安保関連法が成立=戦後政策、歴史的転換―集団的自衛権行使容認・野党抵抗未明まで
成立を見届けようと思っていましたが、投票に入った途端に眠気に襲われてしまいました(笑)
予想外に19日未明までずれ込んだものの、まあ概ね予定調和といった感じですね。むしろ国会が夜通し開かれたのは、わざと朝刊に間に合わない時間帯に成立をもってきた与党の作戦だったのかもしれません。シルバーウィークに入るとデモに参加する暇な人がさらに増えそうですしね。つーか今日の日経では、デモや批判意見も取り上げつつもやはり時代の流れかという風潮だったので、一応成立前の記事とはいえ少々拍子抜けしました。こうなると朝日の発狂ぶりが気になるな・・・
安保の衆院通過の時点での記事がひどすぎたので日経に乗り換えたわけですが、離れてみるとあの世の中を斜に構えて見る論調が懐かしく思います。いると煩わしいけどいないと寂しい甥や姪のようなものでしょうか(笑)そのうち図書館でバックナンバー読んで来ようかな?
以下は、この3日間温めてきた文章です(笑)
安保の歴史はデモや反対派議員との戦いの歴史でもあります。60年安保、70年安保の頃は流石に自分も生まれていませんが、wikipediaやTVの特集で見る限り、学生運動が非常に盛んな時期だったからか、今回の騒動など及びもつかないほどの大反対のうねりが起きたとか。しかし、あれから40年(笑)日本は戦争に巻き込まれることも巻き込むこともなく、平和国家の代名詞とともに世界のリーダーシップを取れる国としてその地位を確立してきました。一時は金しか出さない国、旗を見せろなどと言われつつも、憲法の範囲内で徐々に踏み込んだ国際貢献を行って築いた、まさに地道な努力が実った成果だと言えると思います。おそらく今回の新安保成立によって、日本はさらに国際社会で名誉ある地位を占めることができるでしょう。国際平和活動に協力することは、日本の存在感を世界に示すことになり、かつての戦争の償いを積極的に行っていると肯定的に見られるなど、非常に利点が多いわけです。戦争を起こす、戦争に巻き込まれるという指摘は、大東亜戦争の時のようにしつこくマスコミに煽られない限り(笑)今後も決して起こりえないと思います。
戦争は、安保に賛成であろうが誰だってしたくありません。自分だって教え子を戦地へ送り出すような時代には絶対にしてはいけないと思っています。これは戦後の日本が行った平和学習の成果の1つであると思いますが、その根本にあるのが「皆が仲良く話し合い、相手を尊重し協調しあっていけば世界中が平和になる」という考えです。しかし、例えば学級という狭い単位ですらケンカやいじめは起きますし、教師が題目のように「仲良くしなさい」と言っても、やはりどうしても苦手な相手というのは生まれてくるものです。利害が絡む隣人トラブルなどはいっそう解決が難しいでしょう。言っていることは理想ですし、そうありたいと願う気持ちはもちろんあります。しかし、残念ながら人類の歴史上そういう判断で国を守れた事例は存在しません。根拠はないが、人に信じさせる力をもつ平和主義。これは、言わば宗教のようなものではないでしょうか。宗教は既存の何かに対抗して生まれるものですが、日本の場合は先の戦争を完全否定する宗教が生まれたのだと思います。
この「平和教」の協議は間違いなく憲法に起因します。憲法9条には「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し」とありますし、前文にも「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼しわが国の安全と生存を保持しよう」とあります。これは、日本以外の他国が正義を重んじて秩序を保ち、公正と信義ある国ばかりであると信頼することが前提にあるわけです。もちろんそう信じることは大事ですが、そういう国ばかりでないことは周りを見渡せば明白でしょう。日本を悪者にしようと画策する国や、国際法を無視して軍備・核兵器を拡張する国。自分達さえ良ければ回りはどうでも良いと考えているとしか思えない国。平和というのは、自分だけが願っていても守れないのです。先に隣人の例えを出しましたけど、当然物理的に近いということは利害関係に直結しますし、世界を見渡しても隣同士で仲の良い国というのは余りないのが実情です。日本は島国なので、ある程度の干渉からは守られていますが、そういう島国根性が生んだのがこの「平和教」ではないでしょうか。現に、今ヨーロッパで大問題になっている難民の受け入れに対し、「かわいそう」だとは思っても、「日本に受け入れてあげよう」と思っている人はほとんどいないのではないでしょうか。沖縄に集中する米軍基地も、放射性廃棄物の受け入れ先も実は同じ類の問題です。要は、「自分の平和さえ脅かされなければ、世界やヨソで何が起こっていようが関係ない。俺達を巻き込むな!」ってことでしょう・・・国会外で反対の声を上げている方の論調は、まさにこういう身勝手な思考回路なのです。そのくせ何か問題が起きた時には、対応できていなかったことにまた批判する。なのでいつも対応は泥縄式になってしまうのです。
現実的に日本の平和をどう守るか考えた時、憲法は日本国内の最高法規なので、他国にまでは影響を及ぼしませんし、憲法を胸ポケットにしまっておいて銃弾を受け止めるわけにはいきません。そうなると、やはり日米同盟が非常に大きなウェイトを占めるでしょう。70年前の大東亜戦争で日本は負けましたが、日本という極東の小さな島国が世界中の連合国と一番最後まで戦ったという事実は、多くの国々にとって大きな衝撃だったことでしょう。アメリカでさえも、戦後はソ連情勢など様々な思惑はあったものの、結局日本の国体を保持して協調路線をとったのは、「この国は二度と敵に回したくない」という思いがあったからではないでしょうか。相手が友好の手を差し伸べてくれる場合、日本はその相手を疑うことは決してありません。世界から見ると「鬼畜米兵とまで言っていた相手と何で仲良くできるの?」と訝られることでしょうけど、これが日本の「平和教」なのです。まあ60年安保の頃はまだアメリカを敵とみなして反対していた方もいたでしょう。自衛隊ですら違憲だと騒いでいたくらいですからね。日本は元来自然災害が多く、過ぎたことは忘れて切り替えないといけない異常事態を多く経験してきたため、他国に比べ「過去は水に流してまた歩み出す」傾向が非常に強いと思います。ちなみに大災害に対して、警察や自治体などよりも迅速かつ体系的に救助活動ができる組織は自衛隊しかありません。そういう姿を何度も目の当たりにして認識が変わってきたように、今後も海外派遣等で活躍する姿を見ていけば、集団的自衛権の必要性も理解されていくのではないでしょうか。
戦争に勝ったアメリカと負けた日本が手を組んだという事実は、漫画で言うと過去の強敵がお互いを認め合って仲間になるような日本人好みのアツイ展開ですし、囲碁で言うと大石同士がくっついて周りからはもうそれ以上手出しができなくなった状態に感じるのではないかと思います。日本側の勢力(軍事力)は小さくてもこれまで何とかなっていたのは、やはりアメリカの影響が大きかっただろうというのが自分の見方です。しかし70年が経ち、今の世界情勢の中ではアメリカもそれほど影響力を誇示できなくなりつつあります。代わって中国がその人口に物を言わせてどんどん存在感を高めていますし、人口増加率で言えばインドも近い将来強い影響力を示すようになるでしょう。GDPなどを見ても分かる通り、人口は国のエネルギーですからね。日本は人口減少社会となっていきますし、目まぐるしく変化する世界情勢の中では、これまで通りで何とかなるという考えよりも、やはりここでお互いの連携強化を図って乗り切っていくべきという考えの方が大事ではないかと思います。
それでも、行使するような状況が起きないのが一番良いと思ってしまうのは自分も平和教に毒されているのだろうなあ・・・