(株)カプロラクタム-blog

果たしてココは何処なのだろうか・・・
否!ココは(株)カプロラクタム代表取締役兼社員αのweblogである!

囲碁熱再燃

2015年08月10日 | 自伝
5年ぶりぐらいに囲碁熱が再燃しました。

新PCに東洋囲碁を再インストして前のIDで立ち上げてみると、流石に5年前の戦績と棋譜はもうリセットされてしまっていました。当時、最初は18級から初めてsaiのように無双しようと思ったら(笑)3連勝した後圧倒的大差で2連敗を喫してしまい、それ以来怖くなってAI囲碁とばかり打っていたので、結局対人は5戦しかしていなかったのです。まあデータは消えても3勝2敗したという権利は残っており、別の級で登録し直すよりは残り3勝するのが手っ取り早い筋だろう思って続きを始め、3勝1敗で無事17級に上がり、その後は順調に2昇級を2回決め、今は13級で打っています。

この級や段は東洋囲碁独自のものであり、18級から9段まで存在します。もちろんプロもいて、たまに井山名人も中韓のプロの人と打っているのを見かけます。普通の級や段は詰碁や次の一手を解いて「3分でできたら○級」などと絶対評価されるものですが、ここでは初期値の18級から5段まで自由に選べる自己申告制なので強さは結構相対的なものであり、文句なく強いと言えるのは6段以上か、実力で昇級してきた勝率が異様に高い人達でしょう。逆に言えば5段より下は実際の実力と違っていても登録できるので、下の方は同じ級の人でも結構強さがマチマチのような気がします。最低の18級というのはそれこそ「覚えたてで2眼が分かる程度」から「そこそこ強いと思うけどこのサイトで打つのは初めてだから」、「普段は段で打ってるけど気晴らしに雑魚でも狩ろう」まで(笑)本当にいろんな強さの人が存在しているわけです。最近知ったのですが「東洋の18級は無差別級」とまで言われているとか。まあ、体感ではそういう過小申告の人(俗に言う過小)は多くて3割程度であり、またこれ以上下がる級でもないので、運悪く強い人と当たって負けても、とにかく何局も打てばそのうちちゃんと昇級できるようです。他の囲碁のサイトではレート制だったり数局で簡単に級位変動できたりする所もありますが、このサイトにおける昇段級の決まりは「基準10~20局のうち勝率6~7割を満たす」というようなものなので、低級でも10戦中6勝4敗と、とにかく数をこなさないと級位変動が起こらず、実数が少ないといつまでも分不相応な級に留まってしまう現象が起きてしまうわけです。逆に打てば打つほど適正級に近くなるでしょうから、相手を選ぶ場合は対局数が多い人を選ぶのが無難ですね(笑)ちなみに2昇級の基準は11級まで8割で、2回負ける前に8回勝てば上がります。それこそ無差別級の18級で2昇級するような人が集まる16級を飛ばせたのは幸運だったかもしれません(笑)まあ時間もないし1日1~2局で相当疲れるので、この夏もまたボチボチ白星をためていきたいと思います。18級ではそれこそ「互戦であっ・・・」をリアルに体験しましたが(笑)その他では今の所自分のうっかりミス(ダメヅマリで手が生じたんだシマッタ!)やクリックミス(ヒカルそこじゃない!)でやられるくらいしか(笑)不安要素はないので、おそらく昇級基準が15戦10勝に上がる10級までは下がることなくストレートに行けるでしょう。自分の碁は大体終盤までに30目ぐらいリードしてて、最後に「あっ」と取られる碁が多いですから(笑)とりあえずはAI囲碁先生の8級を目指して・・・

あと、非常に有難いサイトが定石のウィキペディア、その名も「josekipedia」(まんま)と、レベル順にひたすら詰碁が打てる「goproblems」です。昔は本を読むしかなかったけど、石番号を頭の中で展開するのはまだ難しく、ソフトなり何なりで実際に並べてみないとイメージできません。今は色んなサイトがあり、「こう打つとこうなる」という石の流れまで見せてくれる所も多いですから、新たに覚えるのは昔に比べ非常に楽になっていると思います。そのうち、東洋囲碁でこれまでに打たれた棋譜のデータベースを使って、「こう打った場合のその後の展開一覧と勝率」などを解析するソフトが開発されたりするのかも?

将棋はそろそろコンピューターに勝てない時代になりますから、これからの時代は囲碁でしょう。囲碁は広さと自由度が段違いですからね。ただ夏休み、小1の甥に満を持して両方教えたのに、その後将棋しか指してくれませんが(笑)

現存天守国宝、松本城

2015年07月19日 | 自伝
夏休み初っ端の3連休は、縁あって松本へ行って来ました。

松本といえば松本城。現存天守12城の1つであり、さらに国宝5城の中の1つでもあります。ちなみに残りは姫路城、彦根城、犬山城と、今年加わった松江城で、現存天守は国宝プラス弘前城、丸岡城、備中松山城、松山城、高知城、宇和島城、丸亀城ですな。自分は、近くまで行って外観を見た程度のカウントなら既に9城攻め終わっており、残りは弘前、備中松山とココ松本城。世界遺産も現在攻めあぐね中なので、同時進行でこの現存天守も積極的に攻めて行くことにし、今回は折角松本まで来たので天守まで上っていくことにしました。
待ち時間60分orz
暑さと渋滞を避けるため、閉館ギリギリに行ってみたのが裏目に出た形ですね。まあ3連休中日なので、昼間はもっと大変だったということにしておきましょう。今まで城の内部でちょいと階段待ちぐらいはしたことがありますが、まさか入場するだけに30分もかかるとは・・・流石国宝ですな。と言うか、それこそこの前国宝になった松江城や、真っ白に生まれ変わった姫路城が混むのなら分かりますが、松本城お前もか!?客層は外国人もいましたけど目立つのは家族連れ。つまり自然渋滞でこの集客力ということです。余程惹きつける何かがあるのでしょう。

現存天守の中では唯一の平城。黒いのは戦国時代築城の証ですが、守りは専ら水堀ということでしょうか。最大の特徴は向かって右下部に見える赤い月見櫓ですね。非常に美しいデザインは流石国宝だと思いました。ただし、内部も押し合いへし合い上っていき、駐車場代も心配で肝心の天守でも長居できず、最後に空いてきた月見櫓で記念写真を撮ったものの、城は外から眺めるだけで十分かなと思いました。
日本の城というのは世界的に見ても非常に特徴的な日本文化を代表する建物だと思うので、これらの国宝や現存天守は世界遺産にもっと選ばれていても良いと思うのですが、おそらく1993年の第一号に姫路城を単独で登録させたことで、良くも悪くも姫路城が「日本の城の代表」となってしまったのでしょう。現在、同じく国宝の彦根城も暫定リスト入りを果たして頑張っていますが、姫路城に比肩する顕著な特徴を見出すのに苦心しているようですしね。つまりユネスコにすれば「城は1つ登録されているのだからもう十分でしょ?」というわけです。まあ彦根城が通ればここ松本城も黙っていないでしょうし、犬山城や松江城だって同じです。それこそ今回の産業革命遺産のようなシリアルノミネーション方式を用いれば、「日本の名城」と言う形で5城ないしは12城の同時登録を目指すこともできたわけです。他にも、例えば法隆寺では同じく飛鳥時代の暫定リスト物件である飛鳥・藤原の宮都もまとめられたでしょうし、京都の世界遺産には世界中に大人気の伏見稲荷が含まれていません。あと、紀伊山地霊場には、参詣道つながりで四国遍路も組み込めたかもしれません。何かこうしてみると、初期の頃の登録は今後のビジョンのない戦略ミスだったような気がしてなりませんな。

ちなみにはっきり天守に上った記憶と記録(デジカメデータ)があるのは今回の松本と高知・松江のみ。もう一回攻め直すか・・・

トヨタAA株購入!

2015年07月10日 | 自伝
【第三弾! 新トヨタ株を買う方法とは?】元本保証で配当最高2.5%と値上がり益も狙える新トヨタ株の買い方を4つのステップで詳細に紹介!
というわけで、無事100株購入できました。

以前にも追記した通り、新聞で情報を知ってからとりあえずダメ元で500株申し込んでいました。ちなみにこの取引は野村證券でしかできません。株には縁のなかった自分ですが、何故か学生の頃に口座だけは作ってお年玉貯金にしていたのです。その後休眠口座状態だったものを今回初めて動かしたというわけで、それがたまたま野村だったのはある意味非常にラッキーでした。
流石に申し込みが5倍近く殺到したため、噂では上客優先で新参者には回ってこないかもと言われていましたが、仲良く最低単位のみということになった模様です。まあコレが初心者のみ100株なのかどうかは判断できませんけど、一応納得と言う感じですね。価格は105万9800円。これで5年後には税引きでおよそ6万円の利息がつく計算になります。この株の特徴は、5年縛りの後に、年に数回この価格で売るか通常株に変えて売るかの選択ができる所にあります。つまり、5年後にもし株価が低ければ元の価格で売って損はありませんし、もし上がっていたらその価格で売ることもできると言うことです。もちろんずっともち続けても良く、その場合は年2.5%、丸っと年2万円ずつ儲かる仕様です。
ここまで読んで「丸儲けじゃないか」と思った方、ある意味正解ですが、世の中そうは上手くいかないものです。実はおよそ106万と言うこの価格は現在のトヨタ株の1.3倍近い値であり、変動もしなければ途中売買も出来ません。普通の株式市場なら「100株買って1円上(下)がったら100円の儲け(損)」というように日々一喜一憂しますが、この株は現状8千円台のトヨタ株が2600円程度高くなるまで待たない限り「通常株に切り替えて丸儲け」という現象は起きないのです。更に言うと、数年後に順調に上がってある日1万600円になったとしても、その途端新株保持者が一斉に売りに走るので、その結果株価が下がり、中々丸儲けでは売り抜けないジレンマが続くことも容易に予想できます。なので、やはり株と言うよりは元本保証の5年平均利率1.5%(5年後2.5%)の長期定期預金だと思って持ち続ける感じで、それ以上の利益は余り期待しない方が良いでしょう。株というのは個人としても企業としてもずっと持ち続けることに意義があるので、極端な話、年2.5%で50年も持ち続ければ配当だけ減価償却できてしまうわけです。金貸しが必ず儲かる原理と同じですな。もちろん銀行と違って潰れそうになっても公的資金投入とかは厳しいでしょうし、どうしようもなくなったら途中で条件が変わったり、紙切れになったりするリスクは0ではありません。まあ100万ぐらいなら邪魔にもすぐ必要にもならないですし、この程度のリスクにかける金額としては丁度いいかな?・・・と言いつつ、次回の販売を心待ちにしている自分もいますが(笑)

今回、自分と同じように初めて株を始めたと言う人はかなり多いでしょう。しかしこれで株に目覚めるかと言うと、やはりその性質上難しいかもしれませんね。日本人は余剰資金を投資ではなく貯蓄に回す傾向が海外よりも強いらしいですが、貴穀賤金と言うか「儲けは卑しいこと」という儒教的発想や、大震災や戦火などで一時的な財産がチャラになってしまうという歴史風土的な環境の中で、より安心を求めてリスクを追わず蓄財に走る国民性があるのだと思います。現にアメリカと日本の株式市場を比べてみると、一見ほとんど同じような気もしますが単位が円とドルなので、規模の桁が2つも違うのです。人口が約2倍違いますからそれを加味しても、日本人よりもアメリカ人の方が50倍投資に金を回しているということになりますね。まあそうは言っても今回「このトヨタAA株のために生まれて初めて野村證券に口座を作った」と言う人も、一応は投資のスタート地点に立ったわけです。市場のドアは常にオープンですから、是非この新株が起爆剤になれば良いのですが・・・え?自分?取引時間のうちいつ株価見て電話する時間があるの?

・・・だから上客さんは年金生活者が多いのかなあ。

ラーメンコンテンツ

2015年06月24日 | 自伝
「ラーメン」が新たな日本食の代名詞に/ジャパンブランド構築の道筋【ジャパンブランド調査2015】
確かに、今やラーメンは中華そばに留まらない日本の独自性を感じる食べ物ですね。

自分ももちろんラーメンは大好きで、ラーメン屋にも良く行きますし、インスタントも含めれば平均すると週に2~3回は食べているのではないかと思います。確実に言えるのは、日本人全体で見ても海外での和食の代名詞である寿司や天ぷらなどよりは圧倒的に頻度が高いと言うことでしょう。また全国各地に「ご当地ラーメン」と言うものも存在し、その地域によって味や具などに明確な特徴があり、旅行に行けば必ず食べてきます。うどんやそばにもご当地モノは存在しますが流石に味が違うわけではないですし、ここまで各地域で独自に進化を遂げたコンテンツと言うのは他に余り例がないのではないでしょうか。ラーメンは昼にも食べますし、夜のメインとしてもいけるので、旅行中の外食としては意外にリーズナブルだったりもしますしね(笑)観光地は結構「一度行けばもう満足」という側面がありますけど、名物は意外に「もう一度行って食べたい」と思わせる魔力を秘めているので、ラーメンは今や日本全国や海外からもリピーターを呼ぶ原動力にもなっているのではないでしょうか。

ちなみに自分が現地で食べたことのあるご当地ラーメンは以下の通りです。(特徴は私見含む)

北海道・・・札幌ラーメン(味噌)、釧路ラーメン(あっさり醤油)
宮城・・・気仙沼ラーメン(魚のすり身)
福島・・・喜多方ラーメン(シンプルな醤油)
東京・・・八王子ラーメン(タマネギ)
神奈川・・・家系ラーメン(豚骨醤油)
長野・・・信州味噌ラーメン(味噌)
富山・・・富山ブラック(黒い醤油)
岐阜・・・高山ラーメン(醤油細麺)・ベトコンラーメン(ニンニク)
愛知・・・台湾ラーメン(辛味噌肉ミンチ)
和歌山・・・和歌山ラーメン(豚骨醤油)
広島・・・尾道ラーメン(背脂)・広島ラーメン(豚骨醤油)
徳島・・・徳島ラーメン(豚骨醤油に肉と卵)
高知・・・鍋焼きラーメン(土鍋煮込み)
福岡・・・博多ラーメン(豚骨)・久留米ラーメン(白濁豚骨)・長浜ラーメン(ストレート麺)
熊本・・・熊本ラーメン(濃厚豚骨)
長崎・・・長崎ちゃんぽん(豚骨野菜)
鹿児島・・・鹿児島ラーメン(あっさり豚骨)

結構日本全国網羅していますが、関東・東北には少ない印象ですね。まあ、自分が余り行っていないだけかも知れません。こうして見るとやはり九州は圧巻の豚骨王国ですな。いわゆるシンプルな「中華そば」的なラーメンは喜多方ラーメンくらいで、後は味噌やら豚骨醤油やら、色々と日本独自の進化を遂げているようです。独断と偏見で順位をつけるなら、1位は博多ラーメン、2位は地元岐阜の店の台湾ラーメン、3位は鹿児島ラーメンかな?もちろん食の好みはそれぞれなので、是非色々と旅行して様々なご当地ラーメンを味わってみることをお勧めします。

一番気になっているのはラーメン発祥の地、茨城の水戸藩ラーメンですが・・・夏休みにでも攻めてみるか。

富岡製糸場

2015年06月13日 | 自伝

暑すぎるorz
と言うわけで、本州に残る最後の世界遺産、富岡製糸場へ行ってきました。

方角的には去年富士山を制覇した時にご一緒したかったのですが余りにも疲れたので(笑)後回しになっていたものです。まあ実際、河口湖方面から富岡へは高速もなく直線距離のようには行けませんからね・・・出直して正解だったでしょう。
無料駐車場の情報を得ていたので、多少歩きますが気兼ねなく散策に出発できました。善光寺と同様ものすごい人で、ツアー客や海外からも相当来ているようでした。流石世界遺産。入場料は1000円もし、ガイドを頼むにはさらに200円かかるとのこと。これ、世界遺産に登録されてから倍になったのですよね・・・姫路城といい、やはり取れるところで取りに来ますな。構わん、出してやれ(笑)

内部は流石に世界遺産だけあってきちんと整備され、案内板などを見ていけば十分概要をつかめるようになっています。屋久島と同様にガイドの声を小耳に挟む形でウロウロし、さらに理解を深めました。
富岡製糸場は、明治日本の富国強兵・殖産興業政策により官営で始まり、九州の八幡製鉄所と対になる国の重要施設だったようです。それまで家内工業だった養蚕を工場制手工業で大規模に経営し、たった5年で世界一の生産量を誇るようになったとのこと。また行きに通った荒船風穴と言う所で蚕種を保存しておくことで、年1しかできなかった養蚕をほぼ年中(夏以外)できるようにしたそうです。現代は化学繊維や中国の安い繊維品に押されていますが、日本もまだ少し前まではガチャマン景気に代表されるように、紡績・繊維産業が産業の根幹を成していたわけです。そのきっかけとも言うべき重要な施設がココ富岡製糸場なのですね。
まあ、当時世界一だったという歴史には確かに驚きましたが、養蚕や蚕自体は日本昭和村でも見たことがあるのでそれほど珍しいものではなく、規模も当時としては最大級でも今のトヨタとかには流石に負けるでしょう。何より今話題の産業革命遺産のような製鉄・鉄鋼・造船・石炭・軍事工場等、重工業に比べると、軽工業の養蚕は少々迫力に欠ける気がします。ただし関東圏と言うこともあり、世界遺産になったことで1年経った今でも人気は衰えず、今後も来場者は増え続けることでしょう。人は多かったですが、今回九州が話題となって少し隙ができた所に上手に観光できたものと満足しています。

ちなみに、これで自分の「世界遺産踏破リスト」はどうなったかと言うと・・・
○法隆寺地域の仏教建造物・1993年登録・2006年踏破
○姫路城・1993年登録・2006年踏破
○屋久島・1993年登録・2015年踏破
○白神山地・1993年登録・2010年踏破
○古都京都の文化財・1994年登録・2005年踏破
○白川郷・五箇山の合掌造り集落・1995年登録・1996年踏破
○原爆ドーム・1996年登録・2002年踏破
○厳島神社・1996年登録・2006年踏破
○古都奈良の文化財・1998年登録・2010年踏破
○日光の社寺・1999年登録・2005年踏破
×琉球王国のグスク及び関連遺産群・2000年登録・未踏破
○紀伊山地の霊場と参詣道・2004年登録・2006年踏破
○知床・2005年登録・2010年踏破
○石見銀山遺跡とその文化的景観・2007年登録・2010年踏破
○平泉―仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群―・2011年登録・2012年踏破
×小笠原諸島・2011年登録・未踏破
○富士山―信仰の対象と芸術の源泉・2013年登録・2014年踏破
○富岡製糸場と絹産業遺産群・2014年登録・2015年踏破
○明治日本の産業革命遺産 九州・山口と関連地域・2015年登録勧告・2015年踏破

これで残る世界遺産は沖縄と小笠原だけですね・・・ただ、沖縄はまだしも最低1週間がガチの小笠原っていつ行けるのだろう?

ココイチ新たなる挑戦

2015年06月05日 | 自伝
この前ふとココイチの前を通って、仰天する旗を見かけました。
5甘って何!?
ココイチと言えば、カレーの量やトッピングに合わせて辛さが選べることで有名です。ココでも何度か取り上げていますが、自分は小6の頃からハマッており、高校時代には友人を誘って週1ないしは隔週でココイチ会を開いていました。量は高1の時に800gで限界を感じたため、それ以降は辛さに挑戦し、高2の冬に12辛まで試したことがあります。ここまでくると通常のルーの色が赤を通り越して黒くなり、最早違う食べ物だという存在感を醸し出していました。ところが、何やら10年前から10辛制限ができてしまったようで、それ以上の辛さの追求ができなくなってしまっていたのです。まあ正確には辛味スパイスが自由に足せるようになりましたから、10辛を頼んでさらに4gほどスパイスをかければ再現はできますが、アレはどうしても粉っぽさが残ってしまいますからね。12辛は幻の味となり、自身も辛さの追及には既に終止符が打たれたと思っていました。

しかし、今度は逆に甘さで勝負に出てくるとは・・・6月から始まったらしく、スパイスを入れないだけでなくりんごとハチミツで甘さを5段階に加えて行く方針のようなので、バーモントカレーのような恋する味になるのでしょうか。確かに子どもや辛味に慣れていない者の舌には「普通」でもかなり辛めであり、β氏などは必ず甘口を食べていた覚えがあります。自分も一度だけ、カプロラクタムの計画書「注文するカレーをくじで決める際にトリックを用いて特定の人物に辛いカレーを食べさせる計画」の派生で「甘口ほうれん草カレー」を食べたことがありますが、辛好きの自分にとっては何とも物足りない味でした。そこに更にハチミツが加わった味を想像すると、最早罰ゲーム以外の何物でもないように思えます(笑)自分があの頃のような頻度でココイチに訪れることはもうないでしょうが、仰ぎ見れば未来を背負った新たな若人達が、怖いモノ見たさに5甘を注文する光景が目に浮かぶようですね。

こういう誰も思いつかないような企画を創業37年も経って未だ実行できる若々しさは大切にしたいですな。

HDD移植手術

2015年04月29日 | 自伝
かねてより電源が落ちる病にかかっていた母のPCが先週ついに永眠しました。

買った順で言うと6代目に当たり、win7の仕様なのか、内部の温度が上がってくると熱暴走で勝手にPCの電源が落ちるトラブルに見舞われていました。少し経って起動すれば使えるので騙し騙し使っていたわけですが、例えばデジカメのデータを移していたりDVDを焼いたりする時にも途中で何の予備動作もなく突然落ちるため、データの破損やブログ等の作業内容の未保存等、結構な被害を被っていたようです。自分などはPCはいつ壊れるか分からないものと言う認識でいるのでこまめなバックアップを心がけていますけど、親世代はそういう危機感がそれほど強いわけでもなく、先週電源を押しても全く反応しなくなってから焦り出した始末です。

BIOSどころかボタンが一切反応しないので、調べてみるとマザーボードの修理・取替えと言うことになるようです。ディスプレイほどではありませんが、マザーボードもPCの基盤を担うものなので結構な値が張り、修理屋に頼めば2~3万はかかる模様。今それだけ出せば、同機種のwin7程度なら十分中古で買えてしまうでしょう。つーか、今自分が使っているwin7がそんな感じですし(笑)ちなみに父もいい加減4代目XPの起動の遅さに辟易し、自分と同じ時に2万で新たにwin7を買ったので、現在は8代目(父)、9代目(自分)の2台のみが現役稼動しています。他にも一応動くのは3台ありますが、全部XPで4代目と5代目は動作がめっちゃ遅く、7代目はディスプレイが映りません。2~3日使うのならまだしも、win7の動作に慣れてしまってはとても耐えられないでしょう。
しかし、新PCを購入する前にどうしてもデータが諦めきれない様子で、修理に出すことに固執していました。まあデジカメデータは妹の子どものもありますし、自分達の海外旅行のも結構ありますからね。自分も気が向いたときにはHDDにバックアップしてあげていたので、実質は今年に入った分のデータの損失と言う感じです。そもそも破損したPCデータの完全復旧というのは、さらに莫大なお金がかかるわけですが・・・

と、ここでひらめいたのが、ディスプレイが映らなくなった7代目ノート。その前にHDDの接触不良に見舞われており、蓋を開けてHDDを差し直したら復活したと言うことがありました。その際にHDDの規格というものがあることを知り、またその取り外しはネジさえ外せばファミコンのカセットぐらい容易であることも学習できました。つまり、起動しなくなったデータが見たい6代目ノートのHDDを、ディスプレイが映らなくなっただけの7代目ノートのHDDと付け替えてやれば、とりあえず「映らない6代目」として起動はするのではないかと言うことです。実はディスプレイが映らないだけならば、プロジェクタにつなぐRGBケーブル(D-Sub15ピン端子)さえあれば別のディスプレイに映すことができ、それこそデジタルTVにつなげば普通にテレビ画面でPC内容を見ることができるわけです。3代目ノートもその方法で2代目デスクのモニターを使っていましたし、学校の50インチテレビも正にそういう仕組みですしね。ちょっと不恰好ですけど、まあデータを外付けHDDに移す作業中くらいなら問題ないでしょう。最大の心配事は7代目がwinXPだということですが、まあ一応ダウングレード版ですし、CPU性能もそこまで劣っていないので、win7を動かすぐらいの力はあるでしょう。

早速6代目の蓋を色々外してみると、楽々HDDを発見。やはり最近のPCは、HDDを非常に簡単に取り外せるようになっているのは間違いないようです。規格は予想通り7代目と同じくSATAだったので、そのまま7代目のHDDも外して移植手術を施し、おもむろに起動。

・・・ジジジジ・・・

ジャジャーン(起動音)
ついたあ!!!
無事移植が成功し、7代目winXPが6代目win7として起動しました。しかも2ヶ月間電源を入れなかったのが幸いしたのか、何故かディスプレイも回復し、ミジミジ言っているもののちゃんと見えるレベルで映っています。明るさを最低にしてバックアップ作業に入り、とりあえず事なきを得ました。現在もまだデータ移動中ですが、モニター画面を完全に切って大事を取っています。
折角なので再インストールさせてみようとも思いましたが、どうやらBIOS自体は元のままなので、7代目のリカバリCDを使うとXPに戻ってしまうようです。つまり内蔵HDDの中にはOSから先のデータが詰まっていると言うことでしょう。多少暗くて遅いものの、4代目や5代目の動作よりはかなりマシですから、しばらくこれで永らえるかも知れません。

こんな感じに使えることもあるので、新しいPCを買っても古いのはすぐに捨てない方が良いですな。まあ完全なる再起不能品も含め7台も転がっているのは流石に考えものですが(笑)

東雲

2015年04月04日 | 自伝
梅雨かよ!とツッコミたくなる天気予報ですが、とりあえず今日は走ってきました。

1月150km、2月150km、3月200kmと、順調に通算距離を伸ばしてきましたが、先週春休みに入ったことを良いことに連走したら途端に右足が警告を発してきやがりました。
いちいちリンクを張るのも面倒なので(笑)簡単に説明すると、2年前の2月から走り始めたのですが、8月に犬を避けようとして右足を痛め、12月に復活。去年は5月にかけて500km走った時点でサボり、10月に復活しようと連走したら左足を痛め、今回はまた右足という有様です。1~3月は普通に走れるのですがね・・・これ去年は気づきませんでしたけど、何か既に両足とも炎症が持病の域に達していて、たまたま1~3月は寒いから疼かないだけなのかもしれません。まあ3日休んだし、1回15km程度なら何ともなさそうなので、今後は適当に妥協しつつ通年走れるようにしていきたいと思っています。ちなみに今回痛めた直接の原因は先週最長距離を27kmに伸ばし、翌日も13km走ったたからですが・・・自業自得ですな。

で、この時期は桜が満開で、足さえ痛まなければ非常に気持ちよく走ることができます。特に長良橋の辺りには鵜飼舟がずらっと並んでいて、金華山も綺麗に見えるお気に入りのスポットです。その鵜飼舟の話ですが、あれ一艘一艘に○○丸という名前がついているのです。岐阜丸というストレートなものから、道三丸、金華丸など、岐阜にちなんだ名前が多くつけられているようです。屋根に漢字とローマ字で書いてありましたから、走りながら適当に読んでいくと、「東雲丸」で思わずピタッと止まってしまいました。・・・これ、「とううんまる」ではありません。「しののめまる」と読むのです。
何という大和言葉!
・・・「篠の目」とは、篠竹でできた簾のようなものの隙間(目)から漏れた明かりを取ることで、転じて薄明かりとか、明け方に東の雲が光に染まってまだらに光ることを指すそうです。つまり、東雲を「しののめ」と読むのは完全に当て字であり、「本気」と書いて「マジ」と読むアレと同じ発想なわけです(笑)

元々日本には文字がなく、中国から伝わった漢字を当てたのが始まりですから、古墳時代の頃は「音」をそのまま使う言葉が多く誕生しました。今でも中国はマクドナルドを「麦当労」、コカコーラを「可口可楽」というように、そのまんまの当て字を多用していますが、当時日本で使われていた言葉も全て「音」を利用した当て字だったわけです。しかし、日本人はそれで満足せず、元明天皇(7世紀)の時代には早くも漢字の「意味」に注目した言葉が次々と誕生したのです。ちなみに大和を「やまと」と読むのも「意味」に注目した当て字であり、日本人が「私」という意味で我が国、吾の国などと言っていたのを中国人が聞いて「倭」という蔑称をつけたわけですが、そこから脱却するために「和」という言葉を選び、そこに元々の国名であった「やまと」を「大いなる和」に当てたのだろうと思っています。そう考えれば邪馬台国も「やまと」だったのかもしれませんね。漢字の読みが複雑なのはこうした表音文字と表意文字、当て字が混在し、さらに音もその時代ごとに中国で使われていた読み方を輸入したために当の中国では廃れてしまった読み方も律儀に記録していったものですから、複数の音読みが定着してしまったことにあります。ちょっと横道にそれましたが、東雲を「しののめ」と読むのは東雲→明け方の雲→薄ら明るい→篠の目→しののめという連想ゲームの結果であり、その飛躍具合が半端なく、太古の昔にこの字を当てた人の計り知れない才能を感じたという話でした。桜も綺麗でしたが思わぬ大和言葉の美しさにも魅せられるとは・・・
ちなみに梅雨(つゆ)も、黴が生える雨から黴雨(ばいう)→語感をよく梅雨→梅を漬ける時期だから→漬ゆ→つゆという説があるとか。こう考えていくと、言葉というのは時代に合わせて変わって当然であり、「日本語の元の意味はこうだからこの使い方はおかしい!」と新語に目くじらを立てすぎるのも無粋な気がしてきますね。

でも断じて「ゆう(言う)」と「すごいたのしかったです」は、「いう」「すごく」に訂正しますが(笑)

XPは2度死ぬ

2015年02月03日 | 自伝
冬休みに復活したはずのXPノートが、再び壊れてしまいました・・・orz

今度の原因はHDDではなく、どうやら液晶のバックライト関係のようです。前回は起動時におかしくなったので、復活してから1ヶ月、実はほとんどPCを切らずに過ごしていました。そのせいかどうかは分かりませんが、昨夜頃から何か鈍い音がして画面が数秒歪む現象が続いていていて、本日帰宅後にしばらく使っていると、突然パッと画面が暗くなってしまいました。見ていた動画の音は鳴りっ放しでしたし、よく見るとうっすら画面らしきものは見えたので、CPUやデータには問題なく、液晶画面のトラブルだろうという結論に至ったわけです。直前に何か蛍光灯が切れる寸前のような音がしたので、おそらくバックライトの可能性が高いでしょう。しかし厄介なのは、前回も説明した通り、原因が液晶周りの場合は部品が高価だったり交換が難しかったりするので、今度こそ諦めた方が懸命だろうなあと思っています。
一応解説していくと、液晶周りのトラブルは大きく4つに分けられ、①スイッチ関係→②インバーター(電気系統)→③バックライト→④液晶パネルの順で重症度が上がっていきます。①なら分解しバネを変えるくらいで済むようですが、②以降は基盤を外す作業やハンダ付けが必要なくらいの重症であり、修理を試みているHPを見ていても、とても自分で直せそうにはありませんでした。意外に④は全交換となり楽なようですが、PCの部品の中でもっとも高価なものが液晶なので、まるっと数万はかかってしまうでしょう。何故詳しいかと言うと、3代目ノートがまさに今回と同じ症状だったため、一度直そうと試みていたからです。結局①かと思ったら②以降だったため断念したわけですが、修理業者の価格表を見ていても、部品が安くても工賃が高いとか、工賃が安くても部品が高いとか、そんな感じで結局高くついてしまうようでした。所詮は2万で買った中古PCだし、諦め時かなあ・・・つか、ちゃんとリペア品で売るなら液晶関係もちゃんと新品に入れ換えておいてほしいですね。まあ中古品はこういう劣化リスクも踏まえて安いのでしょうけど、2年持たないのはどうかと思います。

そんなわけで、現在三たび5代目ネットブックが陽の目を見ることとなりました。我が家のPC系譜を紹介すると、
・0号機デスク(3.1→95)1996~2001…ほぼワープロPC。40万
・初代ノート(98)1999~2009…初期化もし10年使い続けたが甥に落下させられ破損。27万
・2代目デスク(2000)2001~2006…組立て用だったが調子が出ず。3代目のモニターと化す。10万
3代目ノート(XP)2005~2010…仕事用に購入したが1年で落下させ破損。しばらく母が使用。17万
4代目ノート(XP)2006~○…動作が遅いため初期化して現在父が使用中。14万
5代目ネットブック(XP)2009~○…動作が遅いが初期化できないため騙し騙し使用中。3万
・6代目ノート(vista)2010~○…母が使用中。熱暴走でたまに電源が落ちる。11万
7代目ノート(XP)2013~2015…リペア品だがHDD破損→復活→液晶破損。2万
・・・となります。現役は3台。7代目と言いつつ8台ありますが、ネットをつなぎ家庭内LANを始めた所からカウントしています。最後以外は何だかんだで5~10年も使っていることが分かり、平均の3年は軽々超えていますね。まあ逆に言えば使用中のは全部風前の灯だということですが(笑)

5代目は冷却ファンが死んでいるし、春までには新マシンを模索しておかないとなあ。

長良川走り初め

2015年01月12日 | 自伝
正月太りは動いてスッキリ!痩せられる「冬のランニング」の効能とは
一応足の痛みも収まり、年末に15kmまで走れたので、新春恒例?の連休ジョギングをしてきました。

長良川は、堤防の向こう側に下りるとサイクリングロードのような舗装道路が伸びており、たまに「河口から○km」という表示やラインがあって距離の目安にすることができます。既に自宅から主だった橋までの距離は昨年までに全て掌握済みで、その日の体調や気分に合わせて南北どちら向きに走るかや、目安の走行距離を事前に決められるようになっています。まあ多少の勾配や階段はありますが、「自分のペースを崩さない」という意味で、何といっても信号がなく、車がほとんど通らないというのはジョギングにとって最適の道ですね。
ちなみに市内のほぼ中心にある忠節橋の下のテニスコートが河口から丁度50kmに当たり、終点は長良橋の北の無料駐車場の手前で53km、南は穂積大橋を超え、41.4kmまで、整備された道をずっと走れるようになっています。残念ながらこういう道が河口までずっと延びているわけではないようですが、歩道や、少しだけ車道を通ることを良しとすれば、北は今の所鵜飼大橋の先56.4kmまで、南は堤防の上を進むと40.4km地点からまたサイクリングロードが出現し、長良大橋を超えて39km地点の少し先の通行止めが一応の南端であることが確認できています。まあ先に述べたように信号や大きな起伏なく、車道を一切通らない区間だけでも往復すると23kmにもなるので、自分の活動限界を考えれば十分過ぎますがね。

で、今回は北の限界を更新するべく、土曜日に北上していきました。鵜飼大橋の先の堤防はかなり交通量が激しい車道オンリーになってしまうので、今までは堤防にこだわってこれ以上進めませんでした。しかし、ふと町の中を迂回することでもっと先へ進めるのではないかと思いつき、信号を渡って先へ走ってみると、日野グランドの辺りに抜ける道を発見できました。さらに千鳥橋のトンネルもくぐれることが分かったので、そのまま藍川橋まで走ってみました。ちなみに藍川橋の先も堤防は続いていますが、信号に阻まれたのでそこを一応の北端としました。近くに距離表示は見当たりませんでしたが大体河口から60kmぐらいなのではないかと思われます。まとめると、藍川橋は60km、千鳥橋は58km、鵜飼大橋は55km、長良橋は52.5km、金華橋は51km、忠節橋は50km、大縄場大橋は49km、鏡島大橋は47.5km、河渡橋は45km、JRの鉄橋は44km、穂積大橋は43km、長良大橋は39kmと言う感じですね。南端から北端までの距離はズバリ21km。つまり今回開拓した部分を往復すると、丁度フルマラソンのコースができるわけです。まあ、そこまで足を伸ばすことはおそらくないでしょう(笑)南端の長良大橋を起点にした距離の目安を記すとこんな感じになります。

まあ流石に家から北端まで走って来ると距離がある上に途中雨にも祟られてしまい、自宅に戻る途中で力尽き、実際に走った距離は19kmに留まりましたが、雨宿りと歩きに切り替えた英断もあってか幸い心配していた足の痛みも起きずに済みました。昨日は大事を取って一日休み、本日は両岸の堤防が走れる区間の鏡島大橋と長良橋を渡って11km大回りしてきました。同じ道の往復でない分、この走り方は景色が変わって新鮮です。というわけでこの連休の収支は通算30km。やたら雪が多かった冬休みにチマチマ走った分も通算すると、今の所50km走ったことになります。去年のペースを思うと少々物足りなく感じますが、一度足が痛むと3ヶ月休まざるを得なくなってしまうので、今年の目標は「足の痛みを再発させず通年コンスタントに走る」ことにして、10km以上の連走はせずにがんばっていこうと思っています。そしてできれば23kmの最長記録を更新したいところですね。

ひとまずの目標は正月太りの解消ですな・・・まだ100km以上走らないとorz

左足改善

2014年12月31日 | 自伝
3ヶ月間痛んだ左足も、ようやく改善されてきました。

痛めた後1週間ぐらい安静にして、日常生活に違和感がなくなったとしても、いざ走ると1~2kmでまたぶり返すと言うのを繰り返す日々でしたが、冬休みに入ってようやく12km、15kmと走っても大丈夫になりました。雌伏の時期も一応ウォーキングや金華山登山で鍛えていたためか、2時間走っても筋肉痛はそれほどなく、足さえ痛くなければ20km超えも可能な手応えです。去年は右足だったわけですけど、ほぼ同じような経過を辿ったので、もう日にち薬と言うか、季節病のような気さえしています。まあこの手の痛みの中には完全に慢性化してしまう場合もあるらしいですし、いずれ取れると言うことが分かっているだけでも幸いなのでしょう。

今年のジョギングライフを総括すると、上半期は5月頃までかなりがんばって通算500kmほど走りましたが、夏場は少々サボり、たまに2~3km走る程度でした。2014年の通算では700kmちょいと言った所でしょうか。何やら体脂肪を1kg落とすには、通算でも何でもいいから140km走る必要があるらしいので、一応理論上は5kg分の減量に相当する模様です。まあその成果もあり、夏場は一時60kgを切る位まで来ていましたけど、その後のサボリ+禁酒反動(笑)とかの上昇分を加味すると、全体的な収支はまあプラマイ0と言った感じですね。まあ痩せるためと言うよりは血圧の方が気になっていたので、本当はバテるまで走るのではなく、毎日20分とかをコンスタントに走ったほうが良いのかもしれません。

また徐々に慣らしていって、来年は最長距離の23km超えを目指したい所です。
それでは良いお年を。

ノートPC復活!

2014年12月27日 | 自伝
先月起動しなくなっていたPCが、見事復活を果たしました。

経緯を説明すると、11月25日の朝までは普通についていたのに、一旦消して夜にまたつけたらBIOSの後でピープ音がし、「HDD not found」というような表示が出て止まってしまうようになってしまいました。つまり、どうやらHDDが壊れたらしいということ。まだ1年ほど前に買ったばかりですが、ネットで2万円で購入したリペア品のXP(笑)であり、実年齢は定かではありません。とりあえず、いつ壊れてもいいようにバックアップを取っておく習慣は身についているので、データ的な被害はほとんどありませんでしたが、過去に買ったPCのように落としたとか異音がしたとかいう原因・前兆等に全く覚えがなく、たった1年で壊れるというのは少々納得がいかなかったので、何とか直せないものかと思案していました。同じ症状の方の参考になるかもしれないので、自分の辿った手順を詳しく書いていきます。

<①原因究明>
まずは原因の特定。この辺は、ネットでもQ&A方式で診断できるサイトがあるので、色々参考にしてみました。
そもそも電源が入り、BIOSが起動するということは、CPUとかは大丈夫なわけなので、おそらく原因はHDDのみのようです。ノートPCで一番高価な部分は液晶ディスプレイであり、次にCPUですから、もしこの辺がイカレた場合は諦めて新しいPCを買った方が良いでしょう。昔、14万で買ったPCの液晶が映らなくなって修理見積もりをしてもらったら、「最低9万かかる」とか言われましたからね。特に今回は2万円で買ったPCですから、流石に1万円以上は出せません。今回何とかしてみようと思ったわけは、HDDだけの問題なら、最悪買っても5千円ぐらいで済むという目算があったからです。買い換えるにも、最近のノートPCは何故か安くて7~8万、それなりのものは軒並み10万超えと、10年前の相場に戻ってしまっていますしね。必要最低限の機能だけ備えた3万円程度のネットブックというカテゴリーは、一体どこに行ってしまったのでしょうか・・・

<②試しに再セットアップ>
HDDが壊れたとして、次に試すのは「復元できないかどうか」です。何か必要なデータが飛んで起動しないだけであれば、買った時についてくる「リカバリCD」を使って復旧や再セットアップを試みれば、また使えるようになります。「OSまで立ち上がるけど…」とか、「最近動作が異常に遅くて…」というのも、これでばっちり直ります。もちろん、初期化をすると言うことですから、自分のようにデータは全部消えても構わないという場合に行う方法であり、普段からCドライブにデータを置かないよう心がけておくと良いでしょう。データ復旧をするとなると業者に頼むしかなく、相当なお金がかかってしまいますからね。と言うわけで実際にCDを入れて試してみた所、復旧にしろ再セットアップにしろ、「ハードディスクが認識できません」と出てしまい、それ以上進めませんでした。これは本格的に「HDDが丸ごと壊れた」ことを暗示しています。ひょっとしたら接触不良という可能性もあるので、簡単に外せる電池を外して試してみましたが、やはり駄目でした。

<③HDDの規格>
そして今日、しばらく封印しておきバッテリー放電後にもう一度②を試してみましたが、やはり同じ症状が出たので、ようやくHDDを買う決意をしました。しかし、USBで繋ぐ外付けHDDなら持っていますけど、内蔵型を買うのは初めての経験です。おそらくメーカーによって規格が違うでしょうし、もし買ったものが使えなかったら最悪です。メーカーのHPでは、何故かHDDの規格まではよく分かりませんでした。そこで思いついたのが、新見南吉の「手ぶくろを買いに」で、子ぎつねが「このお手々にちょうどいい手袋下さい」と言うシーン。つまり、ノートPCを持っていって、「このPCにちょうどいいHDD下さい」と言えば、店員さんが調べてくれるだろうと考えつき、その後すぐ「電話で型番伝えて聞けばいいか」と思い直しました(笑)
で、早速電話して聞いてみると、最近のはSATAとSSDという2種類があり、どちらが当てはまるかは分からない(どっちも売っている)とのことでした。そこで、どうせ自分で付け替えるのだし、買いに行く前に一度カバーを外してみて、HDDの規格を調べることにしました。もし分からなくとも、HDDだけ持っていって「これと同じの下さい」と言えば済む話ですからね(笑)ちなみに一応修理業者にも問い合わせた所、HDDの実費抜きで「取り付け、インストール、できる限りのデータ救出込み13000円、取り付けのみ3000円」とのことでした。また、大抵のノートパソコンのHDDはネジを数個外すだけで簡単に取り外しができると言うことも教えてもらうことができました。インストールぐらいは自分でもできますし、データはもう必要ありませんから、自分でやってみて分からなければ3000円で頼めばいいかと言う軽い気持ちで、分解を始めました。

<④分解、そして…>
極小ドライバーを用意し、いざ分解開始。幸運なことに、正に自分の同じ型番のノートPCを分解しているHPを発見したので、それを参考にしながら作業することができました。まず感電防止のため電源コードと電池を外します。外カバーは、ネジ1個に守られているだけで、それを外してスライドさせるだけで簡単に外れました。

お目当てのHDDは右下にあり、ネジ4個を外して下にスライドさせると簡単に外れました。HDDはSATAという規格で、所々に見えた中国語と「MADE IN CHINA」が気になりました(笑)というか、HDDだけでなくほとんどの部品が中国製なのですが・・・異様な安さと故障の理由?が分かって納得ですけど、これ情報流出装置とか仕込まれてない?
ちなみに右上がCPUとファン、真ん中がメモリで、下は場所的にLANとSDカードでしょうか。最初のノートPCの時にメモリを増設したことはありましたが、あの時はキーボード側から外していったからか、メモリ以外は見えるようになっていませんでしたし、全体的にここまで簡単な仕組みではなかったような気がします。今は個人情報の問題もあるので、HDDも簡単に取り外せてドリルで壊せるような(笑)仕様に変わってきたのかもしれませんね。
折角なのでホコリを掃除しつつ、ふとファミコンの接触不良時によくやった「カセットフー」の要領で、一旦外したHDDをもう一度はめ込み、電源を入れてみました。

・・・ジジジジ・・・

ジャジャーン(起動音)
ついたあ!!!
何と、本当にただの接触不良だったようで、普通にデスクトップ画面が立ち上がり、データもそのまま残っていました。おもむろにシャットダウンしてまた全てのネジを締め直し、もう一度つけてみても、再びちゃんと起動しました。今は断末魔をあげるXPネットブックから離れ、快適なXP生活を取り戻しています。それにしても、よもやファミコン世代の経験がこんな所に生かされるとは(笑)何はともあれ、HDDを買ったり業者を頼んだりする前に解決できてよかったです。電話で教えてくれたお店の人にも感謝ですね。

思えばこうしたPC上のトラブルって、よく分からないことが多すぎて尻込みしてしまうことが多い気がします。今回のように、1つずつ手順を確かめながらやっていくと解決できる場合もあるわけですが、実際の所は業者に任せたり、新しいのを買ったりするわけで、ついつい余計な出費を重ねてしまいます。今は専門知識を用いて直しつつ長く使おうとするよりも、大量生産で作られた新品を買った方が安く上がってしまうのも問題でしょう。学校のPC関係のトラブルの際に動員される委託業者も、ちょっと来て配線弄るだけでも出張費で1回3万円とかするらしいですしね。まあ、だからと言って自分がタダで使われるのは我慢なりませんが・・・ウイルスソフトの更新が滞ったPCの修正とか、どうせ皆が帰った時間外にやるしかないのですから、せめて時給千円とかつけてくれないかなあ・・・。

何はともあれ今回は自力で頑張り、部品代0・出費0(電話2件)・実働時間1時間に抑えられ、ホッとしました。浮いたお金でバックアップのバックアップ用に外付けHDDでも買おうかな?

金華山6コース制覇

2014年11月25日 | 自伝
昨日、金華山にある6つの登山道を全て制覇しました。

と言っても、岐阜公園側から登る主要4コースは年に1~2回は行ってどこかに挑戦しますから、未だ登ったことがなかった日野側から登って、岩戸側に降りてきたと言うだけです。実は土曜日にも妹の子ども達を連れて「七曲がり」で登っており、その下見やら富士山前のトレーニングのためにも今年はちょこちょこと七曲がりや他の3コースでも登っていました。で、残りの2つは登山口が全然違うので今まで行く気が起きなかったわけですが、折角なので年間制覇してみようと思い立ったわけです。
金華山は火山でなく、隆起・侵食等の造山運動によってできた山であり、噴火の心配はありません。当然富士山のような円錐形ではなく、凸を反転させたような形をしています。実は金華山ドライブウェイ(途中で「七曲がり」に接続)につながる脇道も入れると山中にかなり多くの道ができていて、登山口も自分の認識で各所に10以上はあり、登山道同士をつなぐハイキングコースなどを併用すれば、そのどこからでも頂上の岐阜城に辿りつくことができようになっています。登山道やハイキングコースはこのサイトが詳しいですが、一応岐阜城につながっている6つの登山道を紹介します。

1「七曲がり登山道」1900m60分・・・文字通り7つに折れた林道を抜け、中盤からは真っ直ぐ延々と石段を登っていく。織田信長がいた時代は馬でこの道を登ったとのこと。幼稚園児でも大丈夫(笑)景観は△
2「百曲がり登山道」1100m40分・・・グネグネと曲がりくねった山道。木の根の間や岩場を登っていく。それなりに急になっており、速く登れるが結構疲れるので小学生向け。下りには丁度良い。景観は△
3「馬の背登山道」1100m40分・・・金華山の最難関。ほぼ一直線に崖を登っていく感じ。5ヶ所ほど岩場があり、手を使って登っていく。中学生以上向け。自分は基本的にココ。ただし下りは危険。景観は○
4「瞑想の小径(こみち)」2300m60分・・・前半は林道で楽々だが、後半岩場が出てきて結構大変。とにかく長い。石碑に偉人の名言があるのが名前の由来であり、決して迷走ではない(笑)小学生向け。景観は◎
5「大釜・高鼻ハイキングコース」2300m70分・・・ザ・登山という感じの心地よい山道。一気に上った後、唯一尾根伝いに2度アップダウンを繰り返す。日野からの登り口が分かりにくいのが難点。小学生向け。景観は◎
6「東坂ハイキングコース」1100m40分・・・金華山ドライブウェイ出口の岩戸公園から登っていく。山道は百曲がりに似ているが途中岩場と山道を選べるようになっている。脇道が多く標識に注意。小学生向け。景観は○

まあ、どの道で行ったとしても往復平均2~3時間のお手軽登山ですね。実際に登った感覚で難易度をランキングにすると、楽1<5<4<2<6<3難と言った感じでしょうか。はそれぞれ登山口と下山口が近いか一緒なので「馬の背で登り、瞑想の小径で下りる」といった使い方をよくします。が、今回挑戦したは日野の達目洞(だちぼくぼら)と言う所から登るので、鵜飼大橋まで堤防を走って行き、トンネルを抜けて156号のバイパスとの立体交差となっている所の下をくぐって抜けないと辿り着けませんから、かなりマイナーな登山道だと言えるでしょう。駐車場は普通にありましたけど、これ車で来ていたら近づけなかっただろうなあ(笑)ちなみにここから岩戸側に抜けるハイキングコースもあるので、ココやの岩戸公園に駐車して、の合わせ技も可能のようです。1~4側は岐阜公園とその城下町になっているので、近い所は基本有料駐車場ですが、川沿いに少し進むと河川敷に無料駐車場があります。

の北斜面、大釜登山道を進み、上まで出るとあとは高鼻ハイキングコースを尾根伝いに進む感じです。途中に見える長良方面の景観や、岐阜城を目前に一旦下って行くもどかしさ(笑)そして一瞬見える156号等、登山道の中で唯一南北の景観のある面白い道でした。1ヶ所だけハシゴ場もありましたしね。ゴールは瞑想の小径に接続し、石段を登って岐阜城の傍に出ました。登山道中一番長い道のりですが、40分ほどで来られたようです。
で、帰りはの東坂へ。ここも今まで行ったことなかったのですが、この時点でもう日暮れが近く、距離的に一番速く下りられそうだったので選びました。少し下りていくと道が2手に分かれ、岩場と迂回コースが選べるようでした。当然岩場を選択。速さもさることながら、岩場の方が視界が開けて明るいですしね。今まで余り見たことのない南側の展望は明るければ遥か名古屋まで見渡せ、この時間帯はほのかに夜景っぽくなりかなり良かったです。5時を回ったところで無事最後の分岐を過ぎ、どんどん暗くなる中を下りていきました。下山なので20分ほどでドライブウェイとの合流地点が見え、無事ゴール!と思ったら・・・
ズザーorz...
アスファルトまであと数歩の所で躓き、両手に少し怪我をしてしまいました。やはり最後の一歩まで気を抜いちゃいけませんね。

その後家まで歩き、15km3時間のロングトレイルとなりました。

一駅歩こう

2014年11月11日 | 自伝
都会人「健康のために一駅くらい歩こう!」 地方民
・・・岐阜地方在住ですが、仮に1駅7kmだって普通に歩きませんかね。

以前東京に遊びに行った時は、東京駅から皇居をぐるっと時計回りに靖国神社まで5kmほど歩きましたし、山手線の外周に出ると結構2~3kmあったりしますよね。自分の場合は、最寄駅から家までが2~3kmなので、飲み会帰りには基本的に歩いてきますし、足が痛む時期にはウォーキングもよくしますから、5km10kmは余裕だと思っています。時間はかかりますが、ジョギングに比べれば疲れもないし、実はウォーキングの消費カロリーもそれなりにありますからね。ちなみに5km歩けば大体300kcal、ジョギングで400kcal消費するそうです。運動時間で見ると、1時間歩くのは350kcal、ジョギングで600kcalだとか。体重や負荷によって多少増減しますが、単純計算するときの目安として覚えて使っています。詳しく調べてみると、こうした消費カロリーはMETS(メッツ)という個々の運動に定められた「運動強度」を使って計算し、「消費カロリー(kcal)=運動強度×時間(h)×体重(kg)×1.05」で求められるそうです。この中で変数は時間だけですから、時間に比例していることが分かりますね。速く歩けばその分早く目的地に着いてしまいますから、実は運動強度次第ではゆっくり歩いて時間をかけた方が消費カロリーが高かったりするわけです。まあ、ウォーキングは景色を見る余裕があるため、時間を気にせず目的地を決めて距離を目安に、ジョギングは時間を目安にすると始め易いかもしれません。

ところで、岐阜-名古屋間は30kmちょっとありますが、この区間はJRと名鉄が競争をしているので、普通よりも安く速く行くことができます。何故速いかと言うと、途中にある駅を飛ばして進むからですね。特にJRの新快速はほぼ中間地点にある一宮1駅しか停まらず、その距離は15kmにもなるのです。3時間ぐらいあれば十分歩けますから、名古屋での飲み会帰りの気分転換に「1駅前」の一宮で降りて3時間歩くのはアリではないでしょうか(笑)まあ、酔っ払って迷子になると悲惨ですから、酔う前に行こうと思い、一度家から名古屋まで歩いて行った時は、冗談抜きで6時間ぐらいかかりました。先の計算式に当てはめると約2000kcalの運動量ですから、おそらく飲み会で摂取したカロリー以上に消費したと思われ、健康のためにはなったかもしれませんけど、汗だくのまま帰りの電車に乗るのが辛かったです(笑)

山手線なんて直径10km、一周でも34km程度ですから、内部にいるなら一駅と言わずどこまでも歩けますな(笑)

富士山登山 下編

2014年09月14日 | 自伝
富士山の夏山シーズン終了…登山者6万7千人減
やはり今年は狙い目だったようですね。駆け込み登山でしたが、大正解だったようです。

今年は7年ぶりの低水準らしいですが、むしろ2007年まで25万程度だった登山者が、2008年から一気に5万人も増え、30万人を突破しそのまま昨年まで高止まりしていた感じなので、今年は戻ったとも受け取れます。2008年に何があったかは定かではありませんが、特に吉田口の登山者が急増したとのこと。一応の理由としては世界文化遺産に向けた取り組みが加速し始めた時期だったので、宣伝のためベテランが何度も上ったり、若者による弾丸登山が増えたりしたことが挙げられるようです。トイレ環境も2006年頃に良くなったらしいですしね。
任意の入山料1000円徴収程度では低調の理由にはならないでしょうし、天候不順が続いたこともありますけど、一番の理由はやはり過去最長53日間のマイカー規制だと思います。9月の開山延長は今年からだったようですが、自分もマイカーでなければ臨めなかったでしょう。せめてシャトルバスが24時間運行していれば・・・まあ、このまま高止まりが続くと世界遺産登録抹消となるかもしれないらしいので、ひょっとしたらベテラン勢が自粛していたのかもしれません。来年も同じ感じで乗り切り、2016年からまた登山者大爆発となるのではないでしょうか。いずれにしても、空いている時に上りたいという自分の狙いは当たったことになりますね。「富士に一度も登らぬ馬鹿、二度登る馬鹿」とも言いますし、確かに高山病こそ回避できたとはいえ、かなり体力や神経を消耗しましたから、頂上でも下りてからも、とりあえず「来年ももう一度・・・」という類の感想は抱きませんでした。喉元過ぎれば・・・で、来年は分かりませんが。

では登頂記の続きをば。
山頂はそれなりに人がいましたが、思ったほどではありませんでした。予定通り午前中に頂上まで来られたので、日暮れまでにはかなり余裕があります。売店のような所では、ついにペットボトルが500円になっていました。また、途中の山小屋もずいぶん閉まっていましたけど、山頂では神社まで休業するようです。二度と来られなくてもいいように付近をウロウロし、しばらく休憩した後、お鉢巡りに挑戦しました。富士山の頂上は火口を囲むように一周3kmぐらいのトレッキングコースになっていて、自分が登ってきた山梨側の吉田口と静岡側の富士宮口の頂上は、時計で言うと3時と9時辺りに位置し、それぞれ反対側にある感じです。そして日本最高峰の剣ヶ峰は11時辺りなので、どちらかと言うと静岡側にあり、吉田口から登った場合は最低40分ほどかけて反対側まで歩いていかないといけないのです。ぐるっと一周しても良かったのですが、この日本最高所に長くいられる自信は余りなかったので、剣ヶ峰方面に近い反時計回りに進み、同じ道を往復してくることにしました。山道ほどではありませんがそれなりの起伏があり、少しでもペースを上げるとすぐに息が切れます。尾根を2つ越えるような感じでアップダウンを繰り返し、ようやく最後の上りをクリアして、ジャスト正午に剣ヶ峰3776mに到達しました。

この奥に観測所のような建物が建っており、実質そこが日本一の高さのようですが、さすがに上れないようでした。しばらくここに留まって写真を撮ったり撮らされたりした後、まどみちおさんの「1年生になったら」の歌詞にあるように、おもむろにおにぎりを食べてきました(笑)流石に1年生100人をここまで引率してくる勇気はありませんね・・・そういえば子どもはほとんどいなかったような。半袖短パンの外国人はいましたけど・・・どういう体の構造しているのだろう?

20分ほどその場を満喫した後、元来た道を帰りました。来る途中も、何か温かい空気を感じ不思議に思っていたのですが、帰りも同じ場所で感じたので気になって地面を触ってみたら、若干熱をもっていました。よく見ると硫黄の黄白色に染まった石が所々に落ちています。富士山は活火山だと言うことが良く分かりました。下山道の脇には氷柱も見られ、温められたり冷やされたり、苛酷な環境であることもよく分かります。
再び吉田口側に戻ってきて、そこで持ってきたお菓子を食べ、下山に備えました。登山道を見下ろすとまだまだ続々と上ってくるようだったので、普通に日中登山を試みる人も案外少なくはないのかもしれません。まあ、コースタイム通りならこの後昼過ぎに一応のピークが来るはずです。ご来光組の場合は夕方か夜明け前にピークになりますし、自分の上った正午前という時間帯は、どうやら朝一登山の先発隊と言うか、予定通りピークを避けて上って来られたようでした。実際、下りた後のスバルラインの駐車場は満員で、側道にまで車が停まっていましたから、丁度良いタイミングでアプローチできたのは間違いないでしょう。風は強く、気温も低いけど、一応真昼なので耐えられないほどではありません。水分はこの時点でお茶とスポーツドリンクが半分ずつ残っていたので、まあ下山も持つでしょう。体調も悪くはありません。あとは怪我をせずに下り切るだけです。

トイレに行って、13時半に下山開始。下山道は須走口と同じで、行きとは違う所にあります。行きは○合目ごとにそれなりに変化に富んだ道でしたが、帰りは延々と砂地が続き、多少滑りながらひたすらジグザグと降りていきます。砂煙が凄いことになるという情報があったので、マスクをしていきました。無論まだ高所ですからあまり急ぐことはできず、「砂走り」もできません。ただ全く休憩しないままひたすら下り、14時に8合目分岐、14時50分に7合目トイレ前、15時半に6合目合流地点と通り過ぎ、16時にはもう下山完了となりました。ジャスト2時間半でしたね。コースタイムは4時間なので、相当早く下りて来られました。懸念していた最後の上りとなる所は、標高3700mでの簡易高地トレーニングが効いたのか、全く息が切れることなく上れました。むしろひたすら下り続きで足が痛くなっていたので、最後の登りはまるでご褒美のようでした(笑)これは普段のジョギングも楽々できるようになるのかもしれません。また、8合目分岐で須走口と分かれるのですが、今年は分岐をずらしてロープを張る対策もされたようですし、しゃべる立て札が示されており、間違いようがないようにすら思いました。まあ、薄暗いと万が一と言うこともあるのかもしれませんけどね。
気がつけば靴がが砂埃で真っ赤に。足腰には自信があったので靴に関しては全く頓着せず、普通のスニーカーで行きましたが、帰りは結構深く砂に埋まりますし、また上りの岩場が雨に濡れていたりすると、それなりの登山シューズが必要だったのかもしれません。いずれにしても、この富士登山に関して特別に買った装備は何もなく、行き帰りの交通費を除けば、スバルラインの2060円、入山料1000円、山頂トイレ300円、おにぎり6個とパン・ペットボトル3本、おやつ少々で約1500円、合計5千円以内というリーズナブルな出費に収まりました。今から思えば、山頂で土産ぐらい買っても良かったかもしれませんね(笑)

まあ、それだけで帰るのも味気ないので、とりあえず立ち寄り湯800円に浸かって、甲府名物である「ほうとう」を食べました。どう考えても冬の食べ物なのですが、富士山はずっと寒かったので、夏場でも温かいものが食べたくなる気持ちは良く分かります。どでかい有名店らしき所で、熟瓜餺飩(かぼちゃほうとう)一人前1150円と結構しましたが、どう考えても野菜や麺は2人分ぐらい入っていて、ほとんどの客が食べきれずに残していました。それで商売成り立つのか・・・?

自分には4食ぶりのご馳走だったので、しっかり完食。また車の中で仮眠をとり、岐路に着きました。

総括してみると、富士山は標高が高いと言うことが良い面も悪い面もあり、総合的には伊吹山よりもある意味楽だったように感じました。標高が高いと息苦しく、無理ができないので、必然的に歩みがゆっくりになり、一定の速さで登ることができます。ペースを上げたり、一気に駆け上ったりして後でゼイゼイとやるより、同じペースで休憩せず進んだ方が効率も良く疲れも少ないことは、ジョギングなどと同じ理屈です。7合目辺りには手を使わないと苦しい岩場もありますが、距離が長い分、全体的な傾斜はそれほどあるわけではないので、5合目でしっかりと高度に順応させ、一歩一歩亀の歩みで登れば、子どもやお年寄りでも不可能な山ではないでしょう。
また、気温が低いことも利点としてあげられます。余りに寒いのは体力を奪われますが、しっかりと防寒できていれば、冬のジョギングのように汗もあまり出ずに楽に行ける気がするのです。夏場は平地でも立っているだけで汗が出ますし、ジョギングすれば5分で汗だくです。夏場に本気で運動しようとすれば、それこそシャツが絞れるほど汗をかき、それだけで相当体力を消耗します。水分補給をするために、ペットボトルも余分に持っていかないといけませんから、荷物もその分重くなってしまいます。伊吹山では途中で買ったのも合わせて2.5リットルも飲みましたが、富士山では結果的に8合目までに1本、頂上で1本ぐらいの水分で十分でした。もちろん1本は予備があった方が良いので、1.5リットル持っていったことは後悔していません。それでも、これだけで荷物の重さが1kg違うことになりますから、非常に大きいですね。まあ、8月の最盛期ではないし、序盤は霧雨状態だったので、たまたま必要なかっただけかもしれません。
持って行った物は、普通のリュックに飲み物、おにぎり、おやつ、手ぬぐい、タオル、ハンカチ、おしぼり、ウィンドブレーカー、レインコート(ポンチョタイプ上のみ)、ガイドブック、ビニール袋、メモ帳とペン、小銭、携帯、マスク、カメラ、ティッシュ、救急用品、日焼け止め、軍手です。装備は伊吹山の反省を生かして極力少なくしたので、リュックの重さは全く気になりませんでした。アレもコレもと予防策を取り出すと、無駄な重さで逆に辛い思いをすることになりますから、コツは最低限必要なものを考えることです。工夫したのは予め濡らしたハンドタオルを持っていったこと。まあ、ウェットティッシュがあればその方が良いかもしれません。ライトは携帯の光で代用するつもりでしたし、時計も携帯で十分。またコースタイムの記録はわざわざメモせず、写真の時刻を後で拾うことにし、到着時、出発時など、要所要所で写真を撮ることにしました。立て札や山小屋を撮っておくと、距離や標高も分かって後で便利ですね。途中落として焦りましたが、何とか動いてくれたので助かりました。これも最悪携帯で代用できるでしょう。帽子は飛ばされると嫌なので、手ぬぐいを頭に巻きました。伊吹山ではタオルが絞れるほど汗をかきましたけど、ここではハンカチで十分でした。むしろ首に巻いていると飛ばされそうになったので、タオルはほとんど使いませんでした。軍手も出番なし。杖やストックなどは、普段使っていないので返って邪魔になると判断しました。携帯酸素も、十分時間をかけて登れば必要ないでしょう。
5合目からの総活動時間は5時-16時だったので、合計11時間です。結果的には2時間ずらしても良かったかもしれませんけど、混雑状況なども考えるとまあ最善だったと思います。ただし、前日夕方からかっとばしてきているので、ちゃんと仮眠はとったとはいえ0泊3日の強行日程であり、睡眠時間は非常に少なく、帰宅後は即爆睡しました。行き帰りの行程まで含めれば、伊吹山は比べ物にならないほど楽でしたね。

まあ、コレが叶うなら普通の金土日に行って来ることも不可能ではないわけですが、この弾丸行程だけは余りお勧めできません(笑)一生に一度の大冒険だったと言えるでしょう。