学校側に過失、14億円賠償命令=管理下の児童、津波で犠牲―大川小訴訟・仙台地裁
何とも不毛な裁判ですが、学校側の過失を認め、遺族側が勝訴した模様です。
この
大川小学校は自分も2012年に訪れています。同じ教員として、本当に防げなかったのか、どういう状況だったのか、経験したこともない自然災害の脅威の中、もし自分がいたら何かできたのか、現場をしっかりこの目で見ないと判断できないと思ったからです。そして出した結論は、上記リンクを読んでもらえれば分かる通り、「もし自分がその場にいてもなす術がなかった」でした。
ここが「登っていれば助かった」と言われている裏山です。100歩と書いてあるのでおよそ50m上がった所だったと思います。写真では分かりにくいですがかなりの勾配で、一歩一歩足が沈み込むし、登山道なんてものはもちろんありません。赤いテープは津波到達点か遺体発見現場か、いずれにしてもこの辺りまで登らないと助からなかったと言う印でしょう。「助かるにはここを登るしかない」と分かっていれば、確かに登ることは可能ですし、時間にすればものの数分のことでしょう。結果論で断罪することは最も安易で簡単なことです。しかし、自分が何故なす術がなかったと思ったのか、その理由は次の写真が物語っています。
おそらく児童が避難していたであろう運動場があった場所から、宮沢賢治の絵が描かれたプールを隔てて自分が登った裏山の登り口を写しています。川を背にしているので、実際に避難しようとし津波に襲われたのはこの写真の反対側です。右側に見えるように、運動場の真横側は丁度学校を守るように土砂崩れ防止用にコンクリート塀で塗り固められており、児童や教師にとっても、この山は「土砂崩れの恐れのある山」だと捉えられていて不思議はありません。このブロック塀よりさらに右側はとても登れるような傾斜ではありませんでした。助かった5名はその右側の断崖を命がけで登ったか打ち上げられたようです。じゃあ、最初から「登ることは可能」なこの左側の山を目指して登っていれば、もう少し生存率が上がったのではないかというのが、今回の焦点になっている部分ですね。今はかろうじて左側の登り口が見えていますが、まだ津波が来ていない、そして更地になる前、プールや学校には当然その敷地を示す、ある程度の高さのフェンスや壁、木などがあったと思われます。もしかしたら、運動場から裏庭までの最短ルートに、敷地外に出るための「門」がない可能性も考えられます。そんな状況では、この登り口は死角になっていたのではないでしょうか。また山が目に入っていても、余震によってこの山が崩れ、生き埋めになっていた未来も考えられたでしょう。普段登ってはいけない山は、緊急時には特に心理的な「壁」となってしまい、登ると言う発想に至らないものです。
岐阜は内陸なので、海端の学校の避難訓練がどうなっているかは分かりませんが、基本的にうちでは「地震や火災から身を守るため、運動場に避難する」までの訓練しか行っていませんでした。東日本大震災の教訓から「引渡し訓練」といって、保護者に連絡し迎えにきてもらう訓練が年1回やっと始まりましたけど、それ以前は明らかに避難完了がゴールで、「その後」のマニュアルはなかったのだと思います。大川小の立地は、海と言うより川沿いの学校と言うイメージでしたし、ハザードマップでも大川小は津波の警戒区域外にされていたそうです。そんな中で「津波が来ます」という警報が鳴り響くこと自体、想定外だったとしか言いようがありません。判断できた時間はたったの7分間。人間は非常時、正常性バイアスと言って最悪でなく「被害が最小限であって欲しい」と願ってしまいますから、津波が6~10mなら6mだと願って7mの高台の方を選択してしまった気持ちも分かります。裏山は危険だと言う先入観があれば、尚更この二択は迷えないでしょう。
2つの争点「津波の到達が予想できたか」と「裏山に登れば助かると判断できたか」は、全く違う選択です。裁判官の言う通り、前者は広報車が危険を知らせた時点ならYESだったでしょうけど、残された7分間で後者もYESだと判断を下したことに自分はまだ納得できません。この裁判官は、本当に可能な限り当時の状況を想像し、ちゃんと現場に行って実際に駆け上がってみたのでしょうか?もちろんシイタケ栽培などしたことのない1年生や、パニックになっている子ども、避難場所を頼って学校に訪れていたお年寄り達もひっくるめ、全員をわずか7分間の間に誘導し上がらせ切ることを想定して・・・の話です。また子どもを亡くした原告の遺族も、あの日「この津波は大川小一帯を飲み込む」と判断できていたのであれば、有無を言わず迎えに来てわが子を連れて帰るべきだったでしょう。現に迎えにきた保護者の対応で騒然としていたと言う話もありましたし、助かった児童の24名は親が連れ帰った子達です。教員でなくとも、迎えにきた誰かや地元の人が「裏山へ走れ!」と号令し、扇動することだってできたのではないでしょうか。そうしていないということは、教員と同じくその場にいた大人の誰もが「そこまで判断できなかった」のではないでしょうかね?大川小だけでなく、あの辺りは集落一帯が津波に飲まれ、子ども達に限らず大勢が亡くなっているわけです。事故報告書によると、正常性バイアスが働き近隣住民も積極手気に逃げようとしなかったようで、その死亡率は78%。ほぼ全滅に近い数値です。大川小は全校児童108名中の74名ですから、死亡率は69%。教員に限っては11名中10名なので91%です。学校にいた児童だけ、先生の判断ミスで殺されたとされるのは、自身の家族の安否も確認できないまま懸命に職務を全うし、殉職された先生方も不名誉極まりないでしょう。亡くなった子ども達だってそんなことは望まないと思いますけど・・・あの横断幕は不快を通り越して異様した。亡くなった子ども達は、最後まで命を助けようと努力し、一緒に死んでくれた先生を恨むより、「何で迎えに来てくれなかったの!」と叫んでいる気がしてなりません。
もちろん、遺族の心情を慮れば強く主張できませんし、行政が責任をもつのであれば賠償金は税金、つまり皆が少しずつ負担すると言うことになるのでしょう。それで遺族の心が救われるなら負担しようじゃないか、と言う温情的な趣旨の判断で学校側が敗訴になっているのかもしれません。今回賠償される人数は、亡くなった児童のおよそ3割だけですから、よほど金銭的な事情のある方達なのでしょう。しかし、日本は判例法主義なので、これは今後同じようなことが起きた時、学校または地方自治体の監督責任が非常に重くなってしまうことを意味しています。「引渡し訓練」の実際は、有事の際にとにかく学校から全員を親元に帰せば学校の責任はなくなる、という意味だと捉えています。下校中に道草を食うなというのも、何かあると学校の責任になってしまうからですね。しかし現実には、家に帰ってから子どもが遊びに行って行方不明になっても学校職員総出で探す時代ですし、仮に大地震が起きた場合、避難所は学校なのですから、引き渡したところでまた学校に戻ってくるわけです。責任転嫁できない状況で、そうした不特定多数がそれぞれのルールでバラバラに集まる中、もし津波警報が鳴り響いたら・・・我々は本当に正しい選択をし、弱者も含め全員に的確な指示することができるのでしょうか。そしてその判断の如何によって後日損害賠償請求されるとしたら・・・永遠の命題です。
もう自己責任で逃げる「津波てんでんこ」でいくのが一番良い気がしてきますな。