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癒しの讃岐平野

2018-11-25 | 旅行

ずっと長い間、ゆっくりと故郷の田んぼ道を歩きたいと思っていました。実家付近はすっかり都市化して住宅街に。昨日は思いがけずに懐かしい眺めに出会い、癒されました。

高速インターのバス降り場から歩いて行くと、こんな家が見えました。

土壁の二階建て、隣は納屋に車庫。子供の頃の実家に似ています。

二階は風通し悪く暑いです。我が家は物置として利用していました。

別の家を私が20歳のころ建てて、古い家は家全体を物置にしていましたが、22年前、道路などが通ってすべて取り壊し、別の町内へ移転し、今は記憶の中にしかない家。

その家を思い出しました。後ろは高速高松道。

見えてきました。あの漆喰壁のお宅のようです。国の登録有形文化財です。

東側から。クスノキが目印。きょうは見学者、友の会などたくさんの人が来ています。

家は何棟かあります。こちらが新しい方で、庭木なども。

橙?

わが実家にもありました。

続いてバスと電車で、藩主の菩提寺に行きます。高松は生駒家から松平家へ。初代頼重は水戸出身、光圀の兄で幕末に至るまで水戸徳川家との関係の深い家柄でした。

涅槃像を室外から写す。室内は撮影禁止です。

遠足で見学した時は、釈迦の弟子たち、動物が嘆き悲しむ迫力が怖かったです。

よくできた彫刻です。

京都の清凉寺の釈迦像と併せて、嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦と呼ばれるそうです。


門前の通り、ケーキ屋さんで一休み。

ちょっと早いけど、駅前、めりけん屋でセルフうどんを食べて、同行者と解散。

右の練り製品はエビが入ってます。昔はご馳走でした。

代金330円くらいだった。感動の安さ。

物価は安く、眺めは広々、日当たり良好、讃岐路の旅でした。


 


そうそう、きのうの最後によかったこと。

帰る前に駅から友達♂に電話して、またまたミニ同窓会の相談。次は京都の友達♂にも来てもらうことにした。6月に来られなかったので。

もちろん女子も呼びます。来年かなあ~、楽しみです。

もういつ何があるか分からない年齢なので、したいことして会いたい人にも会いたいというと、激しく同意してくれた。

夫は話が次々進まない人なので、先回りして説明する私。その癖が昨日は出て何度か話遮る場面も。失礼しました。

これでまた来年まで楽しく生きて行けそうです。

ねぇ、愚痴を言っても自分も楽しくなく、周りに害毒まき散らすでしょ。

友達と楽しく話すのはお金かからず、気分も晴れ晴れ。家族はもちろんだけど、友達大切にしないとね。人を大切にしてこそ、人に信頼され、いい関係が結べるって教えてあげようかしら。

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文化財の水車を見に行く

2018-11-25 | 旅行

昨日は日帰りでこちらへ行きました。

場所は香川県高松市六条町です。讃岐平野は条里制の名残りの地名も散見され、古くから開けた土地でした。

知り合いのご実家です。お父様が経営されていた水車小屋を近年復元し、国の登録有形民俗文化財となって、昨日は月に一度の公開日でした。

私は高松中央インターで高速バスを降り、あとは徒歩で。昔は一面の水田、今は家が建て込んだところを10分ほど歩くと着きました。

公開にあたっては、ボランティア団体の方が運営されています。丁寧な説明もあります。

敷地の横のこの水路から水を引きます。

きょうは水量が多い方だそうで。あまりの小さい水路(子供の頃はこの程度でも川と呼んでいた)が意外です。

水は敷地内の暗渠を通って水車小屋の地下へと引き込まれます。

ゴミ受けの網と柵があります。

屋内にある水車は直径5メートルの巨大なもの。地下に水をためて流し、水車を回します。

芯棒は鉄を松で覆ったもの。

木の歯車で力を伝えます。

小麦粉を作る碾き臼。

ベルトコンベアーでふるいのところへ運びます。小さな粉は布を通って落ちます。落ちないのは再び碾き臼に戻ります。

天井まで水力で動くベルトコンベアが廻り、再び碾き臼に戻ります。

これを何度か繰り返して細かな小麦粉にします。

製麺機。うどんを作ります。日本製パスタマシーン。

水、小麦粉、塩を適量混ぜ、こねずに上から落として伸ばし、半分にしてまた伸ばしを4回だったかな?繰り返し、今度は歯のついた道具を通して細く切り、適当な長さで切るとうどんができるそうです。

讃岐うどんがブームになって以来、手打ちが珍重されますが、忙しい農家が日常的に、手間かけてうどん作ることはなかったようです。この機械だと練った小麦粉をすぐに製麺しますが、おいしくできるそうです。

昔は、ここへ小麦を持ち込み、うどんにしてもらったそうです。

こちらそうめんを作る道具。うどんは最近使ったそうですが、そうめんはまだ使ってないそうです。

精米機もあります。動力は水車ですが、田植え時期は水田優先で水車は止まり、代わりに発動機で回していたそうです。

いつごろのものでしょうか?


その他に昔の農機具がたくさん保管されています。

昔はどこの家にもあったものですが、ほとんど廃棄されて建物とともに残っているのは珍しいのではないでしょうか。

鋤、鍬各種。それぞれ名前があり、用途も違います。

昔の農業はすべて手作業。勤勉な当時の人々の様子がしのばれます。

と言っても、まるきり知らない人は何のことやら。

私ですか?昔人間なのでわかりますよう~

田植え定規。縦70センチ、横140センチくらい。これを水の張った田に置き、桟に着けた印の場所に苗を植える。すべて終えると手前を支点に裏返し、後ずさりして続きを植える。

大きさは一人で手の届く範囲。

5年生くらいから手伝って植えていました。中学生になると勉強優先でまったく手伝いませんでしたが。

小さいころ農作業しすぎたので、プランターで野菜や花を作ろうと思わない…と言い訳する私。

手で田植えした世代もやがては消滅の運命?

皇居では毎年、手植えの光景が見られますが、あちらは定規なしですね。

鶏の餌箱。両側から餌を食べる。

草鞋を作る道具。

麦を撒く道具。筒の中に種を入れて押して歩く。

肥桶とひしゃく

七面鳥の出荷用籠。

関西へ出荷していたそうです。

カキ。知り合いはこの下の家で住んでいたそうです。

写真撮ってもらいました。いいお天気。


雨の少ない讃岐平野で、乏しい水を最大限利用して大掛かりな水車を回し、製粉、精米、製麺をする。その技術の高さに驚きました。

水はどこでもいつでも利用できる究極の再生可能エネルギー、昔に戻るのは無理かもしれませんが、限られた条件を最大限生かして、地域で使うものは地域で作る。輸送コストもかかりません。この精神は見直されていいのではないかと思います。

近いうちに小学生も見学に来るそうです。昔の産業と暮らしの生きた教材ですね。

復元、指定、公開にあたっては大変にご苦労があったようですが、次の世代に残て欲しい遺産でした。

コメント (2)
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