関空~フランクフルト・ルフトハンザ機内食。往路なので日本製。2015年4月。
ほかの本買うつもりで久しぶりにジュンク堂行って、タイトルにひかれてこの本買った。
食事、あまりに当たり前すぎる日々の営み。作って食べて片付けて、毎日の繰り返し。特に意識することなく、献立だってすぐに忘れている。
そんな当たり前すぎることに着目して、戦後の家族と社会の歴史に迫ろうというなかなかに深い本でした。
考えてみれば、誰がどんなもの作り、誰と食べるかという切り口から、社会のありようがよく見えると思う。
昔は料理というものはなかったという指摘。
確かに、限られた食材で限られた調理をする祁けの場面。手に入れられる食材を精一杯に駆使した晴れの食卓。この二種類だけ。
社会に余裕ができ、調理に手がかけられるようになって初めて料理をすることが生まれたわけで、初めは外国生活をした人があちらの料理を紹介する。そういう人たちが料理研究家として脚光を浴びる。あるいは料亭の調理人などが。
忘れもしない。三年間の夫両親との同居後、夫婦二人になった初めての年末、NHKの今日の料理見ていたら辻留の大将が、「家庭の主婦にもできるやさしい料理だからぼんやり見てないできちんと作ってください」と本気で言っていた。
そんな感じの人が昔の料理番組には多くいた。
長くなるので後は端折りますが、料理も自由化。男が作り、冷凍食品に買ってきたものに、と変化も激しい。
しかし人間の生きている限り、調理して食べて、喜び悲しみ分かち合い、人として生きていく。その当たり前のことに改めて気がついた。
作って食べる。その繰り返しが生きることの根幹。一食一食大切に、機嫌よく楽しく。そう思った。