ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

伝説の山の花

2015-09-07 15:46:16 | 四方山話

1 クロユリ(1)



戦国の世、信長の信任を経て五十四万石の富山城主となった佐々成政は、本能寺の変後、秀吉と対立して、雪のザラ峠を越えて浜松の家康に援軍を求めます。しかし色よい返事は得られず、再びアルプスを越えて帰城した彼は家臣が不愉快な話を聞かされます。
 それは寵姫の小百合姫と中小姓・熊四郎が彼の留守中に不倫したということでした。激怒した成政は「身に覚えがない」という小百合姫の言葉を信じず、姫は一族とともに神通寺川畔の榎に逆さ吊りにして斬り殺されます。
 断末魔の姫は「立山にクロユリが咲けば、必ず佐々家を滅亡させる」と恨んで亡くなります。クロユリはこんな不気味な伝説の花です。 

2 クロユリ(2) 



秀吉の大軍に富山城を囲まれた佐々成政は、頭を丸め墨染めの衣を着て和を乞い、許されて二年後には肥後一国を与えられます。彼は秀吉のご機嫌伺いにと、正妻・北政所に加賀白山のクロユリを取り寄せて贈りました。
 北政所は日頃の意趣晴らしに、淀君に「この天下の珍花を見せて、鼻を明かしてやろう」と茶会を催します。ところが淀君は活けられた花を見て「これは珍しい。滅多に見られぬ白山の黒百合」と言ったので、北政所の怒りは「二股をかけた?成政」に向けられます。
 しかし、真相は淀君が困らぬように、師匠の千利休が娘を通じて、あらかじめ教えておいたということです。 

3 ミズバショウ、クガイソウ、ヤナギラン



有峰の近く亀谷(かめがい)には天正年間、銀山が発見され、最盛期の慶長から元和年間には数千軒が密集し、数千人の遊女が工夫を慰めていました。そんな或る日、山師の大山左平次らの宴席に見知らぬ三人の美女が現れ、工夫がいつものように戯れようとすると姿を消してしまいました。
 その後、鉱山は廃れ、その跡に今まで見なかった美しい三つの花、ミズバショウ、クガイソウ、ヤナギランが咲きだしたと伝えられています。

4 ヤマアジサイ



雪倉岳の麓・小谷村に手巻という美しい娘が母と住んでいました。ある日、母の薬を貰いに行ったまま帰らず、村では総出で探したが見つからず、峠近くの川縁に彼女の櫛が落ちていただけでした。
   村人は「送りオオカミに喰われた」と噂しました。何年か後、櫛の落ちていた辺りに美しいヤマアジサイの花が咲き、娘の命日に散っていきました。その後、オオカミは姿を見せなくなりました。

5 シラネアオイ



五竜岳の麓、四ヶ庄村の猟師、茂一には自慢の娘「ゆき」と老練な愛犬「アカ」がいました。ある雪の日、カモシカ猟に出たアカは漁場に行く途中、雪崩に会い死んでしまいます。
 それを聞いて探しに行った「ゆき」も同じ場所で雪崩に会い亡くなります。やがて雪が解けて娘と犬の遺体が見つかり、その後には美しいシラネアオイが咲きました。

6 トリカブト 



北海道にモリというアイヌがありました。湖を隔てた隣村との争いが絶えず、村長は相談の末、智勇優れた若者を使者に送ることにしました。
 ところがこの壮挙を喜ばないのが若者の恋人、村長の娘でした。船出の時、半狂乱になった娘を血涙を払って村長が切り捨てると、真っ赤な血潮が辺りの飛び散りました。その後に生えたのがトリカブトでした。

7 コマクサ(1)



昔、木曽の御嶽を登る行者が激しい腹痛に襲われました。一心に般若経を唱えていると一羽の雷鳥が現れ、導かれて田の浦(今の田の原?)に来ると雷鳥は樹に止まり羽根を休めました。行者が足元を見るとそこには世にも美しい花がさいていました。
 
行者が試みにそれを噛むと気分が爽快になり、あれほど苦しんだ腹痛も嘘のように収まっていました。それ以来、このコマクサとキハダの皮から出来た「お百草」は霊薬として有名になりました。

8 コマクサ(2)



浅間山の麓、小諸に「お駒」という母と「お市」という娘が住んでいました。ある日、お市は病を得て、八方手を尽くしても治りません。お駒は知人に勧められて木曽の御嶽に登り、御嶽神社に娘の治癒を一心に祈願したところ「頂上に咲く美しい桃色の花の汁を飲まよ」という神のお告げがありました。
 娘は快癒し、誰云うともなくこの花は「お駒草」という名になりました。

9 リンドウ 



ある冬の日、役小角(役行者)が日光の奥山を歩いていると、一匹のウサギが雪の中からせっせと草の根を掘り出していました。行者が聞くと兎は「主人が病気なので薬草を取りにきた」と答えて草の根を咥えて跳んで行きました。
 小角が持ち帰り、煎じてみると薬効があることが分かり、健胃、強壮剤として今に伝えられています。
  このウサギは二荒神の化身だったといわれています。

10  オトギリソウ 



平安の昔、晴頼(せいらい)という鷹飼いがいました。タカが傷つくと何処からか薬草を取ってきて、その汁で傷を治していました。決して他人には教えなかったその草を、弟が私すべきではないと草の名を他言してしまいました。(他の鷹飼いが弟を女で誘惑したという説もあります)。
 激怒した兄が弟を斬り殺したことから、この名が付いたと「和漢三才図会」に名の由縁が載っています。

*信濃路社「北アルプス夜話」他を参考にしました。写真は画像加工.comで処理しています* .