子供や高齢者、妊娠中の女性などを虐殺したことについては一切触れられていない」。
のちに作成された教科書や絵本やアニメーションなどは、この伝記をもとにしているものが多く、コロンブスを英雄視する神話が世間に広がった一因だと、同メディアは述べる。
このようにコロンブス神話はアメリカ建国の歴史を通して生み出され、コロンブス像は国民統合の象徴として各地に設置されたわけだが、一方で、先住民であるネイティブ・アメリカンたちは迫害されてきた。その転機が訪れたのは1960年代の公民権運動だ。「変革」を求める公民権運動には「黒人だけでなく、ネイティブ・アメリカンの権利も含まれていった」。
この頃から歴史学者たちの間で、コロンブスの歴史を再調査と神話の訂正、及びそれまで語られることのなかったコロンブスの虐殺の歴史を広め始める動きが徐々に広まった。それにより「先住民の虐殺者」とみなす人々は徐々に増え、“新大陸発見”から500年後の1990年代より、コロンブスの日ではなく、先住民の日として祝う選択をする市が出てくるようになった。
イタリア移民のレガシーとしてのコロンブス
一方で、文化リベラルが多いはずのニューヨーク市ではまだ、「コロンブス・デー」は廃止されておらず、像の撤去も行われていない。2017年には、バージニア州で起きた白人至上主義者と反対派の衝突事件を機に、マンハッタンにあるコロンブス像も撤去対象として検討されたが、反対派が少なくなく、設置継続が決まった。
クオモ州知事は今月の会見でも、マンハッタンにある円形広場コロンバスサークルの中心にあるコロンブス像に関して「コロンブス像はそこにあるべきだ」と、像の撤廃に反対する考えを示した。
「人々のクリストファー・コロンブスに対する感情は理解します。彼が(先住民族に)したことは、支持できることではありません。しかし、(マンハッタンにある)あのコロンブス像はニューヨークのイタリア系アメリカ人のレガシーの象徴であり、先代のイタリア移民による市への貢献への感謝表明でもあるのです。それゆえ、私はあの像を支持している」
イタリア移民にとって、コロンブスの存在は特別だ。
19世紀後半以降、イタリアからの移民がアメリカにも大量に押し寄せ、特にニューヨークに住み着く者が多かった。そのため、ニューヨークは見方によっては「イタリア系の街」として発展した背景がある。他州へと移動して行った者も少なくないが、いまもニューヨーク州のイタリア系アメリカ人の人口は全米1,2位を争う。クオモ州知事自身もイタリア系アメリカ人。市長のビル・デブラシオもまた、母方がイタリア系だ。
イタリア移民は当初、他の白人(特にドイツ・イギリスなど初期の移民者)に比べて、仕事は主に肉体労働に限られ、収入が少なかったことなどもあり、大抵は貧しかった。また、貧しさに加え、プロテスタントではなくカソリック教徒であったため、民族的な差別も受けた。
そんな過酷な環境の中で、イタリア移民たちは、同じようにイタリア人で、カトリック教徒で、それでいて既にアメリカで尊敬を集める存在である「コロンブスを讃えるようになり、アメリカ社会への帰属を望むイタリア移民にとって、コロンブスはアイコンになっていった」。
イタリア移民によって1882年に設立され「コロンブス騎士団」という組織の発展も、コロンブスのアイコン化に寄与したと言われている。社会的弱者だったカトリック移民の生活を守るための互助会としての機能を持つ同団体は、1930年代までには政治的影響力をも持つように。当時の大統領フランクリン・ルーズベルトに、コロンバスデーを、アメリカの連邦祝日にするよう促せるまでになった。
この出来事は「イタリア移民をアメリカ国民の一員として印象付けことに繋がった」と、イタリア系アメリカ人の歴史に詳しいフレッド・L・ガルダフェ教授はAP通信に語っている。
時代が変われば、「撤去はやむを得ない」
アメリカに限らず多くの国が、国民の連帯感と帰属精神を築くために、神話や英雄を打ち立てた過去を持つのではないだろうか。
像には、アイデアや価値観のような抽象的なものを具体化する力があり、人は像に想いを重ねて、抽象的なものへの感情を高める。そのため、公共の場に像がある限りは、そのアイデアや価値観が公共に存在するという「不朽性」も期待できる。
しかし、「歴史上の評決は不朽ではない」。コロンブス像の頭部が切り取られたボストンの地元紙「ボストン・グローブ」はそう述べ、社会、つまりその構成員である市民には、誰を讃えるかを議論し「変える資格がある」と語っている。
コロンブスを英雄視する価値観とそれに基づく歴史は、その像があるエリアに住む現代の市民が共有する価値観や歴史と同じなのか。現代にそぐわない像の撤去は「歴史の消去ではない」と語り、それはやむを得えず、その判断は民主的に行うべきだと、同紙は主張する。
ただし、破壊には否定的だ。
「過激な行動に出た怒れる群衆の衝動で物事を決めるべきではない」「一体誰だか知らないが、勝手に銅像の首を切り取った者は、私たち市民を裏切ったも同然だ」と述べている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/13e22042b6a4fab2c22368800567373ba40b992b
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