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ビルとマンションを見て歩く日々

2020-02-21 | 日記

35年くらい前かな。ある集まりに三男連れていく。長男、次男は言い含めて留守番させる。そうやってでも外の世界に触れたかった私。

パーマ当てる暇がないので、いつもこんな髪型。三男だけ連れてカットだけ。

あの時代に戻りたいかと聞かれたら、戻りたくないと答えるでしょう。

今は自分の心配だけしていればいいので楽。


最近の私、人ごみに行かないように、毎日、近所を一万歩目指して歩く日々。最近、いいまで全く関心のなかったビルやマンションを眺めて歩く。住んだことないので関心なかったけど、もし住むならどこがいいかなと、考えるのがゲームみたいで楽しい。

南に高い建物のない、将来も建ちそうにないマンションの4階くらいまでがいいかな。あまり高いと停電のとき困りそうだから。

マンション暮らしのいいところは全部が一つのフロアーで済むところ。一軒家みたいに上がったり下りたりしなくていい。階段という無駄な空間がない。庭掃除しなくていい。出かけるときの窓の施錠に気を付けなくていい。

我が家の場合、施錠する窓が一階に15(うち3は格子つき)、二階に9あります。そのほかに玄関と勝手口。夏はほとんどの窓を開け放して風を通しているので出かけるときは大変です。マンションだと施錠はベランダ側と玄関だけ。楽そうだなあ。

1981年に耐震基準が変わり、それ以前の建物はよくないらしいのですが、広島市のこの百年間の最も強い地震は2001年の安芸灘地震の震度5強。

あの時は左向きに回転する力がかかったらしく、近所のマンションに住む友達は食器棚が倒れて器が全部割れたそうですが、我が家は幸い、壁に押し付けるように力が働き無事でした。

夫実家のビルも私が嫁に来た時にはもう建っていた昔の建物ですが、なんともなかったのでこの先も地震の被害がありませんように。

多分最後まで、あるいは施設に入るまではこの家にいることになりそうだけど、ちょっと飽きた。初めは気分転換にマンション買いたかったけど、無駄になるとみんなに止められ、それなら賃貸でもいいかなと。でも、賃貸で狭いところに行くならまあ今のままでもいいかなと、年寄なのでおっくうです。

誰も来ない私だけの空間、それが欲しいだけ。

あったかもしれない別の暮らしとその場所。それはあったかもしれない別の人生。

連れ合いに不満があるわけではないけれど、旅行も飽きたし、だいいち今は出歩かない方がいいらしいので、明るい部屋でぼんやりしていたい。と、街を徘徊しながら、あてもなくそんなこと考えている。

 

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「時の肖像 小説・中上健次」 辻章

2020-02-21 | 読書

2014年3月、海辺のイベントに行く 珍しい車のオーナーといろいろ話した。


感動した。

30年くらい前の日本文学の状況を思い出して懐かしかった。

時あたかも昭和から平成に移るころ、講談社の担当編集者として作家、中上健次にかかわった日々を回想した、小説としての作家像であると同時に、著者は知的に障がいのある子供を抱えて、家庭的にも追い詰められ、小説の中では妻は離婚して一人で家を出ていく、もう一つの話も展開される。

作家に寄り添い、交流を深め、作品を書いてもらう日々は、伴走者と呼ぶにふさわしい。

けれども家庭は妻に丸投げ、妻は心を閉ざし、最後は家を出ていく。

編集者は働く時間が都合のつけられる仕事なので、一日一時間でも妻を家庭から解放してあげればこんなことにはならなかったのでは。姿勢の問題です。昭和の男だなあという感じ。

しかし、中上健次とよく語り合い、熊野、韓国、アメリカとどこまでも出かけて付き合い、二人はまるで恋人のよう。こうしないと作家を育てられないのかもしれない。

中上健次は押し出しの強い人というイメージだけど、女の子のいる酒場で上がってしまい、その上有り金全部支払うとか、著者の障害のある子供にジュース渡したりと、とてもうぶで優しい一面もあったとか。著者は被差別で生まれて、弱いものに優しいと書いているけれど、それプラス個人の人格だと私は思う。中上健次、い魅力的でいい人だったのですね。

30年くらい前の私の知り合いで、中上の弟分的作家志望の人がいた。いろいろエピソードも聞かされて面白かったけど、ここでは書かない。彼はプッシュしてもらって文芸誌に何作か書き、それを単行本にもしてもらった。

別の出版社の編集者は、「中上の子分になって・・・」と批判的ニュアンスだった。そういえば書くものも態度も、何となくミニ中上みたいだったなと今になればおかしい。

中上健次は作家になりたい人で見どころあると思えば、世に出す手伝いもしていた。このなかでは李良枝が中上に勧められて作家になることにも触れられている。著者もまた中上には―触発され、自分の思いを小説に昇華しようと思うに至ったのでは。

二人の魂が深いところで触れ合い、助け合い、結果としていい小説が生まれる。作家と編集者、文学あるのは今もこういう手作り的な世界だと信じたい。

辻氏は5年前に逝去されたとか。息子さんはどうしておられるのでしょうか。気になります。

 

コメント (2)
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