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オーストラリアの田舎で暮らせば③庭のカンガルー親子との付き合い方

2022-12-25 | 先住民族関連
日豪プレス2022.12.24
カンガルーはオーストラリアという土地と切り離し難い存在だが、身近な生き物と感じるようになったのは田舎で暮らし始めてからだ。シドニーの南、サウス・コーストの田舎町の庭で冬から初夏にかけて見続けたカンガルーの子どもの成長は、人間と自然の関係性を考えさせてくれた。そこで得たのは、彼らの土地に自分も住んでいるという感覚だ。(文・写真:七井マリ)
庭を餌場とするカンガルーたち

アカシアの別名でも知られるワトルの向こうで、こちらを振り返る母カンガルーと子どもたち
 例年より早く冬の半ばに黄色いワトルが甘やかに香っていたころ、庭の近くでのんびりと草を食べていた母カンガルーのお腹の袋からは小さな赤ちゃんカンガルーが頭をのぞかせていた。眠たげでどこかあどけない雰囲気は、人間や他の動物の子どもと共通だ。
 私が枯れ枝を踏んだ音に驚いて、母カンガルーは三段跳びで茂みへと入って行った。成体は人間ほどの背丈があり、跳ねて移動するリズムは軽やかだがスピードや重量感は人間以上だ。傍らの若いカンガルーは彼女の上の子どもだろう。親子そろってこちらを振り返りしばらく目を合わせていたが、やがて木立の奥へと跳び去っていった。
 日本では動物園でしかお目に掛かれない非日常の生き物だったカンガルーは、オーストラリアの平原やブッシュと呼ばれる雑木林に生息する。シドニーにいたころとて郊外や地方部を訪れた時にその灰褐色の姿を見掛ける程度だったが、ここでは自然林と地続きの庭を餌場とする隣人のような存在だ。離れて住む身内にそのことを話すと、野生のカンガルーかという問いが返ってくる。もちろん、と答えるたびに自分が日本からもシドニーからも隔たったオーストラリアの田舎町で暮らしていることを再認識する。
 毎日庭に足を踏み入れると先着のカンガルーが、また来たのか、とでも言いたげにちらりと視線をこちらに向け、やがて危険がないと判断したように食事を再開。強い警戒心ではなく無関心の態度に、共にいることを許されたような気になる。おそらく何代も、あるいは何百年も何千年も前から彼らが暮らす土地に、後からやって来て住まわせてもらっているのは私たちの方だ。
袋の外へ出た後も続く親子の関係
 カンガルー個体の識別は難しいが、親子カンガルーは毎日庭に姿を現すので想像以上に早い子どもの成長を観察できた。
 冬の寒さの終わりが見えてきた8月中旬、母親のお腹の育児嚢から子どもの頭でなく脚が突き出ていることがあり、体が大きくなって袋の中に収まったままの授乳が難しいようだった。このころには母親のお腹は重たげに垂れ下がり、機敏には動きにくそうに見えたが、母親がかがむと時々子どもが育児嚢から首を伸ばして地面の草を食べるようになった。人間でいう混合栄養の状態だ。
 8月末、子どもが育児嚢と外の世界の行き来を始めた。草食中心に移行したようだが、母親が横たわってくつろぎながら授乳をしていることもあり、数カ月はこの食生活が続くらしい。
 春を迎えた9月半ば以来、子どもが育児嚢に入る姿を見なくなった。風のそよぐ草地に寝転び目を細めて日を浴びる様子は牧歌的で、愛らしい無防備さを心配してか母親の定位置は常に数メートル以内だ。
 家庭菜園やニワトリの世話などをしていると、近くでカンガルーが黙々と草を食べていることに気付かず、不用意に距離を縮めて驚かせてしまうことも。すると子どものカンガルーは一目散に母親の後ろに逃げ込み、母親の方は様子を見つつも堂々と草を咀嚼(そしゃく)し続けている。
カンガルーの交通事故と孤児の行方
 言葉の省略が好まれるオーストラリアでは、カンガルーをルー(roo)とも呼ぶ。また、英語では動物の幼体に成体とは別の名称が与えられていることが珍しくなく、母カンガルーの育児嚢にいる幼体にはジョーイ(joey)という呼び方がある。カンガルーの種類により、ジョーイは生後半年~1年近くまで育児嚢の中で育つ。
 田舎の路傍では、車にはねられて動かなくなった野生動物の痛ましい姿を見掛けることがある。オーストラリアではカンガルーと車の衝突に備え、バンパーにルー・バーまたはブル・バーという頑丈なパーツを取り付けて車体の破損を防ぐことはあるが、カンガルーを守るパーツの存在は残念ながら聞いたことがない。人間が山野を分断して敷いた道路の上で野生動物が犠牲になることを避けるために、今のところドライバーが採り得る策は注意深く運転することと、個体数の多いエリアや活動が盛んな時間帯において減速することくらいだ。ハイウェイに野生動物用の橋やトンネルを設置する動きは世界中にあるが、その歩みは決して早くない。
 けがを負った野生動物を見つけたら、地域の野生動物レスキュー団体に連絡する。命を落としたメスのカンガルーの育児嚢でまだ幼体が生きていたら、レスキュー担当者の手を経て動物病院で治療を受けるが、問題はその後。育児嚢で成長中のジョーイを自然に返しても生きられないため、私が暮らすエリアではルー・サンクチュアリーと呼ばれる保護施設のボランティア・スタッフが孤児たちを成体まで育てる親代わりだ。
野生動物や自然との付き合い方
 オーストラリア全土で見ると、カンガルーの個体数は増加中と言われている。干ばつに備えた灌漑(かんがい)設備と、ジョーイや家畜の捕食者であるディンゴ向けの防獣柵が整った豊かで安全な牧草地・農地の拡大が、そこを餌場とするカンガルーの繁殖・生育率の低下を妨げているのだ。生態系のバランス崩壊の要因は人間中心の社会にある。
 現在は、カンガルーによる農業被害を抑えるべく駆除政策が進行中。駆除のためのライセンス制の商業狩猟には、対象数を限定し、苦しめずに頭を一発で撃つなどのルールがある一方、ルールが守られていない実態についての報告も少なくない。そもそも農業保護目的のカンガルー駆除を正当化するために、実際と異なる個体数の統計が用いられているという動物愛護団体の指摘もある。
 自然界のバランス調整作用が正しく機能しない環境を作った責任を放置して、カンガルーの殺し方を考えることだけが私たち人間のやるべきことだとは思わない。オーストラリアの先住民族が白人の入植以前にしてきたように、本来カンガルーなどの野生動物との共存は当たり前のことで、自然の循環の一部だったはずだ。野生動物を観光のマスコットに使いながら、一方では害獣として射殺する現代人の二枚舌の影響が庭のカンガルーに及ばないうちに、自然とうまく付き合っていく小規模な農作や生活スタイルを試していきたい。そして、彼らの世界に住まわせてもらっている感覚を失わないように、緑豊かな絵画のような彼らの食事風景や寛ぎの時間を見守ろうと思う。
著者
七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住
https://nichigopress.jp/topics-item/52987/
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