恐懼に堪えない日々

【恐懼】(きょうく)・・・ おそれかしこまること。日々の生活は恐懼に堪えないことばかりですよね。

保守か抵抗勢力か

2005年08月15日 | 所感とか
ある程度の年数同じ場所に身を置いていると、
ついついその体制に甘えてしまうという状況が発生します。
それが良い風習であれ悪い風習であれ、
今まで自分がずっとそういうものだと思ってやってきたことは、
第三者から見れば「あれ?」と思うことであっても、
体制に馴れてしまった人間にしてみれば何ら疑問を覚えない、
そんな状況が生まれてきてしまうのは、
昨今の政治や社会を見れば自ずとわかることであります。
道路公団然り、官公庁役人の天下り然り、はたまた郵政問題等など。
一般には不正なこととされていても、その内部にいる人間にしてみれば、
普通のことだと思ってしまう一種の錯覚に陥るわけです。
そんな人々の気持ちが少なからず理解できてしまうような、
そんな気になっている今日この頃。

いや、別に私は悪いことをしているつもりもないし、
甘い汁を吸って、今の状況に甘えているというわけじゃありません。
いや、そう思いたい。
しかしながらそれも長年の時を経ることによって徐々に腐敗し、
第三者から見れば見るに堪えない状況になっているかもしれません。
内部にいる私にしてみれば、今まで普通にやってきたことが、
新たにやって来た改革者の手によって、その根底から変革していこう、
というような急進的な考え方にはどうしても反発を覚えるわけです。
改革者がそれを「改善」であると標榜したとしても、
こちらにもそれまでやってきたものがあるわけで、
たいした理由もなく「はいはい」と受け止めるのは厳しいものです。
むしろこっちからしてみたら「改悪」に映ってしまうわけで。

理想を如何に崇高に設定したとしても、
理想の元にあるものはやはり現実・現状であると思います。
それに目を向けずにいきなり理想や理念だけを述べられても、
こちらからしてみると「何もわかってないくせに」というように、
素直になれず反発してしまうのは仕方のないことかと思います。
難しいことではありますが、上の人間が何よりまず行動で示す、と。
そうすれば下に従う人間がよっぽど頑固でもない限り、
自然とその考え方や理念へ賛同していくのではないかと思います。

まとめると、
・改革を行うのであれば、やはり現実を見ずに語るべきではない。
 理想や理念を語るのは大いに自由で歓迎すべきことであるが、
 それもやはり現実・現状に立脚したものであるべきである。
・何もせずに口だけ達者なのでは下の者は従わない。
 何かを為すためには、やはり言行が一致していなければならない。
 まずは行動で示すべきである。

まぁなんですか、これって相当難しいことですよ。
自分にできるかって言われたら結構厳しいです。
ここ最近でわかったことは、何かを改革するのは難しい。
抵抗勢力となって保守でありつづけるほうが自分にとって楽であるってこと。

私もそろそろ抵抗勢力の汚名を着ることになりそうです。
心の中では自分は「保守」であると思ってますけど。

恐懼謹言。
コメント (2)
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