ペンギン夫婦の山と旅

住み慣れた大和「氷」山の日常から、時には海外まで飛び出すペンギン夫婦の山と旅の日記です

はだれ雪・高取山(2014.03.11)

2014-03-13 20:46:00 | 山日記

壺阪寺の拝観を終えて高取山へ向け歩き出したのは10時40分。車道を10分ほど歩くと五百羅漢への石標があります。手前の石柱は慶長九年(1604)のものと言われ、「香高山二町」の文字と種字、弘法大師像が浮き彫りにされています。車道はこの先、壺坂峠で吉野への道と分かれ山頂近くまで通じています。

少し急な山道を登ると五百羅漢に出会います。巨岩に彫られた小さな羅漢像はよく見ると一体一体が顔の表情や姿態が異なっていて、何度見てもなかなかの迫力です。ここは壺坂寺の奥ノ院と言われたところで、左下には両界曼荼羅が彫られた岩があり、また直進する「五百羅漢遊歩道」には羅漢だけでなく様々な如来、菩薩、天部の石仏が点在しています。前にゆっくり見ていますので、今回は割愛して右に登ります。

急坂を過ぎると左からの「遊歩道」と合って、しばらくは緩やかな道を行きます。この辺りから疎らに残った雪が見えるようになりました。道が再び急になり、やがて深くえぐれた溝状の処を過ぎると車道に出合い、右には無線塔のあるピークがあります。

 

すぐに山道に入り、しばらく行くと「史跡高取城址」の大きな石柱が立ち、その先を右に登る八幡神社に通じる道がありますが、ここも今日は直進して緩く下って小さな広場にでます。再び車道と合流した処に城の案内図があり、ここから日本三大山城の一つ高取城址に入ります。

急な登りを行き城の石垣が見え始めた頃、下って来る男性に出会いました。今日3人目です。「紅葉や桜の頃と違って今日は人が少ないなあ」と話し合いながら歩き、この雪の付いた広い木の階段を登ると壺坂口中門跡です。

三の丸門址で左の高取からくる道とT字型に交わって右に折れます。ここで女性二人に出会いました。本丸に近づくと賑やかな人声が聞こえ、ちょうどお昼時で山の会らしい大グループを始め、大勢の人が食事場所を求めていました。私たちは静かな一角の天守址に登ります。予想通り三角点(583,9m)の立つ山頂は貸し切りでした。真っ青な空の下で金剛葛城の山々を見晴らし、暖かい日差しを浴びながらお握りを頬張りました。熱いお茶が何とも美味しかったです。

30分ほどで腰を上げて下山します。これは二の丸・太鼓櫓址。雪が溶け出して、足元が少しじめつくところが多くなりました。三の丸址を直進して高取の方へ下る辺りは特にぬかるんでいました。しかし、千早門跡、宇陀門跡と下るにつれ登山道が整備され、砂を入れたり段差をなくしたりと歩きやすくなっています。今日も作業されている何人かの人に出会いました。背負子で重い資材を担ぎ上げられた様子に頭が下がります。

柏森への道を分ける二の門跡の辻には猿石がどっかり腰を下ろしています。猿石は明日香の吉備姫皇女慕にあるものが有名ですが、ここの猿石も同じ場所から運ばれたものと言われています。また猿石は「猿」ではなく「渡来人」がモデルと言われますが、これは明日香のものに比べると猿石の名がぴったりの面構えです。この道を下るのは何と76年の秋以来、実に38年ぶり…しかし、このお猿さん?がここに座っている歳月から見ると、ほんの短い間の再会に過ぎないでしょう。

岩屋不動への道を分け、米一升のボーナス支給でへたった人夫を励ました一升坂を下ります。左手の谷沿いに植樹の終わった桜が並んでいます。何年か後には見事な桜並木が見られることでしょう。午後になっても、登ってくる人に何人も出合います。「町家のひな巡り」のあとで登る人も多いようです。七曲りでは、登山靴を履いた幼い女の子がお母さんと登ってきました。立派な山ガールに成長しますように…。山道が終わり、道が広くなると左手に高取藩主植村氏の菩提寺・宗泉寺があり、幅広くなった高取川を右手に見下します。

舗装された道をどんどん下ると、黒門(高取城第一門)跡を過ぎて本丸から1時間で上子島砂防公園にでました。あと高取町中心部までは2キロほどありますが、近くに「ひなめぐり77番」の標識がありましたので、今日の山歩きはここまでにして「高取町家のひなめぐり」に移ります。


壺阪寺参詣(2014.03.11)

2014-03-12 09:35:59 | Weblog

高取の「町家のひなめぐり」を見がてら、高取山に登ろうと出かけました。朝から晴れ上がって冷え込みましたが、日差しの強さはすっかり春です。いつもはマイカーですが、今日は電車で壺阪山駅へ行きました。たくさんの人がこの駅で降りましたが、壺阪寺行きのバスに乗ったのは私たちの他には3人。僅か3キロですが曲がりくねった山道をゆっくり登っていきます。

壺阪寺のバス停はいつも入れるパークの中にあります。そこに立っていた「アショカ柱頭石像」。インドから招来されたものですが、同じものが「あべのハルカス(ウィング館)」にも設置されています。

壺阪寺も「町家のひなめぐり」に合わせて「雛曼荼羅」を展示中です。(町家ひなめぐりMapでは最後の100番)駅前で配布されていたMapを入口で見せると600円の拝観料が400円に割り引かれました。雛曼荼羅は境内に入ってすぐ右手の大講堂に、大日如来を中心にして雛人形330体、仏像370体 合計700体をさながら曼荼羅のように陳列しています。

近くに寄ってみましょう。左側後ろに掛けてあるのは「仏涅槃図」。釈迦の入滅の様子を描いた室町時代の作で、高さ2.5mあります。中央の立像は平安時代に作られた増長天。その右は鎌倉時代の薬師如来坐像。

中央が大日如来。周囲の金色の仏像は西国三十三ヶ所各寺の本尊・観世音菩薩の分身。ただし、この大講堂の本尊は大日如来の上に坐す弘法大師・空海です。

右側の展示。立像は元禄時代以降340年ぶりにされて、この3月からご開帳されたばかりの多聞天。右の掛図は善無畏三蔵像。お雛様の説明はないのでよく分かりませんが、かなり古い時代のものもあるようです。

階段を登り、仁王門をくぐります。壺阪寺は西国三十三ヶ所第六番札所ですが、正確な名前は「壺阪山南法華寺」です。

昔から眼病に霊験のある観音様として信仰を集めてきました。灌頂堂にはこんな大絵馬が置かれていました。

灌頂堂から通路を隔てて向かい側にある八角円堂(本堂)の御本尊を拝みます。

本堂に上がり間近に拝む本尊・十一面千手観世音菩薩

壺阪寺の名が広く知られるようになったのは浄瑠璃の「壺阪霊験記」です。「妻は夫をいたわりつ、夫は妻に慕いつつ~」の浪花節でも知られる、その主人公「お里沢市」の像。沢一が身を投げた深い谷の上にたっています。

特別開帳中の「沢一の杖」。これを撫でると「夫婦円満」になれるそうです。

三重塔。国指定重要文化財です。

高さ3m、全長50m、重さ300tの天竺渡来仏伝図。「天竺渡来」というのは、このレリーフが南インドで、インド人の石工がインドの石を使って彫刻したものだからです。

ここから道路の下を潜って大観音石像と大涅槃石像にある高台にでました。

前はここから高取山へ行けたのですが、「新参道」ができてからは通行できなくなっています。もう一度、受付まで帰り、登りなおします。45分ほどの慌ただしい参詣でしたが、初めてお雛様の展示も見られて満足して高取山へ向かいました。


春寒・矢田丘陵(2014/03.07、03.09)

2014-03-09 14:25:21 | 矢田だより

3月になって矢田丘陵にまた寒さが戻ってきました。7日(金)の奈良の最低気温はマイナス1.3℃でした。

六つの道が交わる「六つ辻」を10時45分スタート。道標の指す矢田寺の方へ登り、正面に見える東明寺からの道を帰ってきます。

11時半の矢田山最高所で気温は4℃でした。尾根道の風は強く冷たかったですが歩いているうちにホカホカ暖かくなりました。

それでも「啓蟄(巣ごもりの虫)が戸を開く」の季節らしく、露ナシ池の「姫」が顔を見せましたし、タンポポ、ホトケノザ、イヌノフグリなど春の野を彩る花も開き始めていました。

今日9日も少し風がありましたが、晴れたり曇ったりの空模様です。今日も遅くなってから松尾山へ。いつもの斑鳩町営駐車場ではフリーマーケットが開かれていていましたが、なんとか駐車場所を見つけてゴルフ場へ。途中の池ではカイツブリやカモたちがのんびり春の陽を浴びています。

ゴルフ場を過ぎた十一丁の町石で既に11時に5分前。ここから山道になります。

さすが日曜日だけに毎日登山の近くの人の他に、遠くから来られたらしいザック姿の人とも出会います。快調に登って七曲道分岐にでました。ここから松尾山の道はだいぶ前から通行止めになっています。

参拝順路通り松尾寺の北門へ出て、「松尾の水」で手を洗い、口をすすいで本堂にお参り。

12日が初午なので護摩の準備がすすめられていました。石段を登って三重塔前から切通へ出て山頂へ登りました(11時30分)。いつも静かな山頂は珍しく大勢の登山姿の人で賑わっていましたので、三角点に足を触れただけでまっすぐ下山。

池の畔ではオドリコソウが咲き始めています。正午を過ぎて駐車場へ帰りました。途中、腰を下ろすこともなく2時間近く歩いて体も暖まり、いいトレーニングになりました。 


大和郡山盆梅展(2014.03.04)

2014-03-05 10:38:22 | 大和郡山歳時記

我が町・大和郡山市の盆梅展も今年で11回目を迎えます。うららかに晴れた朝、会場のお城址に歩きました。右に見える追手門から左の追手門櫓に歩きます。

追手門。柳沢氏が入部した頃は梅林門と呼ばれました。門の両脇に白梅の大鉢がおかれ、奥には満開の梅の樹が見えます。

会場には約120鉢の盆梅が展示されています。そのうちからいくつかをご紹介します。
追手門に入ってまず目に付く岩から生えたような梅。戦国武将「信玄」の名がついています。

「希昇」
横の説明板には「長い長い歳月を乗り越え、身を枯らしても上へ上へと昇って行こうとする姿は、私たちに希望と勇気を与えてくれます。」とありました。

「舞姫」
いかにも美しい女性が舞うような枝ぶりの大鉢です。

いったん外の廊下を歩いて追手門櫓に向かいます。ここからの梅林の眺めも見事です。

櫓は追手門を守るための防御の役目をしています。正面で迎えるのは武将ではなく、凛とした気品のある女性のイメージ。「悠妃」いまや郡山盆梅展の「顔」となっています。

通路の両側にずらりと並ぶ白梅の林。

皮一枚で残った枝に見事に花を咲かせた「忍」
苦しい歳月を耐え忍んで、春を迎える喜びを表しているように思えました。

こちらはあでやかに艶を競う紅梅。

「大納言」
金屏風を背にして天井にまで届く堂々とした偉丈夫の風格。まさに百万石の大大名・豊臣秀長の名に恥じない大鉢です。

「順慶」
織田信長の家臣・筒井順慶は郡山城を築いた二代目城主です。その死後、城主になったのが秀吉の弟・秀長です。


上の枝にだけ白い花をつけた枝垂れ梅

満開の見事な紅梅の鉢を見て会場を出ました。

白壁を背にした紅白の梅

梅林の花も今が満開。ウメの匂いが身体に染み込むようなうららかな春の一刻を過ごして帰りました。


東大寺修二会(2014.03.03)

2014-03-04 22:10:33 | 我が家の歳時記

大和路に春を呼ぶ行事「修二会」は天平勝宝4年(752)、良弁僧正の高弟・実忠の創始から今年で1261回、毎年欠かすことなく続けられてきた行事です。

二月堂の本尊である十一面観世音菩薩に懺悔する十一面悔過(けが)の本行は、3月1日から14日まで修行されます。この期間中の毎夜、この行を勤める練行衆の道明かりとして大きな松明に火が灯されることから「お松明」と言います。

いわゆる「お水取り」の12日夜の大松明(籠松明)が見ものなのですが、物凄い人出ということで今年も早めの3月3日に行きました。夕方の登大路には「最近設置されたシカ飛び出し注意」の標識が並んでいます。

東大寺南大門を潜り中門への手前で二月堂への道に入ります。

18時30分、どんどん人が増えてきましたが少し早目に着いたので、いい場所を確保できました。「行が始まると灯りが消されるので…」「カバンなど持ち物に注意」「スリに注意」「後ろに倒れないように…」警備のお巡りさんが声を枯らし、マイクを通してスピーカーでも放送されます。

1. 午後7時最初の松明が点火され、長い廊下を登って回廊の隅に立ちました。下で次の松明が待機しています。
2.
松明の灯りがお堂を照らし出します。
3,4 長く
前へ差し出された松明から火の粉が飛び散ります。

松明を持った練行衆が回廊を走り出しました。物凄い勢いであっという間に私たちのすぐ頭上に…

くるくると回される松明…

炎が二つに分れました。

大きく燃え上って…

火の粉が滝のように降り注ぎます。電車に乗ってから気が付くと、コートに幾片かの灰が付いていました。きっと今年も健康な一年を過ごせることでしょう。


私の関西百山(44) 神野山

2014-03-03 10:44:08 | 私の関西百山

神野山(619m) <大和高原>

【こうのさん】大和高原北部、奈良県山辺郡山添村にある。なだらかな山容で円錐形の山頂部を持つが火山ではなく、風化浸食から残った斑糲岩の残丘である。山名は、古代から「神の山」として尊崇されていたためと言われ、南山麓に伏拝、助命などの信仰を表す地名が残っている。現在、山域一帯が神野山自然公園として整備されている。

 西側の杉野にある神野山登山口からは、神野寺参道の松並木を経て約2㎞。他に北側の北野、南側の伏拝、助命からなどの道が山頂に通じている。

 

北東山麓の「なべくら渓駐車場」からの超お手軽コースを記す。

鍋倉渓は大小の真っ黒な石(角閃石斑糲岩)が幅30m長さ数百mにわたって谷を埋め、その下を伏流水が流れている奇観で、1957年、奈良県天然記念物の指定を受けている。昔、神野山の天狗と伊賀・青葉山の天狗が喧嘩をして、伊賀の天狗が投げた石が鍋倉渓になったという伝説がある。



2000年2月に来た時は、黒い石の上に白く雪が積もって、まるでアブストラクト彫刻を見るような景色だった。右岸の立派な遊歩道を登って最上部の木橋で渓を渡ると大きな岩がいくつかあり、更に少し登るとあっけなくなだらかな頂上部に出る。TV中継所、電波塔、水道施設、東屋などあり、公園のように整備されている。

阿波野青畝の句碑や三角点のある広場奥に大きな螺旋階段を持つ展望台がある。

一等三角点の山だけに、北に鷲峰山など笠置山地、東から南にかけて曽爾の山々、額井火山群など、西は金剛・葛城までが一望できる。 また山頂付近はツツジの群生地として有名で、毎年5月にツツジ祭りが催される。

 

頂上まで舗装した林道が延びているが、南側に下ると右手一面に拡がる茶畑を見ながら神野寺に着く。奈良時代に行基が開いたという古寺は、杉の緑に囲まれてひっそりと佇んでいる。ここから伏拝へ下る道と分かれて東に行くと弁天池がある。静かな松林の中の道を下り、炭焼き窯や木工館のある林間施設ゾーン、野外活動センターを通って森林科学館前の道に出る。1.6mの磨崖仏・塩瀬地蔵や弘法大師伝説の残る「大師硯石」を見て駐車場に帰る。


3月になりました

2014-03-01 16:23:54 | 矢田だより

今日から弥生。春半ばの好季節になりましたが生憎の曇り空です。午後から雨の予報に急いで大和民俗公園へ歩きました。
公園入口の枝垂れ梅が五分咲きになっています。

梅林のウメもこの辺りは咲き始めですが…

上の方の日当たりのいいところでは…

満開近くなっている樹もあります。

バックが青空でないのが残念ですが…

紅白が競い合って素晴らしい香りを放っています。

古民家の臼井家ではお座敷に恒例の雛飾り。今年は「大和郡山市市制60周年」を記念した竹細工も展示。60本の竹トンボが「60」の文字を浮かび上がらせています。