不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

先住民族関連ニュース

先住民族関連のニュース

北海道命名150年

2018-06-28 | アイヌ民族関連
北海道新聞 06/27 09:16
 幕末の探検家、松浦武四郎(1818~88年)が名付け親となり、明治政府が北海道と命名して150年。道などによる記念式典や講演会などの記念行事がめじろ押しで、企業による関連商品も発売され、盛り上がりつつある。せっかくの節目だ。アイヌ民族に対する抑圧や開拓の苦労など歴史に思いをはせつつ、豊かな自然の保全など、今後の北海道のあるべき姿について道民はどう考えるべきか、専門家に聞いた。
■「開基意識」払拭の機会に 札幌大前学長・桑原真人さん
 今年は北海道命名150年の節目ということで、道などが中心となってさまざまな事業を繰り広げていますが、何でもかんでも「150年」をうたっていて、いささか能天気な気もします。めでたさを強調する事業だけでなく、せっかくなら、この地の歴史と真正面から向き合う機会があっても良いのではないでしょうか。
 「蝦夷地(えぞち)」から「北海道」への改称は、この地全体が日本の領土に編入されたことを意味します。江戸時代までは、和人が住む場所は渡島半島南部の「和人地」に限られ、それ以外の蝦夷地、すなわち「アイヌ地」に和人が定住することは原則的に禁じられていました。しかし、北海道への改称を機に、その枠組みが消し去られ、蝦夷地の和人化が推し進められる根拠となりました。
 和人化の精神的イデオロギーこそが「開基意識」です。昭和初期に釧路で「釧路の始まりとなる『開基』はいつか」という議論があり、その結論は、先住のアイヌ民族を「無意識的」な存在として位置付け、「和人の意識的な開拓にこそ原点がある」というものでした。こうした開基意識は釧路に限らず、近年まで道民の中で支配的でした。
 道庁は1869年(明治2年)の開拓使設置から50年を記念し、1918年(大正7年)に「開道50年」記念式典を行い、68年には「北海道100年」と呼ばれるイベントを展開しました。これこそ開基意識の典型的な現れです。北海道命名150年事業もこの開基意識が根底にあることを忘れてはいけません。
 そもそも開基意識は「和人ファースト史観」とでも言うべきで、この地の歴史を近代以降の開拓の歴史に矮小(わいしょう)化し、アイヌ民族の歴史性を認めないという、二重の意味で問題をはらんでいます。「北海道の歴史は短い」などと言う人もいますが、この地は何万年も前から人々が住み、周辺地域の人々と活発な交易を繰り返してきました。とりわけ先住民族であるアイヌ民族の近世以降の歴史は重要です。
 オーストラリアでは英国の入植が始まった1788年1月26日を記念し、毎年休日にして祝っていましたが、近年では記念行事を中止する自治体が出てきて、記念日を別の日に変える動きもあるようです。先住民族にとっては侵略が始まった日とも言え、「祝うにふさわしくない」との考え方が広まっています。
 道は150年事業の一環で戦後の現代史を中心とした道史の編さんを始めましたが、近くその編さん作業を主導する専門家らによる道史編さん委員会が立ち上がります。私も委員になりますが、今こそ開基意識を払拭(ふっしょく)し、和人とアイヌ民族の歴史を対等に見ていきたいと考えています。(報道センター 村田亮)
■独自の経済・文化 創造を 作家・小檜山博さん          
 北海道150年の節目を、「今後、北海道はどうあるべきか」ということを考える、一つのきっかけにする必要があります。今これからの北海道は、第2期開拓期にあると思います。
 1期目は、北海道にやってきた明治政府や和人がアイヌ民族を迫害し、歴史と文化を破壊しました。このことを決して忘れてはいけません。一方で、本州の人たちによる短期間の開拓で豊かになったのも事実です。
 当時の開拓民1世は、お金をためてひと旗揚げたら、故郷の本州に帰ろうとしていました。だからこそ、開拓を急ぎ、お上に頼らざるを得なかった。北海道で暮らす私たち4世、5世にとって、もはや本州は故郷ではなくなった。にもかかわらず、道民がいまだに「自立できていない」とか「官依存体質」であるとやゆされています。
 自立を目指すに当たって、北海道の良さを考えてみましょう。開拓民の多くは、家や土地に縛られない次男、三男だったため、本州のしきたりや風習があまり持ち込まれなかった。開拓では、女性も馬追いや土木作業に従事した。労働力として男女は平等で、男と女は夫婦でありながら、同志でもあった。離婚率の高さが指摘されますが、これは離婚できる自由があるということを意味します。こうして、北海道には封建的ではない、男女平等の風土がつくられました。
 そして、北海道には四季があり、何より自然があります。水と空気と、土、森林、海がある。この自然に手をつけず、残していくことです。食料自給率は200%を超えています。今の4、5世の代になっても、北海道ならではの自由さを理解せず、最大の財産である自然に気付かず、国のカネを当てにしています。目の前にある宝物を顧みず、必要のないモノを求めている。
 では、北海道は何をすべきか。道民に欠けているのは、北海道の財産や人材を探そうという情熱です。第2期開拓期は、今北海道にいる人が、精神的に自立し、ほかにはない北海道の財産に気が付き、これを生かす地元の人材を育てることです。
 今の日本には、二つの国があると思っています。一つは東京で、もう一つは地方ですが、いつの間にか東京が地方を全て支配してしまった。「東京に行けば芝居や落語が見られる」などの話を聞くことがあります。それなら、北海道につくればいい。北海道には資源があるのですから、この地に適応した独自の経済、生活、文化を創造するのです。
 北海道は今、歴史をつくっている最中です。中央というだけであがめ奉るのはもう終わりにしましょう。北海道以上のところなど、ほかにはないと、僕は思っています。(報道センター 中村征太郎)
 <ことば>北海道150年事業 北海道と名付けられて150年の節目を記念し、道や経済団体、北海道アイヌ協会などでつくる実行委員会が8月5日に札幌市内で記念式典を行うほか、7月14日~8月26日を「北海道150年ウイーク」に設定し、企業や団体が、食や自然、科学など多様なテーマにわたって、コンサートや講演会、展示会などのイベントを集中的に実施する。実行委事務局によると、6月13日現在で、事業費100万円以上のイベントなどを企画、実施する企業・団体の「パートナー」は165団体、関連企画を登録する「北海道みらい事業」は843件。
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/203296

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無料で商用利用も可能なアイヌ文様をモチーフにしたフリー素材の数々をゲットできる「アイヌ文様フリー素材 モレウ」

2018-06-28 | アイヌ民族関連
Gigazine 2018年06月27日 21時00分

北海道や樺太を中心に居住する先住民族・アイヌが服や武器などにあしらう伝統的なアイヌ文様を、商用利用もできるフリー素材として公開しているのが「アイヌ文様フリー素材 モレウ」です。

アイヌ文様フリー素材【モレウ】 – アイヌ文様を商用利用可能なフリー素材にしました
https://ainu-monyou.com/

「アイヌ文様フリー素材 モレウ」の素材は個人・法人を問わず無料での商用利用が可能。アイヌ文様の素材は「背景パターン素材」「イラスト素材」「ライン素材」「フレーム素材」の4種類が用意されています。ページ上部のバーをクリックすると各素材を確認できます。
「背景パターン素材」は着物や木工品に刻まれる模様をベースにデザインされた繰り返しパターンとなっています。用意されている背景パターンは全部で11種類で、パターンそれぞれに複数の色違いが存在します。
「イラスト素材」は植物や動物をモチーフとしたイラストの素材で、全部で16種類。一部のイラストには色違いも用意されています。
「ライン素材」はアイヌ文様で作られたライン・罫線で、パターンは全部で5種類用意されています。また、ライン素材も各パターンに色違いが存在します。
「フレーム素材」はアイヌ文様で作られた6種類のフレーム素材と3種類のコーナー素材。各素材はパターンごとに複数の色違いが存在します。
気に入った素材をゲットするためには、素材サムネイルの下に表示されている「ダウンロード」をクリックすると、ZIPファイルもしくはPNGファイルがダウンロードできます。
ZIPファイルの場合はExplzhなどのソフトを使って解凍します。
ZIPファイルを解凍して出てきたフォルダに素材のPNGファイルが入っています。背景パターン素材の場合は4~5種類のサイズが、フレーム素材の場合は色違いがひとまとめに収録されていました。
材によっては、ページにある画像を右クリックして保存するものもあります。
「アイヌ文様フリー素材 モレウ」の素材は基本的に無料で商用利用も可能ですが、素材をTシャツや雑貨などに使って商品として販売する場合は、改めて許可が求められるとのことで注意が必要です。
https://gigazine.net/news/20180627-ainu-monyou/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

15年以上アートに携わって来た私が、なぜオックスフォードで芸術以外を勉強しているのか。

2018-06-28 | アイヌ民族関連
ハフィントンポスト 2018年06月27日 17時35分 JST | 更新 9時間前
私にとってのアートは、「問い」を人々と共有することです。
曽我英子 アーティスト・オックスフォード大学大学院生
現在私は、イギリスを拠点にアーティストと呼ばれる立場で活動を続けています。美術を専攻した高校生時代から数えると、15年以上アートの分野と関わってきました。そんな私が、昨年からオックスフォード大学の大学院生として社会科学の勉強をしています。社会環境から生まれる違和感を、どう理解し「問う」ていけるのか探求しているうちに、オックスフォードに辿りつきました。
『アートに携わって来た人生』
私にとってのアートは、インスタレーション(場や空間全体を作品として体験する芸術)やビデオ作品を通して提示する、「問い」を人々と共有することです。アトリエで制作するだけでなく、エスノグラフィー(主に、社会学や文化人類学などに使用される研究手法で、五感や参加体験を通して観察対象を理解すること)を取り入れたリサーチも含まれます。日常に潜む様々な事柄に疑問を持ち、物作りを通して観察をしながら向き合います。ですが、アートを通して表現したものを多くの人に理解してもらうのは、簡単なことではありません。
私はコンテンポラリーアートを学ぶために、ロンドン芸術大学チェルシー・カレッジに入学しました。なぜ人によって世界が違って見えるのか、根源的な問いを表現したく、卒業展覧会ではシンプルなインスタレーションを作りました。
ロンドン大学スレード・スクールの大学院を卒業した後は、アイヌ音楽を調べるために北海道を訪れました。人の言葉に耳を傾けながら、私の問いは人から人、ある場所から次の場所へと繋がり、やがて二風谷にたどり着きました。
二風谷の沙流川には、大量の秋鮭が母川回帰をする自然豊かな風景がありました。秋鮭は私に強烈な印象を残し、2016年に再び二風谷に戻り地元の方々にお世話になりました。アイヌの着物「チカルカルペ」や鮭皮靴「チェプケリ」作りを通して、鮭にまつわるアイヌ文化や歴史、社会状況、伝統、人々の暮らしを垣間見させてもらいました。滞在中の体験と出会った人々との対話をイギリスに戻り、ビデオ作品にしました。
曽我英子
The Oxford Artistic and Practice Based Research Platform
『アートに対する疑問』
時代が変わっていく中で、アートの形も変わってきました。19世紀末以降、特に1950年代からは、多くのアーティストが実験的な作品を通して社会に疑問を投げかけて来ました。
一見ヘンテコにも感じられる視点や実験的手法、不確なもの、心情、社会に無視された事柄。多くの人にはすでに承知のことですが、アートには、これらのことを言語以上のコミュニケーションを通して、表現という形に変える力があります。物作りを通して得た知識だけでなく、観察力や技術も鍛えられます。
ですが、展覧会をしたり、作品が高額で売買されないと「成功」とみなされなかったり、アーティストでないというような風潮もあります。芸術に興味のない人々には、なんだかよくわからないという印象さえ与えてしまうようです。
また、アートを勉強したけど、別のキャリアを選んだ人たちの知識や技術はどこにいってしまうのでしょうか?現代社会の中のアートの役割は何なのか、改めて考え直したくアート界の外に片足を出ました。
『オックスフォードでの勉強がどうアートと繋がっているのか』
オックスフォードでは、アート界外の人達ともより力を合わせて一緒に「問い」を続けるためのコミュニケーション方法や社会科学の理論や歴史を勉強しています。現在の勉強は必ずしもアートの表現方法と直結するわけではありません。
ですが、人を取り巻く環境がどのように社会に形取られ、専門家達がどのように問題解決に取り組んでいるのか見えて来ます。そして、アートの専門性や新しい可能性が再認識できます。
「問い」は意見や考えが違う人を攻撃するためのものではなく、話し合うきっかけ作りだと思っています。社会を取り巻く政治や歴史、環境、教育、差別問題などをアーティスト達が専門家と協力して考え続けられる場作りに、貢献していきたいと思っています。アイデアと表現方法の実験をする時間や空間を少しでも多く持ちながら、社会問題の改善に向かって動きかける戦力として、アートがさらに認識されるために、私は研究をし制作し続けたいと思います。
https://www.huffingtonpost.jp/sogaeiko/15years-oxford_a_23468992/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平成29年度補正予算ニューツーリズム商品開発等支援事業(補助金)の採択事業を決定しました

2018-06-28 | アイヌ民族関連
経済産業省北海道経済産業局 平成30年6月27日
中小企業庁では、平成29年度補正予算ニューツーリズム商品開発等支援事業(補助金)について、北海道管内から1件を採択しました。(全国採択件数:13件)
 本事業は、阿寒・摩周地域の豊かな自然や食資源、アイヌ文化等の地元スポットをつなぐサイクリングルートを設定し、回遊・体験型のグルメライドツアーを造成・提供するものであり、同地域が取り組むアドベンチャーツーリズムの推進に資することが期待されます。
北海道の採択事業
補助申請者
(有)阿寒観光ハイヤー(釧路市)
(法人番号 3460002000156)
万代観光(株)(弟子屈町)
(法人番号 8460001003270)
(有)渡辺体験牧場(弟子屈町)
(法人番号 7460002005060)
アイヌ料理の店ポロンノ(釧路市)
事業名
 域内の地産業資源を存分に味わうサポートカー付き「プレミアムグルメライド」
協力機関
 釧路市、弟子屈町、(一社)摩周湖観光協会、(特非)阿寒観光協会まちづくり推進機構
 全国の採択案件については、以下のウェブサイトをご覧ください。
平成29年度補正「ニューツーリズム商品開発等支援補助金」の採択事業が決定しました(中小企業庁ニューツーリズム商品開発支援事業のウェブサイト)
参考
【補助金の概要】
 事業計画の認定を受けた中小企業・小規模事業者と地方自治体等が連携し、地域文化資源やふるさと名物を活用した新たな商品開発、販路開拓を行う仕組みや観光客の地域における滞在環境の向上を目指す取組みを支援。
【対象者】
 中小企業地域資源活用促進法第6条第1項に基づく地域産業資源活用事業計画(開発・生産型)の認定を受けた中小企業者等。
【補助金額・補助率】
新観光商品等造成事業
200万円以上2000万円以下/件、補助対象経費の2/3以内
滞在環境整備事業
50万円以上500万円以下/件、補助対象経費の2/3以内
http://www.hkd.meti.go.jp/hokic/20180627/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

縄文の思想 瀬川拓郎著

2018-06-28 | アイヌ民族関連
アエラ2018.6.27 10:30長薗安浩

縄文の思想 (講談社現代新書)
瀬川 拓郎
978-4062884549
自由を尊ぶ世界観
 よく散歩する近所の台地に貝塚があり、積みかさなった貝殻層の断面とともに竪穴式住居が復元されている。その先には超高層ビルが林立し、東京湾はちらっとも見えない。21世紀に生きる私は、それでも時おり、この地で暮らした縄文人に思いをはせてしばらく立ちつくす。
 1万5千年前から1万年以上もの間、縄文人は狩猟、漁撈、採集によって生き延びた。そんな彼らの生き方を律していた思想とはなんなのか? 瀬川拓郎の『縄文の思想』は、文字に残る史料がないという厳しい条件下、この難題に挑んでいる。考古学からアイヌの歴史を研究してきた瀬川がどのようにして縄文人の観念の世界に分け入っていったのか、読者はその方法と具体的な資料にふれるだけでも知的興奮を覚えるだろう。
 たとえば、アイヌと古代海民の間に共通する神話や伝説をきっかけに明らかになる縄文人の、海と山からなる二元的で非農耕民的な世界観。米作をもたらした弥生文化がこの列島に浸透しても南島や北海道、そして海民が拠点とした各地の海辺には縄文文化の断片が残り、彼らの価値観を理解する手がかりとなっている。
<縄文的な世界は、自由・自治・平和・平等に彩られた世界でした>
 網野善彦の海民論と折口信夫のまれびと論を接合しつつ瀬川が浮上させたのは、自由を尊ぶ縄文人の思想だった。それはどんな変化にも対応できる流動性と多様性を認める価値観の源であり、弥生文化の流れをくむ私たちが苦手とする思想でもある。
 今こそ縄文人に学ぶ時かもしれない。彼らのDNAは私たちにも残っているのだから。
※週刊朝日  2018年7月6日号
https://dot.asahi.com/ent/publication/reviews/2018062600007.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【夏休み2018】国土交通省「こども霞が関見学デー」大臣と会話・免震体験など

2018-06-28 | アイヌ民族関連
リセマム 2018.6.27 Wed 16:02
 国土交通省は2018年8月1日と2日、幼児や小中学生などを対象とした国土交通省見学プログラムを実施する。大臣と話ができたり、免震体験車の乗車や災害対策地図作り体験ができたりと多数の企画を用意している。一部のプログラムは、事前申込が必要。
 国土交通省見学プログラムは、文部科学省をはじめ府省庁などが連携して開催する「こども霞が関見学デー」の一環として、国土交通省が実施するイベント。対象は、幼児や小中学生など。
 イベントでは、事前予約プログラムとして「国土交通大臣とおはなししよう」「乗ってみよう、免震体験車!」「海難が起きたらどうなるの?」など多数の企画を用意している。また、VR・ドローンでのインフラメンテナンス体験や災害対策地図作りなどの予約不要なプログラムのほか、特設ステージ・会場にて、アイヌの伝統舞踊の披露や河川愛護月間の取組みで募集する「絵手紙」の2017年度の入賞作品の展示なども行われる。
 プログラムによって開催日時や場所、対象学年、定員などが異なるため、確認が必要。各プログラムの詳細は、国土交通省のWebサイトにて確認できる。事前申込が必要なプログラムは、メールにて申込みを受け付けている。締切りは7月9日(必着)。
◆国土交通省見学プログラム
開催日:2018年8月1日・2日
会場:国土交通省(東京都千代田区霞が関2-1-3中央合同庁舎第2号館・第3号館)
対象:幼児や小中学生など
<事前予約プログラム>
締切:2018年7月9日(月)必着
申込方法:メールにて申し込む
https://resemom.jp/article/2018/06/27/45332.html


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

先人からの知恵を受け継ぐ、北海道のハマナスを使ったオーガニックコスメ

2018-06-28 | アイヌ民族関連
MYLOHAS 2018.06.27

北海道の花と言えば、富良野のラベンダーや五稜郭の桜などが有名ですが、「ハマナス」も忘れてはいけません。ハマナスは日本原種のバラで、英名は「Japanese Rose」。北海道に多く自生するバラ科バラ属の落葉低木です。
豊かな大地と住民の想いが育んだオーガニックコスメ
その昔、アイヌの人々は、海辺の砂地に自生するハマナスをさまざまな用途で利用したそうです。ビタミンCの供給源として花びらを煎じて飲み、気持ちを落ち着かせるハーブとして香気を身につけ、疲労回復に効くとして秋に色づく果実を食料にしていたなど、諸説が口承されています。
この度、そのハマナスを使ったオーガニックコスメ「rosa rugosa(ロサ・ルゴサ)」が誕生しました。使われるハマナスは、北海道十勝郡浦幌町で栽培されたもの。東は丘陵、南は太平洋に面した南北に長い街で、夏が訪れると、浦幌町の海沿いは鮮やかな紅紫色に染まります。自然豊かな街ですが、いまでは過疎化が進み、働き口の減少などの問題が起こっているのだそう。そこで、持続可能な地域づくりを目指し、地域活性化に取り組む「株式会社ciokay」が立ち上がり、浦幌町の子どもたちから得たアイディアをきっかけに「rosa rugosa」を生み出しました。
地域が一丸となってハマナスの栽培、製品開発、販売、プロモーションなどに携わっています。商品のパッケージは、収穫にあわせて実施された写生大会の時に描かれたものなんだとか。
天然由来成分で、肌の潤いバランスを整える
浦幌町にある「まちなか農園」で栽培、収穫を行なったハマナスを使う「rosa rugosa」のアイテム。ビタミンCを豊富に含むハマナスの花びらを水蒸気蒸留法で抽出した蒸留水や、保湿効果の高い北海道原生のトドマツの葉のエキスなど、厳選した天然由来成分を配合しています。乾燥しがちな肌に潤いを与え、バランスを整えながら、角質層まで浸透。北海道の厳しい自然で育った原材料が、肌本来の力を引き出し、柔らかな肌へと導きます。
合成着色料、合成香料、鉱物油、パラベンなどは一切使用していないため、子どもも使うことができるんです。なかでも、個人的に印象的だったのが、その香り。ローズのアイテムは、いかにも薔薇といった少しきつい香りがすることがあるのですが、ハマナスは甘くなくて、とてもナチュラル。男性が使っても合いそうだなと思いました。
ラインナップは、米ぬかをはじめ、オリーブ、ヒマワリ、ナタネといった天然オイルを採用した「ロサ・ルゴサ バーソープ(洗顔石鹸)」。ハマナス花水をたっぷり含み、健やかで透明感あふれる肌へ導く「ロサ・ルゴサ ローション(化粧水)」、肌荒れを防ぐトドマツ葉エキスなどの天然由来成分も含まれる「ロサ・ルゴサ ミルキーローション(乳液)」、ハマナスの花やトドマツの葉、ヒマワリの種子などの天然由来成分が贅沢にブレンドされた「ロサ・ルゴサ セラム(美容液)」。北海道産のヒマワリ種子油や、皮膚の水分を補いながら潤いを保つナタネ油など、保湿効果の高い天然由来成分がふんだんに詰め込まれた「ロサ・ルゴサ ハンドクリーム」の5アイテム。
心地よく、安心して使えるだけでなく、浦幌町に暮らす人々にとっていかにハマナスが大切かを知ることができ、使用することで街の活性化にも協力することができる「rosa rugosa」。暮らしのなかに、そんなオーガニックコスメを取り入れてみませんか?
松崎桃子
https://www.mylohas.net/2018/06/169665rosarugosa.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

粘り強い対話で権利回復 カナダ先住民祭司が講演 札幌

2018-06-28 | 先住民族関連
北海道新聞 06/27 23:22 更新
 カナダ最大の先住民族・クリー族の歴史や文化を伝える特別講演会が27日、札幌市内で開かれた。日本カナダ修好90周年にちなみ、親善訪問団の団長でクリー族の祭司でもあるバーティー・ワパチー氏が講演し、クリー族が自治権を取り戻すまでの歩みを伝えた。
 北海道国際交流・協力総合センターなどの有志でつくる実行委が主催し、約110人が訪れた。ワパチー氏は、過去に先住民族の子供たちが寄宿学校に強制的に入学させられ、独自の言語や文化を禁止された同化政策を説明。政府と交渉を重ね、先住民族による評議会の設置や首相の謝罪につながったことを紹介し、「対立ではなく、誤解を解消する粘り強い対話が実を結んだ」と振り返った。
残り:72文字/全文:371文字
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/203524

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

[書評]『花殺し月の殺人』デイヴィッド・グラン 著 倉田真木 訳

2018-06-28 | 先住民族関連
高橋伸児 編集者・WEBRONZA
朝日新聞2018年06月27日

『花殺し月の殺人――インディアン連続怪死事件とFBIの誕生』(デイヴィッド・グラン 著 倉田真木 訳 早川書房) 定価:2200円+税
 事件のあらましはこうだ。
 1929年の世界大恐慌まで続く「狂騒の20年代」初頭、舞台はアメリカのオクラホマ州。先住民オセージ族の保留地で石油が採掘されたことから、彼ら部族は石油の分配金などで莫大な資産を得ていた。
 どの家庭も豪邸をかまえ、使用人を雇い、車を10台持つほどだった。だが、部族の女性と男性の射殺体が別々の場所で発見されたことをきっかけに、毒殺や爆殺など
不審死が続く。「狂騒の20年代」は、この土地では「オセージの恐怖時代」と呼ばれるようになる。
 オイルマネーの利権をめぐる思惑、白人による部族への妬み、差別感情が交じる。先住民に英語を学ばせ、白人の生活様式をなぞらせる同化政策もからむ。登場人物の数もおびただしいが、先住民と白人の結婚が少なくないため、「人物相関図」が入り組み、「先住民対白人」という単純な対立構図におさまらない。事件の展開に厚みが増す。
 先住民たちは金を持ってはいたが、「後見人制度」によって財産を自由にできなかった。一連の事件は資産目当ての事件ではないか、とまでは推測できる。だが、キーパーソンかと思った人物が現れるや、病気で体が徐々に衰弱し死亡したりする。それがのちに毒物のせいだとわかる。また、ある人物が犯人ではないかと推理しているとあっさり死体となって見つかる。捜査当局に協力しようとした者が登場し、彼の尽力で一件落着かと思った途端に、事故死して……。
 誰が生き残るかわからないといった調子が、かつての人気ドラマ『大草原の小さな家』のような牧歌的な舞台で、延々と続く。しかも医者も弁護士も捜査官もが事件に関与しているかのような事態なのだ。あげくに関係者の番犬まで殺されて不気味さが加速される。被害者は24人。いずれにしても「紀州のドン・ファン」だの「和歌山カレー」だの「疑惑の銃弾」(古いね)などとは、おどろおどろしさのスケールがケタ違いなのである。
 さて、1925年夏、テキサスのレンジャーから転身した捜査官と、ワシントンにある司法省捜査局(BI)のフーヴァー局長を軸とした捜査が始まる。後にFBIの“創始者”として有名になる若きフーヴァーは捜査局を近代的に改革しようとして、指紋による鑑識技術など科学捜査に取り組む。ちなみに彼は、捜査官の勤務評定など人事評価も導入しようとする。これも「近代化」の一環なのだろうが、僕のような勤め人からすると、舌打ちしたくなるようなヤツなのだ。それはともかく、フーヴァーはこの事件を、自身の目標と野心の達成に大いに利用していく。
 ともあれ、紆余曲折の末、犯人グループは逮捕され、裁判にかけられ――この間、陪審員の買収やらがあって二転三転するのだが――刑務所行きになる……。ここに来て、事件がようやく収束したかと読み手の緊張感と重苦しさが緩みかけるのだが、あれ、3部構成のうちまだ2部が終わっただけじゃないか! 
 ここから一気に、時代は2012年。ジャーナリストの著者は、うらさびれた現地を訪れ、先住民たちの子孫などを取材してまわる。彼らはいまだ事件解決に執念を燃やしていた。そして著者が膨大な公文書や資料を入念に解読し、証言を集めていくと、どうやら殺されたのは24人どころではないことがわかってくる。ここから先はネタばれになるから詳細を書くのは控えたいが、結論めいた一文だけ引用しよう。
 「社会を構成するほぼすべての集団が、この殺人システムに加担していたのである」
 もちろんその「システム」の全貌は見えないままだ。これだけ後味が悪いノンフィクションも珍しい。しかも、これだけの陰謀が渦巻いた犯罪史上の大事件なのに、著者も2012年まで、学校で習ったこともなければ、アメリカ人もほとんど知らない、歴史から忘れ去られたかのような出来事だったというから驚く。
 アメリカの「黒歴史」を暴露した本書を元に、大御所のマーティン・スコセッシ監督が映画化するらしいから、この怪事件は世界的に知れ渡ることになるだろう。今も解決していないアメリカ先住民の諸問題に多くの「気づき」を与えてくれることにもなるはずだ。
 土地や財産をめぐる先住民と政権の対立はいまだ全米各地にある。先住民からとったニックネームと、彼らの顔を描いたチームロゴを持つプロスポーツ球団がいくつもある。チャンスになると、太鼓の音に合わせて観客が雄叫びをあげながら手斧(トマホーク)を振りかざす真似をして盛り上がるチームもある。いずれも先住民からかねて抗議されているが、「アメリカ人」たちの無自覚(無邪気?)には他人事でいられるだろうか。
 事件があった同じ頃、日本では関東大震災(1923年)が発生、朝鮮人虐殺があった。この事実を否定したり矮小化したりする声が増しつつあり、「在日」に「特権」があると批判する一群がいる。数年前、「北海道は開拓者の大地だ」と地元空港でPRして、抗議された末に撤回に追い込まれた球団もあった。どれもこれも、90年余も前のアメリカから地続きの事象としか思えない。怪事件におののくにとどまらない読後感を残す労作である。
*ここで紹介した本は、三省堂書店神保町本店4階で展示・販売しています。
*「神保町の匠」のバックナンバーはこちらで。
http://webronza.asahi.com/culture/articles/2018061500002.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ L TOPICS(全国の地域情報等)

2018-06-28 | アイヌ民族関連
内外総合通信社 2018.06.27
北海道・網走で北方民族にちなんだ火祭り
 北海道網走市の道の駅「流氷街道網走」特設会場で7月30日、「オロチョンの火祭り」が行われる。
 先住民族の慰霊と豊穣(ほうじょう)を祈願して行われる行事。
 日本では「オロチョン」とは北方民族を指す言葉として用いられてきたもので、その名残で祭りの名がついたとされている。
 神と語り通じ合えるという司祭「シャーマン」がかがり火をたきながら祈りを捧げ、その周りを民族衣装を身にまとった人々が太鼓や「コロホル」という楽器に合わせて踊る。
 問い合わせは、網走市観光協会(電話0152-44-5849)へ。
http://nspress.com/contents/contents-b/1530057753.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ムックリ製作など体験 白老白翔中でふれあいふるさとDAY

2018-06-27 | アイヌ民族関連
苫小牧民報2018/6/26配信

ムックリを製作する生徒たち
 白老町の白翔中学校は23日、ふれあいふるさとDAY(土曜授業)を行った。地域住民を講師に招き、全校生徒がムックリの製作や地元食材を使った料理、アイヌ文様刺しゅうなど13講座に分かれて、郷土学習を行った。
 町内の小中学校では2017年度から地域社会と連携した体験活動を行う土曜授業「ふれあいふるさとDAY」を展開。同校では、郷土学習を主眼に置き、さまざまな分野で活躍する地域住民を講師に招いた体験講座を開いている。
 今回は、キンボールや下の句かるた、和太鼓や書道など13講座を設定。ムックリの製作・演奏体験では、アイヌ民族文化財団の石田慈久恵さんと木幡弘文さんが講師を務め、1~2年生の生徒にムックリの製作を指導。彫刻刀を使って木を削り取り、糸を通してムックリを製作。程よい加減に削ることが難しいようで、生徒たちは何度も講師に確認をしながらムックリを完成させた。
 その後、オリジナルのムックリを使って演奏体験。すぐに音を鳴らせるようになった生徒もいれば、こつをつかめずなかなか音が出ない生徒も。ムックリの持ち方や、口元への当て方、口の開け閉めや舌を使って音を変えたりなど、ムックリ演奏の難しさを体験した。
 2年の杉青空(そら)さんは「ムックリは初めてだったけど面白い。ゴールデンカムイを観ているので、今度はぜひ、伝統料理を調べたり食べたりしてみたい」と話した。
https://www.tomamin.co.jp/news/area2/14106/


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水平社宣言を「世界の記憶」に 駒井さん

2018-06-27 | アイヌ民族関連
わかやま民報 18年06月26日 18時56分[海南・紀美野・紀の川・岩出]
 差別に反対し1922年に「宣言」を起草した人権活動家・西光(さいこう)万吉の活動を学ぶ「西光万吉顕彰会」の第5回総会が24日、和歌山県紀の川市西井阪の井阪文化会館で開かれ、水平社博物館(奈良県御所市)の駒井忠之館長が「創立の思想を世界へ」と題して講演。宣言は被差別マイノリティーによる世界初の人権宣言で、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の「世界の記憶」に登録されるべきだと訴えた。
 西光は1895年に奈良県御所市で生まれ、「人の世に熱あれ 人間に光あれ」で知られる宣言を起草。1941年には妻の故郷である打田町(現紀の川市)に移住し、70年に亡くなった。
 駒井館長は、西光ら全国の創設に深く関わった人物たちの写真を背に講演。宣言の中に「人間」という言葉が10回登場することを紹介し、「差別の撤廃だけが目的のメッセージではなく、人間の尊厳と平等を追求したものだった」と強調。宣言は、被差別マイノリティーによる世界初の人権宣言で、在日朝鮮人やアイヌ民族、大阪在住の沖縄県出身者などの被差別マイノリティーに差別撤廃へ立ち上がるきっかけを提供したと説明した。駒井館長によると、宣言の影響は朝鮮半島の被差別マイノリティー・白丁(ペクチョン)にも及び、23年に朝鮮半島で差別撤廃を求める団体が結成されるきっかけになったという。
 また、宣言の思想を世界的に共有するべきだと訴え、ユネスコが書物や文書などの歴史的記憶遺産を保全、公開する事業「世界の記憶」に宣言の登録を目指していることを報告。2015年には水平社博物館が世界の人権に関する博物館で構成する「国際人権博物館連盟」(FIHRM)に日本から初めて登録されたことを紹介し、「宣言には寛容さと多様性の精神が盛り込まれており、世界中の人が共有するに値する内容だ」と訴えた。
http://www.wakayamashimpo.co.jp/2018/06/20180626_79970.html

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ゴールデンカムイ テレビアニメ第2期が10月スタート

2018-06-27 | アイヌ民族関連
毎日新聞2018年6月26日
 マンガ誌「週刊ヤングジャンプ」(集英社)で野田サトルさんが連載中のマンガが原作のテレビアニメ「ゴールデンカムイ」の第2期が制作され、10月からTOKYO MXほかで放送されることが明らかになった。
 「ゴールデンカムイ」は、2014年から同誌で連載中のマンガ。かつて日露戦争で活躍した“不死身の杉元”が、北海道で死刑囚が隠した埋蔵金の手掛かりをつかみ、アイヌの少女アシリパらと共に冒険を繰り広げる姿を描いている。アイヌの文化や歴史、食事の描写なども評価され、「マンガ大賞2016」で大賞を受賞した。コミックスの累計発行部数は530万部以上。
 テレビアニメ第1期が4月に放送が始まり、25日の放送で最終回を迎えた。
https://mainichi.jp/articles/20180626/dyo/00m/200/001000c

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出入り自由、アイヌ工芸作家を見守る自然体の猫たち

2018-06-27 | アイヌ民族関連
シッポ2018/06/16

 北の地に住む先住民族、アイヌ。北海道沙流郡の平取町で、自然の恵みを生かして作品をつくり、猫と一緒に暮らすアイヌの母子と出会った。人も猫も自然体。工房には心地よい空気が流れていた。
(文・堀内みさ 写真・堀内昭彦)
工芸品の中に縞模様
 木彫りの人形や熊の置物、それに、渦巻きや刺(とげ)など独特の文様が刻まれた木製のお盆。店内に並ぶ見慣れない工芸品に見入っていたら、視界の端で縞模様の物体を感知した。もしや。目を向けると、それまで微動だにしなかった物体がぴくりと動き、ぬぅっと顔を上げてこちらを見た。
 猫の名はトラスケ。1歳半の雄猫である。「トラスケは温厚な性格で、小さな子どもが来ても逃げないんです。触っても怒りませんよ」。「貝沢民芸」の主人、貝澤守さんが言う。貝澤家の猫は全部で3匹。トラスケは唯一の雄という。
 札幌市街から、南東へ車で約2時間。平取町の二風谷(にぶたに)は、約400人の人口の過半数がアイヌ人という小さな地区。北の地の先住民族、アイヌの人々は、かつて豊かな大自然の中、川や海で魚を捕り、山では狩猟に加え、草や実を摘み、狩猟採集生活を送っていた。暮らしに必要な道具も、すべて自然の恵みを生かしたもの。誰もが自らの手でつくっていたという。
あらゆるものに魂が宿る
 現在貝澤さんは、アトリエを兼ねたこの店で、主にアイヌの伝統工芸のひとつ、「イタ」と呼ばれる木の平盆をつくっている。「小さいときから父や父の弟子たちから、イタの技術を学びました」。そう話す貝澤さんのすぐ前で、いつ移動したのかトラスケが気持ち良さそうに寝そべっている。その姿に、貝澤さんの頬が思わず緩み、目尻が下がった。トラスケがかわいくてたまらないのだ。
 イタはカツラやクルミの木でつくられる。特に目を引くのが、表の面全体に彫り込まれるさまざまなアイヌ文様。渦巻き、目、刺、ウロコの4つが基本で、すべて自然界にある形を組み合わせているという。中でも「刺の文様は魔除けの役割を持ち、着物の裾や襟にも用いられます。だから文様をアレンジするときは、使う人が魔を除けられるよう、基本の形をできるだけ崩さず丁寧に彫っています」と貝澤さん。
 アイヌの人々は、この世のあらゆるものに魂が宿り、神の化身と考える。道具も然り。使い手のことを思い、心を込めてつくったものには良い魂が宿るとされ、役目を終えたときは、祭壇に祀り、感謝を込めて神々の世界へ送り返すという。
ストーブに陣取り家猫に
 気がつけば、トラスケがドアの前にでんと座り、無言ながら外に出たいと訴えていた。貝澤家の猫たちは、基本的に出入り自由。向かったのは、お隣にある貝澤さんのお母様、雪子さんの工房だ。雪子さんは、やはりアイヌの伝統工芸のひとつ、樹皮を素材にした織物「アットゥシ」づくりの名人で、77歳の現在も日々制作に励んでいる。
 中に入ると、トラスケの母猫ハナが先客で待っていた。もとは野良猫だったハナが貝澤家の一員になったのは、3年ほど前の冬のこと。それまで餌をもらいながらも一定の距離を保っていたハナは、その日、氷の張った地面を滑りながら歩いて「貝沢民芸」の中に入ってくると、そのままストーブの前に陣取り、動こうとしなかったという。
貝澤家の猫歴
 そもそも貝澤家と猫との関わりは、貝澤さんの妹が高校時代に一匹の猫を拾ってきたことに始まる。以来増えに増え、一時は18匹いたことも。「気がついたら茶箪笥の上にずらーっと猫が並んでいたこともあったわね」と雪子さん。だがその後、病気や事故で相次いで亡くなり、ハナが来る直
前の4年間は、猫が一匹もいなかったという。
 猫たちの暮らしは、いたって自由。夜は自宅で雪子さんと一緒に寝て、朝ご飯が終わると外に出る。そして、気が向くと貝澤さんの店や雪子さんの工房でひと休み。「実はもう1匹、パンダという猫がいるんだけど」。雪子さんが目配せした方向に目を向けると、樹皮を裂いた糸の中で、白黒模様の猫がすやすやと寝ていた。すべて自然素材に囲まれて、さぞ心地よいことだろう。
自然の恵みとともに
 雪子さんのアットゥシは、北海道に自生するオヒョウ(ニレ科の落葉高木)の樹皮を使ってつくられる。樹皮を数時間釜で煮て、それを洗ってぬめりを取り、何層もの内皮を薄く剥いで細かく裂いた後、糸に撚(よ)りをかけながら小さく結んでつないでいく。その間、樹皮を採りに山に入る以外、すべて雪子さん一人の手作業。草木染めも機(はた)織りも一人で行う。
 「猫のためのまたたびも自分で採ってくるのよ」と雪子さん。日々、自らの手や体を動かして作品をつくり、ときには山菜やきのこを採りに山に入ったり、夕方工房に集まってくる友人たちに、得意の手料理をふるまったり。猫たちはそんな働き者の雪子さんに、付かず離れず寄り添っている。「この年になっても作品を待ってくれる人がいて、働けるのは幸せなこと。アットゥシづくりは一生勉強。飽きることはないわね」。話す間も雪子さんの手が止まることはない。
 自然を敬い、その恵みを最大限活かし、心を込めてものづくりを行う貝澤さんと雪子さん。猫にも人にも自然体で接する姿が印象に残った。
貝沢民芸
北海道沙流郡平取町字二風谷75-2
TEL 01457-2-2584
営業時間:8:00〜18:00
定休日:不定休https://biratori-kanko.jp/spot/kaizawafolk-crafts
https://sippo.asahi.com/article/11607432

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【移民110周年特集】「日本移民の故郷」 プロミッソンが入植100周年

2018-06-27 | 先住民族関連
サンパウロ新聞2018年6月25日

入植100周年記念祭ロゴ(提供写真)
 「日本移民の故郷」であるサンパウロ(聖)州プロミッソンは、1918年にイタコロミー移住地(現・上塚第1植民地)への入植が始まってから、今年で100周年を迎える。7月22日には、「プロミッソン入植100周年記念祭(前田ファビオ実行委員長)」が予定されており、眞子さまの式典ご出席予定に合わせた準備が着々と進められている。同地の開拓当初から今日までの歴史を振り返る。
◆プロミッソン創世記
 『ノロエステ記念史』によると、プロミッソンは、聖市から493kmに位置する標高420mの土地となる。
 1908年、鉄道ノロエステ線が、当時ファゼンダ・パットスと呼ばれていた土地まで開通し、列車の着地がエイトール・レグルー駅と名付けられた。同地は、鉄道開通により居住者が増加し、17年には日本人移民やイタリア人移民らが入植。19年にエイトール・レグルー治安区、21年9月にプロミッソンへと改称され、23年11月に、プロミッソン郡となった。
 16年、プロミッソンの原生林に日本人移民として初めて足を踏み入れたのは、福岡県出身の後藤七郎氏で、17年には熊本県出身者、鹿児島県出身者らが続けて入植した。
 18年3月、「ブラジル移民の父」と称される皇国植民会社の上塚周平氏らが同駅周辺の、1400アルケールの原生林を10アルケールごとに売り出したことを契機に、同地がイタコロミー移住地と命名された。イタコロミーは、先住民グアラニー族の土地を意味し、同族の墓跡などが開拓時に見つかったそうだ。命名された名前とは別に、入植者たちの間では、「上塚植民地」と呼ばれ、今日のプロミッソンの原形となった。
 (※)上塚氏は、東京大学法学部を卒業後、移植民事業を志して皇国植民会社(水野龍社長(当時))に入社。08年に笠戸丸に乗船して渡伯し、同社現地代理人に。労働者として農業に従事する日本人移民の待遇を見かねて、自営の植民地構想を抱いた。同地では「事務所」と呼ばれた家で質素に暮らし、「日本移民の故郷」プロミッソン開拓に努め、「移民の父」と称えられている。
◆発展の兆し、戦後の対立
 23年に行われた調査では、同地の土地所有者は247家族で、同地周辺には406家族が居住していたという。農園で育てられていたコーヒー樹は約300万株で、ブラジル全土の日本人移民が所有している樹の3分の1を占めたそうだ。現在はコーヒー農園が無くなり、さとうきび栽培、牧場経営が主産業になっている。
 28年、最初の周年事業となった「植民地開拓10周年」では「開拓十周年記念塔」が上塚周平公園内に建立され、記念祭典も開催された。当時、同地の居住者は約1000家族を数え、記念祭典も大いに盛り上がったと記録されている。
 25年には、汎プロミッソン中央日本人会が創立され、初代役員として顧問に上塚氏、間崎三三一(まざき・ささいち)氏、会長に佐々木光太郎氏らが名を連ねた。
 33年の調査では、プロミッソン近郊までを含めた居住者は1362家族、6757人まで増加しており、52年3月に、プロミッソン連合日本人会が組織され、会員131人を有していた。
 68年、入植50周年を迎えた同地では、現在まで同地を二分する出来事が起こった。上塚氏の友人である菊池恵次郎氏から、上塚氏の「事務所(旧家)」の土地管理を任され、「上塚氏の右腕」と言われた間崎氏が土地をブラジル人に売却。さらに、間崎氏が上塚公園内の「開拓十周年記念塔」を、プロミッソンの街中に移設する話を持ち出したことで、同地は二分した。そこには、戦後の勝ち負け抗争で思想が分かれた影響もあったとされる。記念塔に関しては、プロミッソンの町中に記念の時計台を建立し、移設は行われていない。
 現在までプロミッソン日伯文化体育協会(岡地建宣会長)とプロミッソン日系文化運動連盟(吉田マサヒロ会長)の2団体に分かれたままとなっており、2008年のブラジル日本移民100周年時には、統一を目指して同周年委員会を立ち上げたものの、世代間の軋轢(あつれき)や運営面で意見が一致しなかったことで、実現しなかった。
 しかし、入植100周年で、再び統一に向けた実行委員会を立上げ、協力体制を布(し)いている。
100周年機に2団体統一へ
 現在までプロミッソン日伯文化体育協会(岡地建宣会長)とプロミッソン日系文化運動連盟(吉田マサヒロ会長)の2団体に分かれたままとなっている同地は昨年7月、入植100周年記念祭の実行委員会を、両協会から7人、同公園を管理するプロミッソン市から7人を選出した計21人のメンバーで組織し、再び統一に向けた意思統一を図った。
 半世紀ぶりの統一に向けた同地の歴史の中で、双方を常に見つめてきたのが安永忠邦さん(97、2世)を代表とする安永家の人たちだ。
◆同地に根付く安永家の歴史
 1914年5月10日「帝国丸」で渡伯し、熊本県玉名郡南関(なんかん)町出身の耕夫(こうふ)氏・セキ夫妻、耕夫氏の弟・良耕(りょうこう)氏の3人がサンパウロ(聖)州北部モジアナ線のビラ・コスチーナ耕地に入植したことで、安永家の伯国史が始まる。同耕地で契約農として働いた後、18年8月にノロエステ線エイトール・レグルー駅(現・プロミッソン中心部)から約8kmに位置するイタコロミー移住地に4世代が同居していた。
 2014年には、「安永家渡伯100周年記念祭」が同年4月20日に同地の安永家(自宅)で開催され、ブラジル全土や日本から総勢約400人が集まり、上塚氏の墓前で読経が行われた後、安永家の墓前でも各世代代表者が祖先に献花した。
 同日、集まった一行が訪問した安永家敷地内にある旧安永邸は、1945年に建てられ、93年まで4世代約45人が住んでいた。将来的には、安永家の史料館として保存する構想もあるそうだ。
 上塚氏の法要は、同氏が1935年に亡くなってから毎年執り行われている。上塚氏が亡くなる直前に、「しっかり頼んだぞ」と声を掛けられたという忠邦さんが現在まで「墓守」を務めあげてきた。
◆7月22日、上塚周平公園で記念式典
 総額約30万レアルの予算で、4000~5000人規模を想定した「プロミッソン入植100周年記念祭(前田ファビオ実行委員長)」の準備が進められている。ノロエステ連合日伯文化協会の安永信一会長(70、3世)、和教さん(71、3世)は「予算通り順調に進んでいる」と自信をのぞかせる。
 午前10時から午後10時まで行われる同祭では、ノロエステの芸能を筆頭に、鳥取の傘踊り、沖縄の琉球国祭り太鼓、グループ民による民謡・三味線演奏、中平マリコさん、平田ジョーさんの歌謡ショーなどが予定され、ユバ農場から訪れる一行も舞台に上がるという。同祭の最後は、16年のリンス入植100周年時と同様に「ノロエステ盆踊り」で締め括られる。
 プロミッソン入植100周年記念祭の意義として、信一会長は「100周年を迎え、4世の時代に入っている。家族で伝えてきたものもあるが、1世、2世の苦労が分からない人も多い」と次世代への継承に重きを置く。
 和教さんは「4世、5世に伝えていかなければ失われてしまう。だから実行委員会も3世、4世をメインに据えた」と背景を語る。
◆記念事業「入植百周年記念塔」
 同地の入植100周年記念事業として建立される日伯両国旗をモチーフにしたモニュメント「入植百周年記念塔」は、同地出身の建築家、ノズ・セルジオさん(67、3世)が設計を担当している。既に土台を含めた大部分が完成している。高さ約4メートルになるモニュメントの上部には鐘が設置され、西に日本、東にブラジルをイメージした2塔から成り、互いに手を取り合う姿に仕立てられ、同公園内に建立される。
 同祭式典プログラムの中で「眞子さまにモニュメントの除幕を行ってもらいたい」と、訪問を記念したプレートも用意されている。
 眞子さま訪問が実現すれば、移民50周年で聖州奥地を訪問した三笠宮殿下以来、60年ぶりの皇室訪問となる。
◆全伯に散る「元在住者の式典参加を」
 実行委員会に設置された「登録調査委員会」では、プロミッソンから全伯にいる元在住者、その子弟を式典に招待したい意向。信一会長は「プロミッソン元在住者や縁のある人に集まってほしい」と呼び掛けている。
http://saopauloshimbun.com/【移民110周年】「日本移民の故郷」%E3%80%80プロミッソ/

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする