20階の窓辺から

児童文学作家 加藤純子のblog
毎日更新。児童文学情報・日々の暮らし・超高層からの眺望などニュース満載。

カイロプラクティク

2008年03月15日 | Weblog
 鍼・灸にいっても、マッサージをしてもらっても、整形外科にいっても、血管外科にいっても、東洋医学にいっても、肩の凝りや足の凝りがすっきりしないので、昨日は、このところ愛用しているGUCCIのサングラスをかけ、バスにのってカイロプラクティックにいってきました。

 カイロプラクティックというのは初体験です。
 ネットであれこれ調べていて、藁にもすがる気持ちで辿り着いたのが、カイロプラクティックでした。
 受付を済ませると、衣服を治療用の物に着替え、いよいよ治療がスタートします。
 まずはその場に立って体の全体の様子をみます。次に背骨の様子をみたり両足の長さを見たり・・・。
 要するにカイロプラクティックというのは、歪んだ体型を治して体を整える施術のようです。

 凝りにこった首すじや、ブロックされたように固くなっている背骨を確認した先生は、「よくここまで我慢していましたね」と驚かれました。
 背骨というのは、動かすと若干は動くもののようです。それが私の背骨はブロックされたように固まっていたようです。そのため、血液の流れそのものはいいらしいのですが、背骨周辺の血流が悪くなり、溜まった疲れの凝りが、自然治癒力では改善されないくらいの状態に陥っていたようです。
 長年の頭痛持ちは、どうやらこのせいだったようです。

 眠くなるくらい心地いいBGMを聴きながら、ゆっくりと、ゆったりとした施術を一時間ほど施していただくと、心なしか肩や足が軽くなったような気がしました。

 外に出ると、霧雨がふっていました。
 細い雨にうたれていたら、ふと頭が冷静になりました。
 これはもしかしたら、まず自分の精神力を鍛えるしか方法はないのかもしれない。
 体の不調に神経質になりすぎる私自身の気質が、もしかしたらこういった症状をより強く招いているのかもしれない。
 
 でも、眼瞼下垂の手術もしたし、長年、体にはりついていた檻のようなものが、ここで一掃できるのなら、これは私にとってまさしく新たなるスタートとなる出来事なのかもしれない。
 そんなことを考えていたら、足も肩も、こころなしかせいせいしているではありませんか。
 まったく我ながら、呆れるほど、その気になりやすく、単純な性格で、困ったものです。

 

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『マリア探偵社 怪人フェスタ』

2008年03月12日 | Weblog
 (社)日本児童文学者協会の理事代表、川北亮司さんのフォア文庫シリーズの最新作『マリア探偵社』シリーズ16巻「怪人フェスタ」(理論社)が発売されました。巻末の解説を書いているのは私。
 そんなご縁から、ちょっと宣伝を。

 川北亮司さんと私は、同い年の団塊の世代です。
 同じ時代の空気やにおいや風景を体に受け止めながら、大人になってきたわけです。
 でも川北亮司さんの作家としてのキャリアは、私などと比べたらはるかに長いです。早稲田の学生のとき『はらがへったらじゃんけんぽん」(講談社)でデビューされ、それ以来40年近く、作家ひと筋です。
 そしていまや、人気のシリーズをいくつもかかえた人気作家です。
 この『マリア探偵社』シリーズも、すでに50万部突破の人気シリーズです。理論社のHPに掲載されている「マリ探」ファンクラブ会員もすでに10000人を突破しました。

 みなさんご存じのように、川北亮司さんは将棋の先生でもあります。ですから、このシリーズをふくめ、川北さんの作品には確かな論理力が根付いています。

 その論理力に裏打ちされた一筋縄ではいかない、なかなかしぶとい謎を、とっても魅力的なキャラクターである「マリア探偵社」のメンバーが解いていくわけです。その展開を、読者である子どもたちが負けじと解いていくことになります。
 どうです?人気がでないはずがないでしょう。
 
 話はそれますが、川北さんというと私の頭に、ある言葉が浮かびます。
 数年前、せっかちに会改革をと願う私に、彼から言われた言葉です。
「焦らない、焦らない。王手飛車取りなんか狙わないで、歩でこつこつ積み上げながら状況判断していかなくちゃ」
 焦ってその場しのぎになってしまってはいけない。じっくりと先を見通しながら着実に「歩」をすすめよう、という意味です。
 なるほど、さすが棋士です。
 
 人生に焦った気持ちになったとき、私はときどき、川北亮司さんの、この言葉を思い出しています。

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ポジティブ・シンキング

2008年03月11日 | Weblog
 仕事部屋からみえる窓辺に、マーガレットが咲いています。
 愛らしい花びらが、やわらかな風にそよいでいます。
 昔は、マーガレットといったら白のイメージでしたが、こんな艶やかな色のマーガレットもあるのですね。
 
 ハードコンタクト眼瞼下垂のせいで起こっためまいや下肢の疲れが、手術をしたのにまだとれず、「どうして?」と、気が滅入っている私のために、おとといの日曜日、夫が園芸センターにいって、いろいろな花々をたくさん買い込んできてくれました。
 おかげで、私の仕事部屋から見えるベランダの一角は、お花でいっぱいです。
 赤いマーガレットも、そのひとつです。

 昨日は、同じマンションに住んでいて、たまたま同い年で親しくさせていただいているK子さんに、ほんとうにお久しぶりに道でばったりお会いしました。
「もっとひどい顔をしていらっしゃるのかと思ったわ。前とぜんぜんかわらないわね」
 Tさんは、やさしい眼差しでじっと私を見つめると、そういいました。励ましではあっても、うれしい気持ちがしました。
 でも私は、即座に、
「ちっとも、いろいろが改善しないし、不定愁訴は増すばかりで」
 愚痴をこぼしてしまいました。
「更年期みたいなものかしら?、でもそんなのだって必ず治るし。だいじょうぶよ。私ねぇ、あのblogどおりにゆず茶を作ったのよ。すっごくおいしかったわ」
 
 帰宅して、K子さんの美しい横顔を思い出しながら、久しぶりに冷蔵庫からゆず茶を取り出しました。
 どうやらここしばらく、ゆったりとした気持ちでゆず茶を飲もうというような余裕すら失われていたようです。
 
 土曜日には、東洋医学のS先生に、
「これを飲めば、必ず治ります」
と、力強く言われ、2種類の漢方薬も出していただいたし・・・。
 それにゆずの香りは、精神安定の効果がありそうです。
 
 生きるって、結局、これに尽きるのかも知れません。
 ポジティブ・シンキングウ!




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『フュージョン』

2008年03月10日 | Weblog
 友人の作家、濱野京子さんが新作『フュージョン』(講談社)をご上梓されました。
 濱野京子という作家は、実に巧みに物語を作る才能を持った人です。しかし巧みなだけではなく、そこには人間へのシビアで暖かい、まなざしが注がれているのですからたまりません。
 この『フュージョン』は、ダブルダッチという縄跳びに夢中になっていく少女たちの物語ですが、そこに、友だち同士の関係、家族の関係など、それぞれの少女をとりまく人間関係が鮮やかに描かれています。

 先日の日経新聞の夕刊に、文芸評論家の北上次郎氏が、この『フュージョン』について、こんな評論を書いていました。

「2本の縄を飛ぶスポーツ、ダブルダッチに目覚めた中学2年のヤギトモを主人公にしたヤングアダルト小説。少女たちの交流を鮮やかに描いて印象に残る」(原文ママ)

 最初は私も、いま流行のスポーツ小説なのかと思って読み始めました。
 たしかに、ダブルダッチという縄跳びがこの物語の中心にあることは確かです。けれど印象に残るのは、登場してくる人間たちの繋がり方です。
 濱野京子さんらしい人間をみつめる息づかいや、ディテールの描写に、私はいままでのご本のどれより、彼女の、生身の「人間を見つめる目」の確かさを感じました。

 ぜひお読みになってください。

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ベートーベン=チェロ・ソナタ

2008年03月08日 | Weblog
 春らしい陽気です。
 久しぶりに、ベートーベンの「チェロ・ソナタ第三番イ短調」を聴きました。
 
 私は以前『ベートーベン』の伝記を書いたことがあります。いまでもこの本は増刷を続けていて、すでに17~8刷になっています。
「ベートーベン」の伝記といえば、まさに古典ともいえるロマン・ロランの『ベートーベンの生涯』(岩波文庫)が有名です。
 数年前、ベートーベンの伝記を書きながら、私はなんども嗚咽しながら、彼の生涯を文章に綴っていったことを思い出します。
 
 そんなベートーベンの作品は重厚で、とてつもなく深く、絶望に打ちのめされながらも狂おしく人間を渇望する、彼の強い意志を感じます。
 だからベートーベンの曲からは、軽やかさとは別の次元にある、重厚さを感じるのです

 でも、この「チェロ・ソナタ第三番イ短調」は、軽やかです、一見、モーツアルトと聞きまちがえるくらい。
 この曲は、ベートーベン31歳の夏。医者から「耳の病気がひどくなっている。夏のあいだ、どこかのんびりしたところで過ごしたらどうか」と言われ、出向いていったハイリゲンシュタットの村で作ったものです。
 そこには、彼のお気に入りの散歩道があって、緑にあふれたその村でのひと夏は、疲れたこころを癒してくれたのです。
 
 のびのびと優雅な旋律を聴いていると、夏のある日、ベートーベンがどんな気持ちで、その村で過ごしていたのかが、こちらに伝わってくるようです。
 
 手術前の体のストレス。その後のまだ解消しきれていない体のストレス。そんなものから未だ解放されていない私の、焦燥にも似た気持ちを、前へ前へとおし進めてくれるようです。

 
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『信長とまぼろしの安土城』

2008年03月06日 | Weblog
 親しい友人の作家、国松俊英さんが新刊をご上梓されました。『信長とまぼろしの安土城』(ぶんけい)です。
 
 国松俊英さんといえば、いまや日本の子どもの本のノンフィクションでは第一人者でいらっしゃいます。
 ご著書も100冊をゆうに越え、すぐれた創作物語やさまざまな角度からのノンフィクションをお書きになっていらっしゃいます。
 個人的にも、二十年近く親しくおつき合いいただいている、だいすきな友人です。

 私はずっと以前から、国松さんの作品を拝読するたびに、そこから国松さん特有のこだわりというか、美意識を感じておりました。
 抽象的ないい方ですが、その美意識こそが国松俊英だ、と私はひそかに思っておりました。

 ですから新刊をお送りいただいて、いつもわくわくするのはその美意識に裏打ちされた国松さんの問題意識に出会う瞬間です。
 国松さんは、今度はどんな切り込み方を見つけられたのかしらと。

 今回の美意識は、安土城と信長をめぐる、美しく壮大なるロマンチシズムです。
 そう、このご本は、信長が築城したまぼろしの「安土城」をめぐっての歴史ノンフィクションなのです。
 琵琶湖に突き出して築城され、たった3年で明智光秀の手によって焼失させられてしまった、まぼろしの安土城。
 はたして、安土城というのは、どんな城だったのでしょう。
 そして信長はどんな思いで、安土という場所に城を築いたのでしょう。
 どきどきしながら読んでいくと、絡まった糸が次第にほどけていくように、謎が解明されていきます。
 
 その昔、歴史教科書で狩野永徳の「安土山屏風図」についての記載があったことを、うろ覚えに覚えています。
 その「安土山屏風図」が、このように重要な屏風絵だったということを、私ははじめて知りました。
 そしてこの屏風図が、どのように世界を航海し、その後、行方不明になっていったかということも。
 昨年亡くなられた美術史家の若桑みどりさんたちも、その謎を求めてイタリアにいらしたということをこのご本で知り、感慨深い思いがいたしました。
  
 昨年の秋、国松さんから、京都国立博物館にいらして狩野永徳展をご覧になったお話をうかがいました。
「すごくよかったよ」と。
 その狩野永徳の「洛中洛外屏風」が本文の最後に出て行きます。
 この『洛中洛外屏風」は、網野善彦の中世に関する本などにも、いつも多用されている屏風絵です。
 しかしこのご本を拝読し、あらためて、永徳の屏風絵がどれほど時代の風俗や空気、匂いを細密に描写しているのかを知りました。
 
 とにかく、わくわくします。
 このご本を読みながら、私はいつしか、信長の築いた安土城を、異国のモン・サン・ミッシェルと重ねて空想しておりました。
 おもしろいです。ぜひ、お読みになってください。

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日本児童文学者協会・事業部からのお知らせ

2008年03月05日 | Weblog
 数年前まで私も携わっておりました、協会・事業部が担当している児童文学学校のお知らせが事務局から届きました。皆さまのご参加をお待ちしております。

☆第36期日本児童文学学校(受講生募集)

 現在活躍中の作家が講義し、受講生からの提出作品の講評も行います。また提出作品が最優秀作品に選ばれると、隔月刊「日本児童文学」に掲載されます。さらに受講期間中に発行される隔月刊「日本児童文学」(1冊950円×4号分)を受講生全員にプレゼント。さあ、あなたも、未来の童話作家への扉を開こう!

●日程
4/19 児童文学のきょうからあした……那須正幹
5/31 作品講評……最上一平 児童文学きほんのき……国松俊英
6/28 作品講評……小林雅子 発想と材料……牧野節子
7/26 作品講評……藤田千津 私の創作作法……丘修三
8/23 作品講評……高橋うらら テーマとモチーフ……佐々木赫子
9/6 作品講評……中野幸隆 魅力あるキャラクターの作り方……村山早紀
10/4 こんな作品探しています(編集サイドからのアドバイス)……長谷総明(くもん出版)

◆時間 1:30~4:40(4月は1:45~4:00、10月は2:00~4:30)
◆受講料 34,000円 (日本児童文学者協会員は31,000円)
◆会場 日本フラワーデザイン専門学校(JR高田馬場駅徒歩3分)
◆定員 50名(定員になり次第締切)
     ◆申込方法 現金書留にて、氏名、住所、電話番号、年齢を書き添えて、協会事務局までお送り下さい。(〒162-0825東京都新宿区神楽坂6-38中島ビル502 (社)日本児童文学者協会・学校係)
 ◇作品講評について
作品講評は、作品の用意ができる方に提出いただくものです。(作品を提出されなくても受講できます)希望者は4/19に受付に提出してください。1人1作品400字詰原稿用紙10枚以内です。
◇最優秀作品、優秀作品について
最優秀作品と優秀作品は、全提出作品の中から選ばれます。(作品講評を受けない作品提出も可)修了式にて発表します。また最優秀作品は、隔月刊「日本児童文学」に掲載されます。

※児文協のホームページ(http://www.jibunkyo.or.jp)でも内容の紹介してます。
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抜糸

2008年03月03日 | Weblog
 今日は抜糸のために、お茶の水に行ってきました。
 つっぱった感じが幾分、楽にはなりましたが、まだ相変わらず、瞼はぷーっと腫れたままです。
「ひと月かけて、ゆっくり正常な目の形になっていきます」
 執刀してくださった先生は、抜糸をしながらそうおっしゃっていました。

 先日、作家のGさんから電話をいただきました。手術のことを話したら、彼はすっかり仰天したような声でこう言いました。
「えっ!カトウジュンコ、少女漫画のような、ぱっちりキラキラの目にしちゃったわけ?」
「まさか!病気になる前の目にもどっただけ」
 整形と勘違いしたような彼の反応に、私はあわてて言い訳しました。
 といいつつも、どんな目になるか完成形を私は知りません。
 
 腫れがひくのを待ちながら、日々変化していく自分の眼に、一喜一憂しながらナーバスになりつつ、ひと月を過ごしていくなんて、馬鹿げているかも知れません。
 もう結果は腫れた瞼の下に出てしまっているのですから。観念するしかなさそうです。
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夢見月(ゆめみづき)

2008年03月01日 | Weblog
 今日から弥生三月。
 
 桜の花のことを別名、夢見草と言うそうです。
 昔から日本人は、桜にどんな夢を見ていたのでしょうか。
 そんなところから、春の気配の感じられるこの季節のことを、夢見草の咲く、夢見月との異称があるらしいです。

 仕事部屋の窓辺に見えるベランダのプランターでも、パンジーがいっぱいの花をつけて、咲き誇っています。
 冷たい北風をのりこえ、何回かの雪をやりすごし、パンジーとしてのプライドを守って、ちゃんと冬を乗り越えたわよ、とでも言いたげな、つんとした表情を浮かべて。
 私はそんなパンジーたちを、胸をときめかせて眺めています。
 
 春めいてきてこんなふうに胸がときめくのは、あるいは夢見月と呼ばれる、この季節のせいでしょうか。
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