8月8日は確か、母方の祖母の祥月命日の日で、それに合わせて毎年母の実家へ行っていた。
そのおばあさんの顔は知らない。何しろ私の母が三歳のとき病気で亡くなったそうだから、もう90年近くも前の人、子供のころに生きていたら可愛がってもらえたかなと想像することもあるけど、初めから不在の人なので、特別な感慨もない。
でもこの夏休みの真っただ中の法事というのもなかなか面白く、私たちきょうだいは母の実家で思いっきり楽しく遊んだことを毎年夏になると思い出す。
山の中の農家で、集落は数件で、半数位は同姓で、昭和三十年代初めにはまだ電気も来ていないので、ランプの生活だった。。。。なんて書くと、今の人は目を丸くしてびっくりすると思う。
照明は灯油のランプ、風呂の燃料は薪、煮炊きは「コックワ」と呼ぶ、アカマツ主体の落ち葉。飲料水は井戸水、質素でシンプルな暮らし。
谷筋から少し登った斜面に家はあり、庭先からは川の両側に開けた水田と向かいの山がよく見えた。
法事には川下の村からお坊さんが自転車でやってきて、仏事の後、大人たちと長話をする。私の知らない時代の、私の知らない人たちの話。でも大人の口から語られると、今もすぐ裏の山のどこかにその人たちはいて、一緒に話に加わっているように錯覚した。
翌日、大人は別に遊んでくれるわけでもなく、祖父母もいないので、従弟たちと遊ぶ。谷筋をどこまでも歩いて行ったり、珍しい虫や花を採ったり、ため池で泳いだり。
それにも飽きると山を一つ越えて別の親戚へみんなで行く。山の尾根に郡の境があり、別の親戚の子は別の小学校、いずれも川筋を子供の足で一時間近く下って行った集落にあった。
畑仕事にでも行ってるのかその家は留守で、また池の土手を歩いて別の親戚に行く。そこは母の姉の嫁ぎ先で、子供は五人、私達を合わせると十一人の子供達である。座敷に蚊帳を吊って布団をいっぱい並べてみんなで寝て、翌日はまたその家の子も一緒にラジオ体操に出かける。
谷筋の、その土地のメイン道路を、もちろん未舗装、一時間も歩いて行った農家の庭先がラジオ体操の会場、そこで体操をする。その日もいいお天気だったはず。そして長い夏の一日の時間はまだたっぷりとあった。
素晴らしいものは、常に過去ではなく未来にあるそうです。がしかし、子供の時の原風景は何度思い出しても私を幸せな気分へと連れて行ってくれます。
考えてみればそんな夏はわずか数年のことで、小学校の高学年になると、もう同じことをしてもあまり楽しくなくなるのが不思議です。それでもその数回の夏は、何の心配もなく、ただ遊んでいたらよかった人生の最良の夏だったのではないでしょうか。そんな幸せな時間があったことが今の生きる力なっているようにも思います。
母の実家へ最後に行ったのはもう30年以上も前、従兄がなくなり、93歳の伯父も今年になって亡くなった。葬式には行くつもりにしていたけど、行かなかった。もう行くこともないと思う。
きょうは孫が来ました。二人でじゃれています。お姉ちゃんは弟の歯磨きをしてやるそうです。