『哲学・論理学原論〔新世紀編〕──ヘーゲル哲学 学形成の認識論的論理学』(南郷 継正 著 現代社......以下『哲学・論理学原論』と略す)を読んだ。自身の学びの示唆をいただけたと感謝の気持ちでいっぱいである。
『哲学・論理学原論』をざっとではあるが、自身の大きく理解を超える部分は読み飛ばすという意味で、全体を読み通した。
当初は難解極まる、と思えたものも読み進むうちに、なんとなくこんなことを説いていただいているのでは?と思えるようになって行き、これはおそらくは、南郷先生の説かれかたが、自身の如くの幼稚園レベルの者にも分かる段階をも含んだところの重層性を持っての説かれかたゆえなのであると思うのだが、自身の前著作までで理解できなかったことをわかりやすく説いていただくとともに、自身の学びの示唆となることをも至る所で説いていただいている、との思いとなっていって、最後には、読み終わるのが勿体無いとの思いにまでなっていっての読了であった。
例えば、「古代ギリシャでの星座の誕生の謎解き」は、古代中国での脈診の誕生の謎解きそのものと思え、興味深く読めたし、自身の東洋医学の学びの全体像のアバウトなイメージが、説いていただいている「ヘーゲルの描いた学的世界地図」(=絶対精神→自然・社会・精神→絶対精神)と重なって思え、「これでいいのだ!」とそのことへの確信が持てたこと(自身のイメージするスタートと到達点は絶対精神では無くて、南郷先生の武道哲学なのだが……ここは改めて説きたい)等々、自身の東洋医学の学び、のみならず弁証法、認識論や手技療法術等についても、その学びの示唆をいただけたと、『哲学・論理学原論』を執筆・発刊いただけたことに感謝の気持ちで一杯である。
再読、再再読の上で改めての感想?を……と思う。
『哲学・論理学原論』をざっとではあるが、自身の大きく理解を超える部分は読み飛ばすという意味で、全体を読み通した。
当初は難解極まる、と思えたものも読み進むうちに、なんとなくこんなことを説いていただいているのでは?と思えるようになって行き、これはおそらくは、南郷先生の説かれかたが、自身の如くの幼稚園レベルの者にも分かる段階をも含んだところの重層性を持っての説かれかたゆえなのであると思うのだが、自身の前著作までで理解できなかったことをわかりやすく説いていただくとともに、自身の学びの示唆となることをも至る所で説いていただいている、との思いとなっていって、最後には、読み終わるのが勿体無いとの思いにまでなっていっての読了であった。
例えば、「古代ギリシャでの星座の誕生の謎解き」は、古代中国での脈診の誕生の謎解きそのものと思え、興味深く読めたし、自身の東洋医学の学びの全体像のアバウトなイメージが、説いていただいている「ヘーゲルの描いた学的世界地図」(=絶対精神→自然・社会・精神→絶対精神)と重なって思え、「これでいいのだ!」とそのことへの確信が持てたこと(自身のイメージするスタートと到達点は絶対精神では無くて、南郷先生の武道哲学なのだが……ここは改めて説きたい)等々、自身の東洋医学の学び、のみならず弁証法、認識論や手技療法術等についても、その学びの示唆をいただけたと、『哲学・論理学原論』を執筆・発刊いただけたことに感謝の気持ちで一杯である。
再読、再再読の上で改めての感想?を……と思う。