今日は午後から今年最後のkameyaさん教室。何しろ今日イチの話題は棟梁の犬が張り終わったって事だろう・・・・もうそろそろ終わりが見えて来た頃、大作をやった事のある人なら誰でも通るあの気持ち・・・・完成したい気持ちと、もう終わるのかぁ・・・・と言う気持ち。
達成感と空虚感。他にも今まで何とか上手く行って来たのだから、気を引き締めて・・・とか、色んな複雑な気持ちになるものなのね。
更にそれにも増して、完成が誰にでも判る頃になると、みんなにもう終わるじゃん・・・・って声を掛けられる。
それが嬉しい気持ちになったり、それが時にうっとうしい気持ちになったりもする。そんな気持ちの葛藤が大作なのね。それは数時間で完成の作品では味わえないものなのね・・・・良くも悪くも。そんな気持ちの葛藤を3年も続けていたのね・・・・棟梁は・・・。
勿論、その間、他の作品を作ってはいたけれど、完成を見るのが3年・・・・そりゃそう簡単な事じゃない。しかもこの完成度。これが趣味と言うのだから満足度は大きい。ただ楽しいだけでは続かない・・・・本気だからこそ達成出来た・・・・そんな本気の作品。
作り手の気迫を感じる。その気迫とは何か?それが一人で作る・・・・って言う気持ち。今までオードリーにほぼマンツーマンで教わって来た。
それが2匹目に入って、少しづつ自分でも進めるようになって・・・・ここ2ヶ月オードリー不在の中、どうしよう・・・やろうか、やるまいか?
そんな葛藤の中、相談を受けて・・・張ってみっ・・・・それで亀有カルチャーで目地をして、オードリーに見せると良い。
一人でも進めた・・・ってね。それが今まで教えて貰って・・・・ここまで来たって恩返しになるってね。
習って・・・習得したからこそ自分で進めた・・・・それは上手くなったって事。成長なのね。そんな事に繋がったのも、モチーフの選び方もある。
何せ家族の一員と言うくらいの犬・・・ここに良い事と悪い事があって、思い入れがあるからこそ、完成までたどり着いたが、その完成までに、
1匹を失った・・・。そうね完成を楽しみに作り始める時と、失ってからも作らないとならない辛さ・・・・これこそが大作。
別に小物が悪いって言っている訳じゃないし、楽しむ事が悪いとは言っていない。要するにやるのならこう言う事が起こる中、やる事って話。
そしてそれを乗り切った人だけが本当の楽しさって言うものを手に入れるって話。まっ金持ちと貧乏って比喩はどうだろうか?
金持ちなら、相続や固定資産の税金、そんな人間関係にも巻き込まれる。逆に貧乏は日々の生活費に四苦八苦して、金を借りようとなんてすれば、
人をうっとうしい気持ちにさせて孤独になる。けれど金持ちは日々の生活には困らない。逆に貧乏は誰とも会わずに済むのなら、うっとしい付き合いも無くなる。どちらにも身の置き方1つで良くも悪くもなる。どちらにしても、良い事と悪い事はある。ただ経験の無いものには判らないものだろう。
それを大抵はどちらでも無い人が想像だけでものを言っているだけの事で、本当の金持ちや本当の貧乏になると、別に何ともおもわなくなるものだったりもする。そう考えると、棟梁は一線を越えた楽しいだけのモザイクを超えてしまった人になった・・・・って事なのね。
1つ勉強と言うのなら、もう趣味って言わない方が良いかもね・・・・習っているって言った方がね。この違いを説明すると長くなるから、ニュアンスとしては、人は趣味って言うと自分に甘く出来るもので、習うって言うと辛い事もありきで・・・って感じにならないかな?
そうね、趣味なら自分発信で良いんじゃない?やりたいからやる。やりたくないからやらない・・・ってね。けれど、習い事って言うのは、習得する・・・つまり上を目指すと辛い事にもぶつかる訳で・・・ここからはお好きにどうぞ・・・お選び下さいって話なのね。
でも言い方を雑にすれば、3年とは言ったって他の事もやってたんじゃん・・・じゃもっと出来るじゃんって言う事にもなる。そうね、ちゃんと今度はこんなに大変だ・・・って知ってね。自覚あってと無しでは全く違うもので、単なる想像だけで始める・・・・では無くてね。
それが証拠に新作として描いていた大作がお蔵入りしようとしている。そのモチーフは架空の生き物が2匹と女の人。明らかにファンタジー感ありきの下絵で、それは棟梁と2匹の犬の事なのだろう・・・・しかし亡くした寂しさや作品の大きさなど知った上で作る事になる。
けれど、描いていた頃は亡くした後だし、大作は大変なのも知っていたはず何せこの大きさで3年なのだから・・・・つまり作品の重さに耐えられなくなったって話。勿論、今無理をしてやれとは言わない。けれど、それを超えるモチーフは多分今後無いだろうし、下絵としても見事だった。
だからこそ言うが、いつかそれを作らないと、きっとそれを超える作品はまず作れないだろうな・・・・と思うのね。
何せ思い入れとしてそれを超えるものが見当たらないからね。何しろ今は大作の後だから、次回作としては遊べば良いと思うがね。
いずれにせよ、大作の重みって意味は理解出来たとは思うのね。まずはお疲れ様でした・・・お見事です。ここからは趣味でも習得でもどちらでも出来る訳で・・・・しかも趣味って言う気持ちで作ってもここまで作れる腕になったのだからね。
そんな中、遊びで作っているぺきぺきの干支の作品の文字の下地を作って欲しいとの事・・・・すると、こんなものを出して来たのね。
こらこら、これどうした?って聞くと、お姉ちゃんに書いて貰ったって言うのね・・・・しかも前回の時には無かったのだから、ここ数日の間に書いたものだと思われると・・・・昨日の晩って言うのね。だよね・・・しかもこの字・・・・ちょっと書いたって字じゃない。達筆である。
するとやっぱり相当な腕らしい・・・こらぁ、ばかちん。って話なのね。だって最初にこの話が来た時には、棟梁の殴り書きみたいな字で、チャカチャカって書いた紙を渡されたのね。それがいざ彫るって段階にこんな文字を後出しジャンケンのように出されてはだよ・・・・。
もし俺が書いていたら・・・・こんな文字を書ける身内がいたって事なら、しかも昨日の今日でやれるのなら、ちゃんと自分でやりゃ良いじゃんって話。全くもう・・・きちんと頼んで書いて貰えば、こんなしっかりしたプレッシャーが掛かるような話になったのね。
この説明を聞けばどんな理不尽か?って話。そもそも娘とは言え達者になるまで努力をしてこれを書けるようになった人。これ書いて、ってたった12文字かも知れないが、その娘の字にこうじゃない、あぁじゃないって書き直させたって言うのね・・・・ほらやっぱりこだわるんじゃん。
これなのね・・・・じゃ俺が書いたとしたら?この字よりもヘタになる。一生懸命さは娘さんよりもなのにね。しかも何せお金を取るからね・・・。
でもね、果たして文字を書いたお金っていくらなんだろう?って話なのね・・・・木を彫るって言うのなら、頼んでみっ?誰かに・・・って気持ちで、
お金も頂ける。きっと恐らく結構な値段か、やってくれないだろうから・・・ね。でも文字は?って言ったら、こうして身近にいるんじゃん。しかもタダ。どちらも俺がやるにしても、こんなに差がある事になる。
それを書体などを悩まずに書く事も無く、娘さんの字を正確に彫るだけなら、悩む事は少なくきちんとこなす・・・になる。
そろそろまずここを理解して欲しいのね。丸投げ禁止ってね。自分で出来る事はするってね。
何しろデザインはタダじゃないのね。けれど、いくら?って言われても双方が納得するような状況にはならない。けれど、木を彫って貰ってみ・・・は、判りやすい話になる。他の人に頼めばどうなるのか?って話なのだから・・・・。つまり判りやすい技術にはお金を貰い易いが、
デザインって難しいのにデザイン事務所って名乗らないとほぼタダな方が、スマートになる。もう大作わ作れるようになったのだから、その意味は理解して欲しいのね・・・・そう言う人がお手軽簡単に考えてしまうと、みんながみんなにって影響を及ぼしちゃうからね・・・・。
つまり常に言う自分の身を下にして楽をしない・・・・ここに棟梁も入っちゃったって話。そろそろ上手い人側としてやって貰わないとね。
そう言う気持ちにならないと、上手くなった腕のままで、昔のままの自分・・・では、心技体って言うものは整わない。
単なる腕の人になる・・・同じ会場だからみんな一緒・・・・果たしてみんな同じなんだろうか?例え同じものを作ってもね・・・・人から上手いって言われ始めたら、一つ上の気持ちで取り組まないと、もしかしたら理不尽な事を言っちゃっているかもね・・・って話。あはははは。
当然、本人にもみんなの前でそんな話をしたけれどね・・・・ようこそ上手い人側へ・・・・ってね。さてそれではその大作の道へ来ているおかみさんはと言うと・・・・
大変だぁ・・・・と良いつつ、コツコツと進めている。今日は髪に入ったのね。そこで置いてあるかぐやの作品を例に取って、あれを真似しちゃダメだからね・・・・大きさがこれは小さいし、あれでは無い表現でやらないと、ゴチャゴチャするだけ。
細いものはより細く、太いものはかぐやの作品の髪より太くなって良いから・・・みたいなメリハリが必要ってね。まぁ単調にナラナイヨウニ・・・スペースが狭い中での髪の毛なのだから・・・・って話。そんな中、もう一人の方は、2人とはキャリアも何もかも違うから・・・私は楽しんで・・・
と言いつつ・・・
段々と空のコツを掴んで来て・・・・進みも良くなったって頃、棟梁に何か凄く空らしくなって来た・・・・って指を指されたのね。
そう、その指を指した場所・・・・それこそが今上手くなって来たって場所だったのね。まぁ、棟梁は正直である。
感じたものをそのままそっくりの表現だからね・・・・でも、上手いって言う人が褒めてくれたら、正直素直に嬉しいはずでね。これが信頼が置けなかったり、何と無く良いじゃん・・・程度だったり、明らかに体裁の表現では良くも悪くも為にならない。単なるご挨拶になる。
これがきちんと上の人・・・だったり、上手いって思われる人の場合、聞く側の耳が聞く姿勢になっている。つまり指導なんて言う事では無いけれど、聞く姿勢があってそれを参考に出来る事があると思われたとしたら?もしかすると、それこそが指導に繋がるものだったりする。
要するに指導は先生、生徒は教わる・・・・プロはお金を取る、アマはタダ・・・・こんな単純な考えでは理解出来ない話だけれどね。
実は目に見えない部分に得る事が多いもので、いかにそこを見逃さない、聞き逃さない、ここは大事、ここは覚え切れない事・・・と、出来る判断。
こんな事が必要なんだけれど、その自覚を持ってやるのと、自覚無くやってしまっているのでは、意味が全く違うのね・・・・。
ここには書けないが、棟梁には今後の自分に一石投じる1日になったとは思うのね。
そんなこんなで今年最後のkameyaさん教室が終わって、アトリエに戻って・・・・
この作品はモザイクって何ですか?とか、他ではこんなに切っていない・・・とか、そんな話に一石投じる作品にしたいのね・・・。
大きい作品って言うのは・・・・とか、えっ?これで・・・とか、あぁ・・・・って感心して貰ったり、もっと良く見て貰えば、やっぱりkatsuだ・・
って言うのも良いし、何しろ最近やっていないスタイルになれば・・・・ってね。
達成感と空虚感。他にも今まで何とか上手く行って来たのだから、気を引き締めて・・・とか、色んな複雑な気持ちになるものなのね。
更にそれにも増して、完成が誰にでも判る頃になると、みんなにもう終わるじゃん・・・・って声を掛けられる。
それが嬉しい気持ちになったり、それが時にうっとうしい気持ちになったりもする。そんな気持ちの葛藤が大作なのね。それは数時間で完成の作品では味わえないものなのね・・・・良くも悪くも。そんな気持ちの葛藤を3年も続けていたのね・・・・棟梁は・・・。
勿論、その間、他の作品を作ってはいたけれど、完成を見るのが3年・・・・そりゃそう簡単な事じゃない。しかもこの完成度。これが趣味と言うのだから満足度は大きい。ただ楽しいだけでは続かない・・・・本気だからこそ達成出来た・・・・そんな本気の作品。
作り手の気迫を感じる。その気迫とは何か?それが一人で作る・・・・って言う気持ち。今までオードリーにほぼマンツーマンで教わって来た。
それが2匹目に入って、少しづつ自分でも進めるようになって・・・・ここ2ヶ月オードリー不在の中、どうしよう・・・やろうか、やるまいか?
そんな葛藤の中、相談を受けて・・・張ってみっ・・・・それで亀有カルチャーで目地をして、オードリーに見せると良い。
一人でも進めた・・・ってね。それが今まで教えて貰って・・・・ここまで来たって恩返しになるってね。
習って・・・習得したからこそ自分で進めた・・・・それは上手くなったって事。成長なのね。そんな事に繋がったのも、モチーフの選び方もある。
何せ家族の一員と言うくらいの犬・・・ここに良い事と悪い事があって、思い入れがあるからこそ、完成までたどり着いたが、その完成までに、
1匹を失った・・・。そうね完成を楽しみに作り始める時と、失ってからも作らないとならない辛さ・・・・これこそが大作。
別に小物が悪いって言っている訳じゃないし、楽しむ事が悪いとは言っていない。要するにやるのならこう言う事が起こる中、やる事って話。
そしてそれを乗り切った人だけが本当の楽しさって言うものを手に入れるって話。まっ金持ちと貧乏って比喩はどうだろうか?
金持ちなら、相続や固定資産の税金、そんな人間関係にも巻き込まれる。逆に貧乏は日々の生活費に四苦八苦して、金を借りようとなんてすれば、
人をうっとうしい気持ちにさせて孤独になる。けれど金持ちは日々の生活には困らない。逆に貧乏は誰とも会わずに済むのなら、うっとしい付き合いも無くなる。どちらにも身の置き方1つで良くも悪くもなる。どちらにしても、良い事と悪い事はある。ただ経験の無いものには判らないものだろう。
それを大抵はどちらでも無い人が想像だけでものを言っているだけの事で、本当の金持ちや本当の貧乏になると、別に何ともおもわなくなるものだったりもする。そう考えると、棟梁は一線を越えた楽しいだけのモザイクを超えてしまった人になった・・・・って事なのね。
1つ勉強と言うのなら、もう趣味って言わない方が良いかもね・・・・習っているって言った方がね。この違いを説明すると長くなるから、ニュアンスとしては、人は趣味って言うと自分に甘く出来るもので、習うって言うと辛い事もありきで・・・って感じにならないかな?
そうね、趣味なら自分発信で良いんじゃない?やりたいからやる。やりたくないからやらない・・・ってね。けれど、習い事って言うのは、習得する・・・つまり上を目指すと辛い事にもぶつかる訳で・・・ここからはお好きにどうぞ・・・お選び下さいって話なのね。
でも言い方を雑にすれば、3年とは言ったって他の事もやってたんじゃん・・・じゃもっと出来るじゃんって言う事にもなる。そうね、ちゃんと今度はこんなに大変だ・・・って知ってね。自覚あってと無しでは全く違うもので、単なる想像だけで始める・・・・では無くてね。
それが証拠に新作として描いていた大作がお蔵入りしようとしている。そのモチーフは架空の生き物が2匹と女の人。明らかにファンタジー感ありきの下絵で、それは棟梁と2匹の犬の事なのだろう・・・・しかし亡くした寂しさや作品の大きさなど知った上で作る事になる。
けれど、描いていた頃は亡くした後だし、大作は大変なのも知っていたはず何せこの大きさで3年なのだから・・・・つまり作品の重さに耐えられなくなったって話。勿論、今無理をしてやれとは言わない。けれど、それを超えるモチーフは多分今後無いだろうし、下絵としても見事だった。
だからこそ言うが、いつかそれを作らないと、きっとそれを超える作品はまず作れないだろうな・・・・と思うのね。
何せ思い入れとしてそれを超えるものが見当たらないからね。何しろ今は大作の後だから、次回作としては遊べば良いと思うがね。
いずれにせよ、大作の重みって意味は理解出来たとは思うのね。まずはお疲れ様でした・・・お見事です。ここからは趣味でも習得でもどちらでも出来る訳で・・・・しかも趣味って言う気持ちで作ってもここまで作れる腕になったのだからね。
そんな中、遊びで作っているぺきぺきの干支の作品の文字の下地を作って欲しいとの事・・・・すると、こんなものを出して来たのね。
こらこら、これどうした?って聞くと、お姉ちゃんに書いて貰ったって言うのね・・・・しかも前回の時には無かったのだから、ここ数日の間に書いたものだと思われると・・・・昨日の晩って言うのね。だよね・・・しかもこの字・・・・ちょっと書いたって字じゃない。達筆である。
するとやっぱり相当な腕らしい・・・こらぁ、ばかちん。って話なのね。だって最初にこの話が来た時には、棟梁の殴り書きみたいな字で、チャカチャカって書いた紙を渡されたのね。それがいざ彫るって段階にこんな文字を後出しジャンケンのように出されてはだよ・・・・。
もし俺が書いていたら・・・・こんな文字を書ける身内がいたって事なら、しかも昨日の今日でやれるのなら、ちゃんと自分でやりゃ良いじゃんって話。全くもう・・・きちんと頼んで書いて貰えば、こんなしっかりしたプレッシャーが掛かるような話になったのね。
この説明を聞けばどんな理不尽か?って話。そもそも娘とは言え達者になるまで努力をしてこれを書けるようになった人。これ書いて、ってたった12文字かも知れないが、その娘の字にこうじゃない、あぁじゃないって書き直させたって言うのね・・・・ほらやっぱりこだわるんじゃん。
これなのね・・・・じゃ俺が書いたとしたら?この字よりもヘタになる。一生懸命さは娘さんよりもなのにね。しかも何せお金を取るからね・・・。
でもね、果たして文字を書いたお金っていくらなんだろう?って話なのね・・・・木を彫るって言うのなら、頼んでみっ?誰かに・・・って気持ちで、
お金も頂ける。きっと恐らく結構な値段か、やってくれないだろうから・・・ね。でも文字は?って言ったら、こうして身近にいるんじゃん。しかもタダ。どちらも俺がやるにしても、こんなに差がある事になる。
それを書体などを悩まずに書く事も無く、娘さんの字を正確に彫るだけなら、悩む事は少なくきちんとこなす・・・になる。
そろそろまずここを理解して欲しいのね。丸投げ禁止ってね。自分で出来る事はするってね。
何しろデザインはタダじゃないのね。けれど、いくら?って言われても双方が納得するような状況にはならない。けれど、木を彫って貰ってみ・・・は、判りやすい話になる。他の人に頼めばどうなるのか?って話なのだから・・・・。つまり判りやすい技術にはお金を貰い易いが、
デザインって難しいのにデザイン事務所って名乗らないとほぼタダな方が、スマートになる。もう大作わ作れるようになったのだから、その意味は理解して欲しいのね・・・・そう言う人がお手軽簡単に考えてしまうと、みんながみんなにって影響を及ぼしちゃうからね・・・・。
つまり常に言う自分の身を下にして楽をしない・・・・ここに棟梁も入っちゃったって話。そろそろ上手い人側としてやって貰わないとね。
そう言う気持ちにならないと、上手くなった腕のままで、昔のままの自分・・・では、心技体って言うものは整わない。
単なる腕の人になる・・・同じ会場だからみんな一緒・・・・果たしてみんな同じなんだろうか?例え同じものを作ってもね・・・・人から上手いって言われ始めたら、一つ上の気持ちで取り組まないと、もしかしたら理不尽な事を言っちゃっているかもね・・・って話。あはははは。
当然、本人にもみんなの前でそんな話をしたけれどね・・・・ようこそ上手い人側へ・・・・ってね。さてそれではその大作の道へ来ているおかみさんはと言うと・・・・
大変だぁ・・・・と良いつつ、コツコツと進めている。今日は髪に入ったのね。そこで置いてあるかぐやの作品を例に取って、あれを真似しちゃダメだからね・・・・大きさがこれは小さいし、あれでは無い表現でやらないと、ゴチャゴチャするだけ。
細いものはより細く、太いものはかぐやの作品の髪より太くなって良いから・・・みたいなメリハリが必要ってね。まぁ単調にナラナイヨウニ・・・スペースが狭い中での髪の毛なのだから・・・・って話。そんな中、もう一人の方は、2人とはキャリアも何もかも違うから・・・私は楽しんで・・・
と言いつつ・・・
段々と空のコツを掴んで来て・・・・進みも良くなったって頃、棟梁に何か凄く空らしくなって来た・・・・って指を指されたのね。
そう、その指を指した場所・・・・それこそが今上手くなって来たって場所だったのね。まぁ、棟梁は正直である。
感じたものをそのままそっくりの表現だからね・・・・でも、上手いって言う人が褒めてくれたら、正直素直に嬉しいはずでね。これが信頼が置けなかったり、何と無く良いじゃん・・・程度だったり、明らかに体裁の表現では良くも悪くも為にならない。単なるご挨拶になる。
これがきちんと上の人・・・だったり、上手いって思われる人の場合、聞く側の耳が聞く姿勢になっている。つまり指導なんて言う事では無いけれど、聞く姿勢があってそれを参考に出来る事があると思われたとしたら?もしかすると、それこそが指導に繋がるものだったりする。
要するに指導は先生、生徒は教わる・・・・プロはお金を取る、アマはタダ・・・・こんな単純な考えでは理解出来ない話だけれどね。
実は目に見えない部分に得る事が多いもので、いかにそこを見逃さない、聞き逃さない、ここは大事、ここは覚え切れない事・・・と、出来る判断。
こんな事が必要なんだけれど、その自覚を持ってやるのと、自覚無くやってしまっているのでは、意味が全く違うのね・・・・。
ここには書けないが、棟梁には今後の自分に一石投じる1日になったとは思うのね。
そんなこんなで今年最後のkameyaさん教室が終わって、アトリエに戻って・・・・
この作品はモザイクって何ですか?とか、他ではこんなに切っていない・・・とか、そんな話に一石投じる作品にしたいのね・・・。
大きい作品って言うのは・・・・とか、えっ?これで・・・とか、あぁ・・・・って感心して貰ったり、もっと良く見て貰えば、やっぱりkatsuだ・・
って言うのも良いし、何しろ最近やっていないスタイルになれば・・・・ってね。