ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

奈良の山あれこれ (114)~(116)

2016-03-10 10:28:28 | 四方山話

*このシリーズは山行報告ではなく、私のこれまで登った奈良の山をエリアごとに、民話や伝説も加えて随筆風にご紹介しています。季節を変えたものや、かなり古いもの写真も含んでいます。コース状況は刻々変化しますので、山行の際は最新の情報を入手されますようお願いします。*

大峰山脈と周辺の山々

(114)行者還岳(ぎょうじゃがえりたけ、ぎょうじゃかえしたけ)<1547m> 「役行者も引き返した峻険な山」



七曜岳から鞍部にくだった奥駆道が、次に登り返すのが行者還岳です。大台ヶ原から見ると烏帽子型の峰が、南に倒れかかったような特異な姿をしています。これは山頂の南側が垂直の断崖となって落ち込んでいるためで、その険しさに役行者でさえ引き返したという言い伝えが山名の由来です。西行の『山家集』に「屏風にや心を立てておもひけむ行者はかへりちごはとまりぬ」の歌があります。この歌の前に「屏風立て」という地名がでてきて、この難所を思い悩むであろう「宿」として「ぎょうじゃかえり」と「ちごとまり」の名を記しています。「屏風立て」は七曜岳から弥勒岳にかけての岩場を指すのでしょうか。
 天川村と上北山村を結ぶ道は、かっては行者還岳を南に下った「北山越」(天川辻)で大峰山脈を越えていたましたが、現在は国道309号線がさらに南の「行者還トンネル」で両村に通じています。



1998
年9月、天川村側の神童子谷と布引谷の合流点・大川口から関電巡視路を登りました。吊橋を渡りヒノキ林の中を急登。ジグザグを繰り返して4つ目の鉄塔の立つ小さなコブから尾根を登り、右に捲くように進んで涸れた沢を三つほど越します。



苔むした岩や倒木が多く、深山幽谷の趣でした。危なっかしい桟道をいくつか通り、尾根を緩く登ると、自然林の中に行者還小屋の青い屋根が見えました(その後、2002年改築)。大峰奥駆道(縦走路)に出て北へ行くと、すぐ岩盤に細い滝のかかる水場があり、その右の長短3つのハシゴを登り、笹原の急坂を登ります。



林に囲まれた小台地に三角点(1546m)と大きな錫杖の形の山名板がありました。正面に弥山などが見える筈でしたが、この日は小雨模様で無展望でした。2005年、奥駆山行のときも雨の中で、つくづく展望にはついていない山です。


*しばらく大峰の主稜を離れて周辺のピークをご紹介します。*

(115)鉄 山(てっせん)<1563m> 「大峰の大展望台」



弥山北方支稜に連なる岩稜の山。雌雄二山からなり、雄岳は別名・三ツ塚と呼ばれています。山頂は樹林に囲まれていますが、弥山への縦走路を南へ歩き、小さなピークを二つ越した台地は大峰山系の大展望台です。2002年10月、日本山岳会の先輩、同僚の6人でこの山に登りました。




河合から行者還林道に入り、川迫川に沿いに登った神童寺谷出合が登山口です。水位観測塔に架かる橋の途中から左の山腹に取り付き、壊れかけた木の梯子や朽ちた桟道を30分ほど登ると明るい台地に出ました。目の前にバリゴヤノ頭が大きく、眼下の川迫川を挟んでトサカ尾山が左に頭を傾げています。尾根に取り付くと再びブナやヒメシャラ林の中の急登。急な岩稜を今にも切れそうな古いロープや岩を頼りに登りました。やや勾配が緩み、二度、大きな倒木を越えていきます。再び急登になり、1251mピークを知らない内に通過すると、展望が開け広い台地に出ました。背の低いクマザサの中に白い岩が散在し、まるで公園のよう。川迫ダムの上に金剛・葛城の山並みが青く浮かんでいます。

バリゴヤノ頭の背後には、ずらりと大峰の山々。行く手には目指す鉄山の雌雄二峰、その左には弥山が手の届く近さに望まれます。シャクナゲやモミの木の根が網の目のように絡み合ってたところを、梯子代わりに登ると雌岳のピークです。少し下り、支点がぐらぐらする急勾配の鎖場を登り切って雄岳(三ツ塚)の狭い頂上に立ちました。



樹林の中で、展望は僅かに稲村ヶ岳周辺だけでした。南の弥山への縦走路に入り、急傾斜を10分ほど降って正面に見える薄緑色の台地を目指します。コルに降り、背の低い小笹の道で小さなピークを二つ越し、更に緩く登ると、ヒカゲノカツラや芝のような草の生えた開けた台地に出ました。振り返ると、紅葉した林の上に鉄山がほぼ此処と同じ高さに見え、その背後に大日岳、稲村ヶ岳、山上ヶ岳、大普賢岳、行者還岳から弥山に続く稜線、その上に大台ヶ原がくっきりと浮かんでいます<最初の写真>。期待以上の大展望にすっかり満足して、元の道を引き返しました。

(116)天和山(てんなさん)<1285m> 「大展望ながら不遇の山」



大峰山系支脈にあるこの山の名前は、森沢義信氏の「奈良80山」(青山社刊)で初めて知りました。日本山岳誌(日本山岳会編)では選出されず、コンサイス版日本山名辞典には所在地(天川村と大塔村の境)の他は「大峰山脈の西斜面にある」と記されているだけです。「奈良80山」には『天和山は既刊書でも紹介されているが、登る人は多くない』と記されていますが、私の知る限り、殆どのガイドブックには触れられていない不遇な山です。「80山」には『しかし(中略)山頂に至れば、そこは谷一つ隔てて弥山・八経・明星ヶ岳がせまる絶好の展望台で、その景観には誰もが圧倒される。』と記されています。

2002年11 月、日本山岳会の4人で登りました。9時半、天川村和田の発電所の前から天川支流にかかる小橋を渡り、杉林の中に伸びる木材搬出用モノレールの横を登ります。やがて軌道を離れジグザグの登りとなり、数えて三番目の鉄塔を過ぎると、左に川瀬峠に通じる山腹を捲く道が分岐しました。この道は帰りに通ることにして、右の尾根上に出る急坂を登ります。



四番目の鉄塔が建つ展望場所から振り返ると、紅葉が美しい五色峰の向こうに、大天井岳あたりの稜線がくっきりと浮かび上がっていました。ここまでちょうど1時間、しばらく展望を楽しんで尾根道を行きます。左



手が深く切れ落ちたガレ場があり、ロープが張られていますが、足幅だけの崩れやすい踏み跡で、やや緊張しながら通過しました。1183mのピークは疎林の中で展望も少ないので、左に90度折れて自然林の中、クマザサの気持ちのいい尾根道を辿ります。川瀬峠過ぎてしばらく登ると、天和山の頂上で、ちょうど正午に着きました。



少し東側の台地からは、『頂上では木の間からチラホラ見えていた景色が、ここでは遮るものなく展開する。大日岳、稲村ヶ岳の右に頂仙岳、頂上付近に白く雪を付けた弥山、八経ヶ岳、さらに釈迦ヶ岳へと続く稜線が見渡せ‥(山日記より)』期待に背かぬ大展望に満足しました。