今月初めに映画「マチネの終わりに」を見てから、20歳前後のあれこれを思い出すことが多くなったんだけど、男の友達のこともちょっと書いておきたくなりました。
男友達ではなくて、男の友達。
異性だとあまり意識しない付き合い。会うのはものすごくブランクありながらも、年賀状だけは続き、同窓会だとつい話し込んでしまう男の子。過去には恋愛の相談も受けたから、これはやっぱり友達でしよう。
書きにくいのでP君としておきましょう。P君も、クラスで作った遊びの班の一員。たまたま同じグループになって、ものすごく面白い人で、ものすごく楽しませてもらった。あまり勉強している様子もないのに勉強ができて、京都のさる大学のさる学部に現役ですんなりと入ってしまった。
親しくなったのは高校卒業してから。進学する直前の春休み、もう一人の男の子とP君と私で、先生の下宿に遊び行った頃からかな。で、P君とはそのあと高松や京都でよく遊んだ。
私は男の兄弟しかいないので、小さい時から男の子と遊ぶのは割と平気。あちこち出歩くのも好きで、京都へ行ったときには、特に男の子と意識することもなく、連絡して京都を何度か案内してもらった。
相変わらず面白いことばかり言って、けらけら笑う私といいコンビだったかもしれないけど、若い男の子が付き合ってもない私のためにわざわざ時間作ってくれて、申し訳なかったと、今になれば思う。
あちらにしたら、なんで何度も訪ねて来るのか不可解だったかもしれない。気があるのではと誤解されそうだけど、私は友達の感覚。ご免なさい。そういうところに気が付かないのが私の未熟なところで。
30年以上たって、たまたま三男が同じ大学に合格した時にはとても嬉しかった。三男のためであるけれど、また京都で遊べると自分のために嬉しかった。
大学の長い塀に沿って息子と歩きながら、一緒に歩いているのがP君で、私は20歳くらいとふと錯覚しそうになったことも何度か。三男も面白い話することに命かけてる男だったし(落研部長、落語、漫才、ピン芸、南京玉すだれなどを学生時代に履修済み)大学のたたずまいはその頃とほとんど変わっていないので。
人生はまだ始まったばかり、行く手には無限の時間があるって、何の疑いも持たなかった。若いとはそれだけ不遜。先が見えない。
面白いけれど、人をとても大切にする人だったと今になればわかる。それは元々備わった性格。偉ぶるでもなく、何のわだかまりもなく話せる稀有な人。奥様おられるので、私から連絡とることはありませんが。
物理をたまに教えてもらっていたんですよね。私は物理が大の苦手。
男の子は自分の得意な部分で頼られるととても張り切る。その時そう思ったわけではなく、今になればわかるのです。私の聞いた問題、授業も聞かずに解いてくれてました。ご免なさい。そしてありがとう。
人生で出会える人はごくわずか。楽しかった思い出が、今も私を元気づけてくれる。いつも楽しませてくれた人には感謝してもしきれない。恋愛の相談までしてくれて、それもいまだに嬉しい。いつまでも元気でいていただきたいものです。