今日は午後からさくら教室なんで、午前中は実家でピエロの玄関の側面下部の続きから。
そんな中、大家さんから電話があって、かっちゃん・・・釣れたって。大家さんは友達と2人でサーフからルアーでヒラメを狙ってあっちこっち行ってるのね。
ただ今年は渋くて、あんまり良い話を聞かなかったんだけど・・・。何時頃来る?って・・・今行くぅ。って事で、お昼時に到着すると・・・
友達が釣ったらしいんだけど、これで49cmらしいのね。かっちゃんが見たいって言うから持って来たんだよって。お陰で生きてるヒラメって久し振りに見たのね。
ちなみに裏返すと・・・
真っ白だから天然らしいのね。これがブチぽかったら、養殖モノらしいのね。そんな豆知識も聞けたりして、大家さんが捌かないで、俺を待ってくれたらしく・・・
いやぁ、生きてる魚、テンショん上がるわっ。ってそんなこんなでさくら教室。そうね、バックの悩みなんだけれど・・・今の自分ではひし形を均等に
切るなんて出来ないから・・・ってあれこれタイルを置いていたりするから、さくらは一体どうしたいの?って聞くと、これは数年前のもので・・・その時とは
もう状況が変わっていて・・・って。続けて、今は体調も良く無くて・・・だから出来る事は・・・って模索しているって感じの事を言うから、あのねそもそも
相談ってどんな事だと思う?・・・ってもはや子供に質問するのと一緒な話で、何でもそうやって勝手に独りで決めていては、先生要らずでしょ?
つまりまずは、出来る出来ないの判断は俺がするから、まずさくらはどうしたいか?なのね。その時に、このどうしたい?って質問の真の意味を考える。
例えば、このお雛様をどんな感じに見せる?って質問であって、例えば貝合せのような下地に作っている訳だから、遠い古のお姫様が持っているような・・・
とか、小さい子にプレゼントする・・・とか、初孫の・・・とか、そんなイメージ・・・と言った事が欲しいのね。そう言う事なら・・・例えば、遠い古の
・・・なんて場合、古いんだからポップに見えるような色合いは避けようよ、とか、千代紙にあるような模様とか、そんな所にヒントは無いか?とか、
小さな子にプレゼント・・・なら、ちなみにどっちの親族?とか、何歳?とか、そこに寄せた考え方ってあるよね・・・とか、初孫ってどなたの誰?って事で、
身内なら少々攻めた考え方でも良いが、他人さんなら、無難にシンプルにって言うのはどうだろうか?と言ったやり取りで検討する・・・これを3人でやれば
文殊の知恵的な話を俺が2人分やっているような話。そこで何かきっかけとか、自分の考えに無かったものを膨らませるような、そんな事になると相談
相手となるが、これは出来ないから・・・と決め付け、これなら出来ると思い込む・・・そもそもその眼力正しい?って話で、そもそもその思い込みそろそろ
辞めない?って言うのが、さくらはこの世で母と同じくらい頑固と比喩するゆえんなのね。根本的にその自覚が無いから、ある意味意固地にも思えるのね。
いや、もしかすると自覚を持って、俺にはそうしている・・・って事でもあるのかも知れないけれどね。まぁどっちでも良いんだけれどね。そもそも大した
話じゃ無いから。例えば今の話を簡単に受け入れる場合、先生の器をあてにされたのだから、きっと良い先生になるんだろうね。逆に受け入れない姿勢なら
気に入らなかった事になる。じゃもしかするとその説明では足らなかったのかも知れない。じゃ元に戻せば良い。こっちが受け入れられないなら、そっちの
ままにすりゃ良い。つまりこの場合、最初から描いてあったひし形のままやれば良いじゃん・・・それがその時の思いだったんだろ?それを曲げようとして
いるのは何故?今の自分じゃ出来ないからって決め付けているからじゃん。それならどうしたらこのまま出来るってアイデアがありゃ良いだけだよね?
そんなもん簡単過ぎて笑える。そもそも根本的な考え方なのね。そこが治らなきゃ一生無理だわ。いくら体が健康になったとして、絶対無理なのね。
それが心技体。さくらの考え方、つまり今健康面、心の面のいずれかが弱っている。これに寄って私は、人より技術自体が劣っているのに、出来るはず無い
・・・と思い込む。これでは出来る方向に1つも無い事になる。これが体調が良い割と・・・って時、さくらなりのささやかな自信が出来る。割と手が
思うように動く・・・これならと。そこに割と穏やかにやり過ごす余裕、つまり身の回りの悩み事が体調でカバー出来るような時、こんな時がさくらの気力
が良い時。こんなささやかな自信で、これなら私にももしかしたら出来るかも・・・つまり常にさくらはさくらの中で完結する人なのね。自信は常に
自分が決めるってね。はぁ?なんて図々しいんだろうか・・・ばかちぃぃぃん。自信なんて自分で決めるから、勝手にもろくなったり、勝手に調子に乗ったり
するのね。そもそも自信なんてもんを自分で決めようとするのなら、基本フォワード的な考え方、つまりゴールを決めたら俺の手柄、失敗しても次に入れりゃ
問題無い、うっせーなっ、知るかバーカ。こんなワードを平気で出来るハートがある奴にしか無理なのね。だから人に左右されないでいられるのね。
だからさくらには無理。しかも、いちいち気にして、いちいち人が気になる。こんなディフェンダーのような守りの人がやる事じゃ無いのね。まぁ具体的に
言えば、こんな気持ちの人が営業に行く。そんなのいらねーよ、あんた誰?こんな殺伐とした雰囲気で、断られる何回目に心が折れる?じゃ生産の中に組み込まれたら?
同じ時給でまたあの人、ライン止めたよ・・・って何回目に心が折れる?じゃ事務。今度は手先の器用では無いし、対人関係も営業と違って初見ばかりでは無い。
つまりこの中では事務が一番適していると思われる。がしかし、良い事と悪い事は常に背中合わせ。今度はそこに好かれる人もいるが、それを妬む人もいる。
常に同じ群れの中にいるのだから。何度も何度も毎日の行動を共にすると、その人の良さを知ってしまう人が出て来る。ある意味、それがさくらにしか
出来ない事で好かれているとしたら・・・他の誰にも真似は出来ない。これこそが個性であり、人となりを見られた事になる。当然どんな所でどんな場所に
いようが、必ずそんな場面は出て来る。しかしながら、常にさくらがささやかな自信を自分で持たないと実力が発揮出来ない・・・これでは確率が下がる。
だって一般的な健康を持っている人と、病気な人が共存するのに、病気のせいにしたくない・・・と一般人を装うとして無理するから、メッキは簡単に剥げる。
しかしながら、今度はメッキを剥がしたままでいると、無防備となり簡単なウイルスでも立ち向かう事が出来ない。奴には丁度良いって良い塩梅が無い。
打つか打たないか、やるかやらないか、食べるか食べないか、そして出来るか出来ないか?そして出来ない・・・全て自分で決めるってね。あははは。
こんな精神的な事が前提で、やっている事を解説すると、まずお雛様がオリジナルで可愛く見える。つまりトトロがいる、まるちゃんがいると想定する。
そのバックをトトロの可愛いキャラで、背景をまるで写真のようだ・・・って作ると、ジブリのような仕上がりになるから、可愛いのに凄くなる。
それを同じ可愛くまるちゃんがいて、そのままのタッチでバックを描けば、ちょっとコミカルに見えたりする。つまりその当時のさくらはトトロ寄りで、
作ろうとしていた事になる。となると、今度は常に言っている上手さの基本は、同じ事を同じように・・・つまり蕎麦、うどん、きしめん。
蕎麦は蕎麦の幅でずっと・・・それを混ぜこぜでは統一感が無くなる。そうならない為には、まずは図面、レシピ、楽譜をキチンとする。なのにさくらの
バックは手書き・・・しかも定規も使わずに。それでは俺でも安定した大きさをキープ出来ない。だからまずそこを是正。後はちょっとしたアドバイスで、
いくらでも出来るようになる。しかしながらアイデアなんてもんは、教えてしまえば反復すれば誰にでも出来るようになる。例えばお寿司屋さんだとする。
昔ながらの職人なら、女は駄目とか、機械で握ったなんて・・・とか、きっと頑固一徹な考え方ってあると思うのね。けど、お客さんはそんなの関係無いのね。
俺の中で作家のkatsuはそんな気持ちはあるだろうね。でも先生katsuには全く無いのね。そんなの関係無いじゃんってね。その時に俺は俺発信的なのは無いのね。
つまりどうしたいか?で進むから、まず最初の一歩は自分から・・・なのね。勿論それが苦手な人がいるから、その一歩を考えるにはどうしたら良いか?と
教える事になるんだけれどね。その時に甘いのは嫌的になるさくらは、作家katsuでやろうとするのね。それは調子の良い時ならまだしも、体調不十分では
特訓と言うより特攻的な帰りのガソリン無し的になる。もう少し良い塩梅にならないもんかねぇ・・・。まずはキチンとした今日の自分を知った上で、今日の私は何が出来る?
これが自問自答。これに寄って今日出来る事と、ちょっと難しい事を判断すれば、大きな失敗を防げる。常に俺の表現に逃げ切る・・・って言葉があるが、
不安要素があるが、何とか・・・無事では無くても、機体に大きな損傷を受けずに帰還・・・ある程度、敵機に損傷も加えて・・・みたいな感覚。
これは常に帰還ありきでの1日であり、戦わない日、戦う日のムラで無く、毎日コンスタントに継続するって言うのは、機体つまり体も、心も損傷を少なく
繰り返す事で、大きな成果は挙げられなくても、コツコツ繰り返し一定の成果を上げて行く・・・休まないこれが事務的内勤。いくら休んでも一発逆転の営業
とは生き様が違うのね。常に生きるとはこの繰り返し。ただね、ポンコツ扱いとか、若手の切り替えなんて事で居場所が無くなった選手が、違う場所で再生
する事は多々ある。それはその能力がそこの場所に無かった・・・萎縮せずに、自分らしくいられる・・・そこでは持っている能力が発揮される・・・
そう言う点では、この可愛く見える作品が、そのまま可愛く見えるままの人もいれば、こんな難しい事してるの・・・って思う目利きの人もいるだろうね。
しかも病弱なのに・・・って上乗せして来るのにね。ただ病弱でも俺の弟子。そんなにへっぽこでは無いのね。本人に自覚は無いけれどね・・・あははは。
そんな中、俺も一緒にベスパをやらせて貰って・・・
らしくなって来たのね。