宗教学者の著者が、日本の葬式の歴史をたどり、これからの葬式と墓地の在り方を提唱。
日本人の死生観、宗教観を交通整理し、今の時代にふさわしい新しい方法を提唱している。いちいちうなずくことばかり。
人は=私は自分の見たことと、親、祖父母に聞いたことがずっと昔から行われていたと錯覚するけれど、そうではなくて、あらゆることが時代とともに変わっていくのと同じように、葬式、墓制も変わってきた。
今の都会では高価な墓地を持たない人が多く、各家庭にひっそりと置かれている遺骨は百万柱にのぼるとの著者の推計。電車内の忘れ物にもご遺骨があるそうだけど、忘れるはずがない。忘れているふりして放置するのではと私はひそかに思う。
葬式も簡単にできるそうで、葬儀屋のペースに巻き込まれるのは愚かなことと思った。棺桶もネットで売ってるそうで、それを火葬場に持ち込み、遺骨は灰にしてもらって処分してもらう。持ち帰らない。究極の葬送の方法、絶句し、かつそんなことができるのかと驚いた。
共同体がなくなり、少子化と未婚者の増加で家の継承も難しくなった今、今生きている者に都合がいいように変えて行っていい、私はそう思った。
墓の草抜き、大変です。木もすぐに生える。いつまでできるかは分からないけれど、息子たちのためには今の墓地を止めて簡単な方法を考えないと。
現在の遺骨の処理、この4種類があるそうです。
1. 墓地埋葬
2. 樹木葬
3. 散骨
4. 0葬
私は2が希望。今の墓石は整理して(撤去して)好きな木を植える。骨壺は腐らないので晒に巻いて遺骨を地中に埋める。好きな木を植えてもらいたい。
何がいいかな。あまり大木にならずに花の咲く木がいいけれど。
追加として、両墓制は土葬していた時代の名残だそうで。
私が見たのは香川県の志々島。
土葬した場所へは墓石置けないので、有力者がお詣りする為だけの墓を家の近くに作る。つまりは仏壇とお墓の間みたいな詣り墓。
共同墓地に小さな祠のような詣り墓が並んでいる。
埋め墓も今は火葬にするので普通のお墓のように見えます。
島は殆ど人がいなくなって、このお寺もすでに無住。人がいなくなって、その気配だけが残っているのは胸に迫るものがありました。
西日本では遺骨の一部だけ骨壺に納める。東日本では全部入れる。エッと驚きました。その境は糸魚川静岡構造線だそうで。不思議ですね。
だから東京の人は大きな骨壺を納める場所に苦労するらしく、墓地も高いのは一千万以上。どう考えても今までの葬送、墓制では無理ですよね。
本当にいろいろと考えさせられる本でした。