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大台ケ原周辺は年間雨量500ミリを超える日本有数の豪雨地帯で、そのためトウヒ、ブナなどの鬱蒼とした原生林に緑のササやコケが生育して、美しい自然風景を醸し出しています。春のシャクナゲ、秋の紅葉、黄葉の素晴らしさでもよく知られています。「世界の名山・大臺ヶ原山」(大正12年大台教会発行)によると、山上に広大は高原をもつことから、昔は大平原(おおたいらはら)と呼ばれていたのが、いつしか大台と書かれるようになったようです。また大和、伊勢、紀伊の三国に跨ることから三国山と、また眺望の素晴らしいことから国見山とも呼ばれていました。
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大台ヶ原山は巴岳や三津河落山など周辺の山々の総称ですが、その最高点が日出ヶ岳(1695m)です。熊野灘に臨み、日の出を見るのに相応しい山としての名を持ち、山頂からは大峰山脈の主要な山々を一望、冬季の晴れた日には富士山や御岳も見ることができます。
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かっては筏場道、尾鷲道(現在は廃道に近い)が大台ケ原への登路でしたが、今はドライブウェイ終点の山上駐車場からスタートするのが普通になっています。上北山村物産販売所とビジターセンターの間の道を入ると心・湯治館(宿泊施設元大台荘)を過ぎて、すぐ右に尾鷲の辻に通じる中道、その先で苔鑑賞路が別れます。しばらく林の中の平坦な道を行き、いくつか流れを渡ると整備された登り道になって稜線の鞍部、熊野灘の見える展望三叉路の展望台に出ます。
右は東大台周回路ですが、左へ急な木の階段を登ると三角点があり、横に休憩所を兼ねたコンクリート製の展望台がある山頂です。
駐車場から40分ほどで、屋上に登れば360度の大展望が待っています。
(82)大杉谷 「関西の黒部」
大小の瀑布と深い淵を連ねた9キロにわたる美しい渓谷、冠松次郎が「関西の黒部」と絶賛した大杉谷。本来は三重県側から入山して途中、桃の木山荘で一泊して日出ヶ岳を目指すのが本来のルートでしょうが、ここでは、日出ヶ岳から東に派生する尾根を下った時の様子をご紹介します。
*現在、通行は可能ですが、入山期間が4月24日~11月23日(2015)と定められ、台風などの影響で危険な場所もあるので、十分な注意が必要です。また例年、ダム湖の水位によっては連絡船が運行されないなど、交通の便が非常に悪いので、必ず最新の情報をご確認ください。*
日出ヶ岳山頂を下るとミネコシという小ピークを越えてシャクナゲ平にでます。ここからシャクナゲ坂の下りは、花の時期には顔が染まるほどの見事さです。堂倉避難小屋を過ぎて、最後は少し石段を下ると大台林道にであいます。
さらに尾根道を下ると大杉谷で最初の、落差20mの堂倉滝に出会います。吊橋を渡り、対岸に見える与八郎滝、姿を見せぬ隠滝を通り、次の吊り橋で光滝の上に出ます。
坂を下って光滝を見て、水際の岩の道をいくと七ツ釜吊橋です。
ここから滝見小屋までの下りは悪場の連続です。
七ツ釜滝は「日本の滝百選」に選ばれた、大杉谷で一番の見どころです。名の通り七つの滝がかかっていますが、見えるのはそのうち三つです。しばらく岩壁の道を下ると桃の木山荘が建っています。
翌日は山荘の前にかかる吊り橋を渡り、不動滝のかかる不動谷出合を過ぎて嘉茂助吊橋に来ます。ここから平等クラを仰ぎ、長い平等クラ吊橋を渡ると、
次に出会うのはニコ二コ滝。
その先の猪(しし)ヶ渕では河原に降りて、水面に周囲の岸壁や緑を写す美しい眺めで一休みできます。
さらにアップダウンの連続で、大杉谷最大の135mの落差を持つ千尋滝を仰ぎます。
京良谷出合で再び河原に降りた後は、更にいくつかの吊り橋を渡します。
最後は大日の岸壁をくり抜いた、下を見ると恐ろしいほどの道を通って宮川発電所の立つダム湖登山口、500mほど歩くと乗船場です。ダム湖を船で渡れば30分ほどですが、ある年、船に乗れず、くねくねと湖岸を巡る道を歩いたことがあります。大杉バス停まで2時間近くかかりました。
(83)大蛇クラ「絶壁の上の素晴らしい展望」
日出ヶ岳から正木ヶ原、牛石ヶ原、大蛇クラを経てシオカラ谷吊橋から駐車場へ回るコースが「東大台周回路」です。
休憩を含まない所要時間は約3時間半ほど。大蛇クラはその中の名勝の一つですが、日本山岳会編「新日本山岳誌」で大台ケ原山と並んで一項を立てているのに倣いました。
日出ヶ岳から展望三叉路に下ると、行く手には木の階段道が続いています。
この階段は鹿による食害と登山道保護のために設置されたのですが、最初は人工的な空中回廊の出現に「二度とくるか」と憤りさえ感じました。しかし、年月の経過とともに周りの景観とも少し溶け込んできました。
シロヤシオの花を見ながら階段を登り切ると正木辻で、ここから正木ヶ原にかけては、立ち枯れたトウヒの白骨林が特異な景観を見せています。
明るい笹原の正木ヶ原に下るとシカの遊ぶ姿も見られます。中道と合流するところが尾鷲辻で休憩所があります。
針葉樹の林を過ぎて次に開けたところが牛石ヶ原。金の鳶を乗せた弓を持つ神武天皇像が立ち、道を挟んで牛石があります。
昔、高僧が様々な妖怪を封じ込めたという伝説もありますが、「世界乃名山・大薹ヶ原山」では『伝説して神武天皇御小憩の跡なりと云ふ、巨石あり、形臥牛に似たりこれ地名の出る所似なり』と、
「和州吉野郡群山記」では『…牛の形のごとし、ただ一石至って大なり。色黒し。』と記されていて、どちらにも怪物の話は載せられていません。
石畳の道を行くとシオカラ谷へ下る道を分岐して、直進すると少し下りになり大蛇クラの岩頭に立ちます。大蛇クラの名の由来については「和州吉野郡群山記」に『この処、大蛇を封じ籠めし所と云ふ』とあります。ここからの眺めは素晴らしく、正面には西大台の竜口尾根の起伏の上に大峰山脈、約800m下に東ノ川の流れ、右手には蒸篭クラ、千石クラの大絶壁の奥に西ノ滝、中ノの滝が白布をかけています。
大パノラマに満足して分岐に帰り、シャクナゲ林の急坂を下り終えるとシオカラ谷の清流に出ます。吊橋を渡ると整備された急坂の道を、途中で少し平坦な道を挟んで駐車場へ登り返します。
<付録>大蛇クラの伝説 大台ヶ原山は尾鷲辻の名が残るように、古くから紀州からの海産物などを「熊野物」として大和に運ぶ通商路があるなど、廃道になった今と違って、尾鷲湾周辺の村々と行き来の盛んなところでした。
昔、紀州船津村の猟師、六兵衛は大蛇クラ近くに小屋を作り、網すきに使う「スクリ」の木を集めていました。ある夜、焚火の横でスクリの皮を剥いていると、四十歳くらいの女が立っていて「ご飯をくれ」といいます。お櫃の麦飯を空にした女は次に「酒をくれ」といって、六兵衛の五升樽を飲みだしました。