百田尚樹さんの小説「幻庵」を読みました(ネタバレアリ)
「カエルの楽園」の時にも触れた江戸時代の囲碁棋士の話ですね。あの後図書館で調べたら予約が可能になっていたので、1ヶ月ちょっと待って手に入れました。ちなみに自分の囲碁の腕前は、東洋囲碁で18級から育てていたアカウントが晴れて初段になり、また海外用ので1級から登録したアカウントは先月ついに2段に上がりました。初段は正直1級とそこまで変わらない印象でしたけど、2段はちょっと甘いとすぐにやられてしまうので、段の壁の厚さを感じているところです。段位からは昇段基準がまた厳しくなるので中々上がれない代わりに落ちにくくもなり、勝敗にこだわらず色々試して打てています。まあ年齢的にもこのあたりがピークで、3段に上がれれば御の字でしょうね(笑)いわゆる高段者と3子程度で勝負になれば個人的にゴールかなと思っています。百田さん自身は6段の腕前とのこと。出版記念イベントでは、NHK囲碁フォーカスに出ている戸島花さん(元AKB、1桁級?)に4子置かせて25目勝ちでしたから、高段者なのは間違いないですね。
その百田さんの囲碁愛を存分に発揮した渾身の作品です。彼の作品はしっかり取材をして忠実に描く印象があり、自分も江戸時代の碁打ちは名前くらいしか知らないので非常に楽しみでした。ただし戦争とか石油とかの話と違って、囲碁という題材はやったことない人には内容が全く分からないという恐れも秘めています。そのために序段は現代の囲碁界隈の話から始まり、囲碁のルールや用語などはその都度解説をしていく感じになっていました。この辺が難しいところで、囲碁を知っている自分にとっては蛇足に思えても、知らない方にはおそらくこの程度では理解できないのではないでしょうかね。「囲碁好きに楽しんでもらう作品」と「囲碁に興味をもってもらう作品」の両方を目指し、その結果中途半端になってしまっている気がしました。というか、いくら解説がいるとはいえ物語の最中にちょくちょく作者が「説明しよう!」って感じでしゃしゃり出てくるのは前代未聞なのではないでしょうか(笑)物語の世界にどっぷり浸かろうとしてもそのせいで強制的に現実に引き戻される感じがしました。小説なのですから、仮に取材で不明だったり複数説あったりする話は別にフィクションでいいのに、そういうのも正直に書いてしまっては小説の体を成しません。どちらかというと「伝記」を目指しているのかな?とも思いました。まあ面白かったのですけど、小説は余計な挿入なしにまとめ、思うところは別に解説本として出すべきだったかもしれませんな。「カエルの楽園が地獄と化す日」という石平さんとの対談本も読みましたけど、こんな感じに古碁収集家のプロ棋士とかと対談し、是非一冊出して欲しいものです・・・マイナーすぎるか(笑)
では内容。江戸時代、囲碁は家元制で、その総元締めとなる役職である「名人碁所」を目指してどの家もシノギを削っていました。名人と9段はほぼ同義であり、その時代の第一人者を表します。4つある家元(本因坊・安井・井上・林)の当主が7~8段、跡目(筆頭)が6~7段といった感じで、それぞれ棋力差に応じて手合いのハンデがつけられていました。当時はコミがないので黒有利なわけですが、名人となれば白を持って誰にも負けないくらいの実力が必要でした。しかし幻庵の若い頃は長い間名人不在だったそうです。これは囲碁界全体が実力不足だったわけではなく、強い打ち手が2人ないし複数いて、その中で互いの黒番を出し抜けずに抜きん出ることができない状態、といった感じだったようですね。
今の互先は一局で勝負をつけるので6目半のコミがあり、黒が勝つには盤面で7目リードしなければいけません。大体プロの対局だとプラマイ3目くらいの幅で勝負が決まることが多いそうですが、コミがないということは黒番を持てば劣勢でもさらに3目くらい余裕があるということなので、黒は今とは逆にじっくり打つことでかなり負け難くなるわけです。丁度テニスのサービスキープくらいの有利さでしょうか。そのため、昔の互先は白黒交互に何局も打ち、たまにブレイクを入れていってその勝ち星差が一定(+4勝)以上になると手合いが変わるというシステムになっています。1段差の手合い(先々先)でお互いに黒番を勝てば、4つ勝ち越すのに12戦(白黒黒白黒黒白黒黒白黒黒で+4)もする必要があるわけですな。もちろん互先だと永久に決着がつかないこともありえます。2段差が定先(常に黒)であり、7段上手にこの差をつけて勝つという9段名人はとんでもない実力差が必要であったといえるでしょう。さらに当時は持ち時間などないので、1局に3~4日間打ち続けられることもザラだったとか。実力もさることながら体力も相当必要であり、またかなりの対局数も必要なので、名人碁所挑戦権とも言うべき4家の当主(8段格、半名人)に上り詰めるだけでも相当年月がかかります。10代や20代で敵なしでもまだ段位が低く、名人への挑戦は体力や実力が衰え始める30代以降になってしまうため、大抵はその時代に台頭してきた若者の黒番に潰されてしまうと。それは幻庵も例外でなかったようです。
史実では、この時期に本因坊丈和という人が40年ぶりに名人碁所に就いています。その人物が幻庵のライバルとなるわけなので、この話は激しく名人位を争って負けた方が主人公なのですね。まあその方がドラマチックだろうという判断なのでしょう。幻庵は「ヒカルの碁」に出てくる本因坊秀策と打った「耳赤の一手」で有名であり、自分も名前は知っていました。しかしこの本を読んで、限りなく名人に近づきながらなれなかった悲劇の人物であることが良く分かりました。それにしても、時代背景の説明だけでこんなにかかるとは(笑)百田さんも苦労するはずだ・・・
現代は一流棋士の棋譜や定石研究、詰碁など、あらゆる情報が本やネットで簡単に手に入りますけど、江戸時代はそれこそ門外不出の「お家芸」であり、個人で黙々と研究するのが常でした。そうなるとモノを言うのがやはり読みの力ですね。現代の人間が定石だからと考えなしに打っているような手も、おそらく何十手先何百手と読み込んで打っていたのでしょう。時間制限もないので、残っている棋譜を定先手合いとして見ると、ほとんどミスがなく今のプロと比べても遜色ない打ち回しをしていたのだとか。読みの力は、現在人間が唯一AIに勝てる分野だろうと言われています。ディープラーニングは過去に打たれた手を評価して「良い形」を学習するシステムなので、何十手先に待っている秘策みたいなものまでは読みきれません。またモンテカルロは全部読みきることが不可能な局面で枝打ちをして効率化を図る手法ですが、その際に読み抜けた手にはまると一気に悪くなることもあります。ヒカ碁にもありましたけど、この時代の碁打ち達がもし現代に現れたら、きっとものの半年で最新情報を吸収し、トッププロや
アルファ碁にだって引けを取らないのかもしれませんね。