霞ケ関駅で鎮魂の祈り=職員ら黙とう、献花―地下鉄サリン事件20年
もう20年も経つのに、未だにサリンの後遺症に苦しむ方も多いのだとか。改めて事件の非道さを感じます。
13名が死亡、6300名が被害に遭った、日本の歴史上最悪の無差別テロでした。
3年前に最後の指名手配犯が逮捕されましたが、裁判はまだ続いていますし、「解決」となるにはまだまだ途方もない月日がかかりそうです。リンク先でも述べたように自分は当時中3で、最も多感かつ暇な時期に発生したので、その後のオウムへの強制捜査まで、それこそ食い入るようにワイドショーなどで情報を得て、高校に入ってからも友人達とネタにしていました。サリンの化学式や原材料ぐらいは軽く暗記していましたし、化学の先生に構造式の立体模型を借りてサリンを作ったりもしたものです。まあ流石に薬品を借りて作ってみたりはしませんでしたけどね(笑)
βと一緒に作った大百科にも、オウムネタや化学ネタが多く散見されるのもその影響の強さが伺えます。今で言えばイスラム国に感化されて学校でジョン君ごっこをするような感覚ですね。対岸の火事だと思っているからこそネタにできる幼稚な発想です。まあ今のようなネットやスマホがない時代なので内輪ネタで済んでいましたが、もし現代のような環境で当時作っていた膨大なオウムネタを発信したとしたら、自分達もポアされていたかもしれません(笑)
βとの思い出話をもう少しすると、当時あれだけオウムを馬鹿にしていたのに、何故か大学に入った後、別の新興宗教にはまってしまいました。「仏教系だからオウムとは違う」と言っていましたが、オウムだって教義を辿ると仏教ですし、もし寄付とかで抜け出せなくなるようだったら助けなければと、彼とメールで何万文字とやり取りをしながら語り合っていました。自分も宗教や哲学には興味はありましたけど、そういう学問や無駄知識として修める感じでなく、こちらの主張を論破して仏教の経典にある話の正当性を押しつけるような文体で、それこそ相手は何億人の信者をもつ仏教の教義体系。付け焼き刃な哲学やキリスト教知識では全て包括して論破されてしまい、正直自分の手に負えないものを感じました。彼は高校時代から優秀でしたが志も高く、結果的に一浪することになり、その間隙を宗教に付け込まれたのかもしれません。当時は有名大学であれば一浪、二浪は当たり前でしたけど、やはりプライドと言うか、現役に混じっている居心地の悪さから、自分探しや何か武器になるものを身につけようと宗教に走る者が多かったのではないでしょうか。少なくとも自分の高校時代の友人には、βも含めて3人そういうのがいました。オウム事件の後なのにです。
そのうち全国で開かれる教祖の講演会に誘われ、地元ならばと2回聞きに行きましたが、話自体は仏教の話で興味深かったものの、その場でやはりお布施を何度も集める時間が取られていました。今もあるのかは知りませんが、当時はそれぞれの大学の1サークルとしてさまざまな新興宗教が存在し、全国にネットワークをもっているようで、「旅行に行くサークル」と称して学生を引き込み、教祖が全国を回りながら講演をすることで布施を集めていたのでしょう。ただ、一緒に来たβの先輩に当たる人が「布施は自然にしたくなるまではしなくていいよ。」と言っていたので、その時は自分もβも出さなかったのを覚えています。しかしその後、その先輩の妹が偶然自分と同じ大学だったことが分かり、構内で彼女から執拗に勧誘される羽目に陥りました。仕方なくその宗教の被害者になった人の声をネットで探してそれを根拠にはっきり断り、βにもメールで「こういうサイトがある」と送り付けると、「僕はどうすれば?」という謎のメールを最後にそれ以来疎遠になってしまいました。彼がその後抜け出せたのかどうかははっきりと確認できたわけではありません。数年経ってお互い就職してから2度ほど別の友人絡みで飲んだのが最期ですが、その時は仕事の話ばかりで宗教の話はしませんでした。ただ、ふとした伝で彼のことを特集した記事に「学生時代は1つのことに熱中すると良い。」と書いてあったのを見つけ、文脈から就職後は離れたのだろうとホッとした覚えがあります。宗教に関わったから早死にしたとは思いませんけど、宗教を修めたから幸せに逝けたとも到底思えません。
「苦しい時の神頼み」と言う言葉の通り、心が弱っている時に聞こえてくる「さも真理っぽい言葉」は、自分にも経験がありますが非常に大きな支えになるものです。しかし、所詮はソレも一時凌ぎであり、慰み以外の何物でもなく、奇跡が起きて現実が変えられるわけでもありません。ましてやオウムのように、「ハルマゲドンが起こらないのなら自分達が起こしてやる。邪魔するやつは殺す」などと言う思想は最早宗教ではなく単なるテロリズムであり、いかなる手段をとっても壊滅させる必要があるでしょう。
ちなみに地下鉄サリン事件の話題は職場でもしていましたが、20代の同僚に振っても全くピンと来ない様子でした。1995年と言う時代は、まずバックグラウンドに「ノストラダムスの大予言」があり、エヴァやバスタードなど、終末思想を描いたアニメやマンガも多く存在していました。バブルもはじけて不況の真っ只中であり、総理も村山富一とか言う社会党のマユゲ(笑)でした。そこに阪神淡路大震災が起こったわけで、本当に21世紀を迎える前に恐怖の大王やハルマゲドンが訪れるかも?と言った恐怖感に日本中が包まれていた時代です。ちょうど鎌倉時代の末法思想に似ていて、1000年前にも相次ぐ天変地異や飢饉により世が乱れ、武家社会が興り、宗教的にも新たな柱として浄土信仰が盛んになると言う変化がありましたが、この時もまさに新興宗教のメッカとも言える時代だったのです。
この時代の空気を感じるには、小林よしのりの「ゴーマニズム宣言」を読むのが一番でしょう。7巻で坂本弁護士一家失踪事件をマンガに取り上げてオウムの関与を推理した所、オウムから抗議を受けた挙句訴えられ、しかも裁判中に暗殺されかけるという異常事態でしたからね。彼がその後薬害エイズや慰安婦捏造問題、戦争論、天皇論と、言論力に磨きをかけていったのも、コレがきっかけだったと言えるでしょう。その裁判や暗殺未遂、雑誌を追われる経緯までしっかりマンガに描かれていますから、自分も今読み返していますが、ずっと読んでいくと当時の流れが本当に良く分かります。地下鉄サリン事件から20年の区切りであるため、最近テレビでやたらと特集が組まれていますが、今でこそ「オウムの極悪非道な行為を何故止められなかったのか」などと言っているマスコミが、当時は率先してオウムをテレビに出演させ、大々的に宣伝しながら潔白アピールの手伝いをし、オウムに異を唱える小林氏のような人物を叩いていたという事実を意図的に外して特集しているために、何故そんな集団がのさばったのか若い人達には全く分からないのです。これ本当に、戦争についてもこの通りだったのだろうなあ・・・もちろん警察の動きも鈍かったかもしれませんが、何かあるとすぐに「宗教弾圧だ」「国家権力の暴走だ」などと世論を味方にして言ってくる輩に囲まれては慎重に動かざるをえなかったのでしょう。戦争や原発事故などもそうですけど、国民を炊きつけ扇動しておいて言いっ放しのまま後で何の責任も取らず、時間が経つと「何故起こったのか」「検証を」などと第三者面して見当はずれな犯人探しを始めるのは本当に卑怯ですな。
1つ事件が起きるとマスコミがワッと群がって現場を荒らし、被害者や地域住民のプライバシーを白日の下にさらしたり、結果的に捜査をかき回して長引かせたり犯人に利する行動をとったりする状況は当時から全く変わっていませんが、警察の捜査については防犯カメラやNシステム、顔認証等、20年前とは格段に進歩していることでしょう。社会の目も厳しくなり、不審物、不審者のチェックも非常に厳重になりましたし、ネットの普及によって情報の共有速度も当時とは格段に上がっています。どこかに怪しい施設があったり、怪しい行動をする人物が発見されたりすれば、瞬く間に全国に知れ渡るでしょう。昔のように「市民団体の抗議集会」としか報道されないようなデモも実は中核派などのテロ組織が糸を引いていることがネットですぐに明らかになるなど、マスコミの捏造や隠蔽体質も今はたちどころに暴かれてしまいます。まあバイトテロのようなおフザケや、隠されるべき個人情報までもが瞬時に広がってしまったりするような問題もありますが、明らかに組織的犯罪や意図的な扇動行為は起こしにくい世の中になっていると言えるでしょう。これが全て良いとは思えませんけど、日本で二度と再び同じような事件が起きないようにマスコミを監視していくことが、犠牲となった方々に贈るせめてもの餞なのかもしれません。
麻原ももう還暦か・・・人生の3分の1を裁判で過ごすなんて思ってなかっただろうなあ。自業自得。