ブログ

 

「昭和の洋食平成のカフェ飯 家庭料理の80年」 阿古真理 

2020-02-14 | 読書

関空~フランクフルト・ルフトハンザ機内食。往路なので日本製。2015年4月。


ほかの本買うつもりで久しぶりにジュンク堂行って、タイトルにひかれてこの本買った。

食事、あまりに当たり前すぎる日々の営み。作って食べて片付けて、毎日の繰り返し。特に意識することなく、献立だってすぐに忘れている。

そんな当たり前すぎることに着目して、戦後の家族と社会の歴史に迫ろうというなかなかに深い本でした。

考えてみれば、誰がどんなもの作り、誰と食べるかという切り口から、社会のありようがよく見えると思う。

昔は料理というものはなかったという指摘。

確かに、限られた食材で限られた調理をする祁けの場面。手に入れられる食材を精一杯に駆使した晴れの食卓。この二種類だけ。

社会に余裕ができ、調理に手がかけられるようになって初めて料理をすることが生まれたわけで、初めは外国生活をした人があちらの料理を紹介する。そういう人たちが料理研究家として脚光を浴びる。あるいは料亭の調理人などが。

忘れもしない。三年間の夫両親との同居後、夫婦二人になった初めての年末、NHKの今日の料理見ていたら辻留の大将が、「家庭の主婦にもできるやさしい料理だからぼんやり見てないできちんと作ってください」と本気で言っていた。

そんな感じの人が昔の料理番組には多くいた。

長くなるので後は端折りますが、料理も自由化。男が作り、冷凍食品に買ってきたものに、と変化も激しい。

しかし人間の生きている限り、調理して食べて、喜び悲しみ分かち合い、人として生きていく。その当たり前のことに改めて気がついた。

作って食べる。その繰り返しが生きることの根幹。一食一食大切に、機嫌よく楽しく。そう思った。

にほんブログ村 シニア日記ブログ 団塊の世代へ
にほんブログ村

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パソコン、立ち上げた

2020-02-14 | 日記

昨夜届いたノートパソコン、午前中に使えるようにした。

今は設定も超簡単、言われるままに進んでいけば簡単にできた。

クラウドに保存していた最低限のエクセルファイルも自然に移行。

でもofficeまだ入れてないので、見られない。うっかりアプリ購入しないように、そのうち追々と。

一月間、スマホで写真撮ってこのブログに使っていたので、別にカメラ持ち歩くのも面倒になったけど、どうしようかなあ~

先日の旅行で、友達に楽器演奏のお稽古事誘われた。誘われたらとりあえず乗ってみるのが私の流儀。

自転車で行けるところなので、昨日行ってみた。20分くらいかな。

しかし、教える先生が、某団体に所属していて、雑誌くれるとか。

そこのところが引っかかる。まあ初めは見学なので、合わないようならやめる。


それにつけてもこのパソコン、キィータッチが楽でうれしい。値段も、価格コムで探してびっくりするくらい安かった。officeは追々入れる。

40年くらい前の週刊朝日の記事、そのうちコンピューターが家庭にも普及して主婦がコンピューターで家計簿つける…というのがありました。

家計簿つける人は手書きでもつけるし、つけない人はどんなに便利になってもしないけど、パソコンが家庭に普及するのは現実になりましたね。

小説書いてたころ、NECの中古のパソコンにワープロソフト松を入れて、プリンターも買ってたいそうな出費だった。パソコンはとうの昔に捨てた。

長男のセンター試験の頃、解答例がパソコン通信で流れていたけど、ネット検索もまだ一般的ではなく、深夜の模範解答見て落ち込んでいた息子。幸運にも現役合格したけど、周りは年上ばかりで、同じ予備校から来た子ばかりで仲良くして、遊んでくれないと涙の一滴。まだまだ子供だった。

ああ、いかん、入力がサクサク行くのでついいらんこと書いた。息子よ許されよ。

新型コロナウィルスに感染しないよう、くれぐれも気を付けて。

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

書評

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ
にほんブログ村

手織り

にほんブログ村 ハンドメイドブログ 手織り・機織りへ
にほんブログ村

日本ブログ村・ランキング

PVアクセスランキング にほんブログ村