青空に刷毛で掃いたような薄雲が拡がる土曜日の朝10時。奈良・桜井の駅に草津、長岡、芦屋、城陽から遠来の友人が集まりました。駅を降りるとまずハイカーの数の多いことに驚きます。電車から吐き出されたグループが幾組も続々と出発していきます。私たちはこの駅北口から、秋の「山の辺の道」へスタートしましたが、南出口からは飛鳥の方へ向かう人も多かったようです。
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「山の辺の道」は、大和青垣の山麓を桜井から奈良に南北に走る古代の官道です。今日はその景観を良く残している桜井の海石榴市と天理の石上神宮間のうち、長岳寺までをのんびり歩きます。いつも車で走り抜ける桜井市街地の路面にも所どころ、このような「山の辺の道」の道しるべがあります。
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前方に美しい三輪山、右手に耳成山、御破裂山、ひときわ高い音羽山などを見ながら、中和幹線の下を潜り初瀬川の畔にある「仏教伝来の地」標識に来ました。この辺りから現在の金屋集落にかけての「海石榴市」は、古代の陸路・水路の交わる物資の集散地で、定期的に市が立って栄えたところです。駅から約30分、ようやく「山の辺の道」に入ります。
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「金屋石仏」はコンクリート製の立派な収蔵庫に安置されています。左が釈迦如来、右が弥勒菩薩。平安末期から鎌倉期に、泥板岩の石棺の蓋に彫られた美しい仏像です。
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山裾の雑木林や竹林の中を行くと、短い石段の上に赤い門があり、潜ると「平等寺」の境内に入りました。正面に本堂、右手に美しい三重塔が立っています。左手が山門で手前に大きな聖徳太子像が立っています。このお寺のことは二人とも以前歩いた時の記憶にないので帰宅後調べてみました。Wikipediaによると、もとは聖徳太子が開基と伝承される三輪明神(大神神社)の別当寺(神宮寺・神社を管理する寺院)でしたが、明治初年の神仏分離令によって廃寺となり、以後は堂塔は破壊され仏像は翠松寺に移されて石垣だけが残っていたようです。現在の形に復興したのは、1977年(昭和52年)で現在は曹洞宗のお寺になっています。(撮影:イノッチさん)
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しばらく行くと「大神(おおみわ)神社」の境内に入ります。大和国一之宮で日本最古の神社の一つです。背後の三輪山そのものがご神体なので本殿はありません。手水舎で手や口を清めて拝殿へ参拝しました。土曜日の境内は七五三参りで着飾った子供連れで賑わっていました。その右手でお神酒のご接待を受けました。
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万葉集で「三輪」の枕詞を「うまさけ」というように、三輪さんはお酒の神様でもあるのです。「巳の神杉」の前には14日の酒祭り(醸造安全祈願祭)を控え、全国から奉納されたお酒がずらりと並んでいました。
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「くすり道」から摂社・狭井神社へ向かい、参道入り口で左の「大美和の杜」の展望丘に登りました。大和平野に浮かぶ大和三山、三輪さんの大鳥居も小さく見えています。その背後に金剛、葛城から二上山に続く山並みは、今日は残念ながら少し霞んでいます。背後には三輪山が大きく圧し掛かるようです。大展望を楽しみながらお弁当を開きました。チカ姫さん、お心尽くしのお料理ありがとうございました。
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食後は狭井神社へ参拝。白い襷をかけてお山への登拝を終えた人が、次々と降りてきます。拝殿横の御香水を頂いて、午後のハイキングをスタート。しばらく進んで狭井川を渡り、貴船神社を右に見ると岩坪池という大きな池の下を通ります。紅葉が美しいので池の畔まで登ってみました。元の道に帰り、柿畑の中を抜けると石畳の道になり、石垣の上に白壁の続く「玄賓庵」の前を通ります。平安時代の高僧・玄賓が遁世して庵を結んでいたところと伝えられ、謡曲「三輪」では玄賓僧都が三輪明神の化身である美女に仏縁を結ばせる話の舞台となっています。枯山水のお庭を横目に先を急ぎます。
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この辺りは万葉集で「三輪の桧原」といわれていいたところで、三輪山の山裾を回るようにして歩くと左手(西側)の展望が開ける台地上の「桧原神社」の境内に入ります。大神神社の摂社で崇神天皇が天照大御神を祀ったところで、第一番目の「元伊勢」(宮中で祀られていたアマテラスを伊勢に移すための仮宮)といわれています。大神神社の拝殿奥深くにあるのと同じ「三ツ鳥居」が見られます。
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思いがけず丸さんの元先輩が桜井市のボランティア・ガイドをなさっていて、三ツ鳥居の謂れなど珍しいお話を聞くことができました。この神社のご神体は三輪山の磐座なので本殿も拝殿もなく、この三つ鳥居から参拝します。また、正面のしめ縄を張った鳥居の真西に二上山が見え、秋分の日には雄岳と雌岳の間に沈む夕日が見られるそうです。淡路島の伊勢の森、堺の大鳥神社、二上山から、太安万侶を祀る多神社、ここ桧原神社、さらに伊勢の斎宮跡から神島に続く「聖なる太陽の道」北緯34度32分の地図や写真も見せて頂きました。
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ここからは左右にたくさんの果樹畑があります。ミカンや柿、新鮮な野菜などを売る店や無人の小屋が散在しています。我がパーティもお買物上手な奥様ぞろいで、ついつい荷物が増えていきます。道はいったん東に向かい、ミカン畑の黄色と鮮やかな紅葉の上に万葉で「弓月が岳」と歌われた巻向山の姿を仰ぎます。
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巻向川を渡ると車の多い県道を再び西に折り返し、ちりめん細工のお店「山桃梅(ゆすらうめ)」の手前で再び細い道に入ります。この辺りは「穴師」と呼ばれるところで古いお地蔵さんや民家の間の狭い道を通り、竜王山を見ながら北に歩きます。神話の里「神籬(ひもろぎ)」の標識で20mほど寄り道しましたが、ミカン畑の中の小さな囲いの中に石標があるだけでした。景行天皇陵北側の池の側のイチョウが美しい黄色に染まっています。
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櫛山古墳を右に、崇神天皇陵を左に見て北別所に入りました。最後の目的地「長岳寺」は、このBLOGにも再三登場する「釜の口のお大師さん」です。ちょうど秋の「地獄絵」が御開帳中で、駐車場には観光バスまで入り大賑わいでした。残念ながら住職の「絵解き説法」は終わっていましたが、本堂で狩野山楽筆の大地獄絵を鑑賞後、ゆっくり境内を散策しました。これは紅葉に囲まれた放生池を隔てて見た本堂です。
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庫裡で名物の「にゅうめん」を頂きました。しばらく待った甲斐があって、なかなか結構なお味でした。お寺を後にして根上り松を見ながら上長岡バス停に急ぎ、1時間に1台のバスで天理駅に出て解散しました。途中、すこし怪しくなった空模様も杞憂に終わり、楽しい仲間たちとのんびりと歩けて充実した秋の一日でした。