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幻の戒厳令

2021-01-05 | 断想

アルバムの整理をしている。一気にするつもりだったけど、合間合間に少しずつ。ついでに押し入れからこんなものが出てきた。

平成19年って・・・2007年、14年前ですね。

その頃私は、ひょんなきっかけから被爆者に話聞いて、国の被爆者等慰霊事業だったかな・・・の補助金を広島市に申請して、被爆証言を本にする活動をしていた。

これはなかなかに骨の折れることだった。

いちばん困ったのは、戦後長い時間が経ち、本来の記憶があいまいになり、その後知ったことが記憶に上書きされていたこと。地名も戦後変わっているので、今どこの場所か確認する作業もあった。

間違いも全部含めての証言、いちいち裏を取っていては、今の時代の被爆証言は成り立たない。それはわかっているので、細かなことはとばしていたけれど、原爆後に広島に戒厳令が出された話には引っかかった。

ご本人の話をきっかけに調べてみると、出処はずいぶん前に広島県と広島市が出した原爆被災史にのようだった。さらにそのもとになったのは戦後10年くらいたってのある座談会での軍人の発言、執筆者はそれを採録したところまでわかった。

執筆者に軍人の発言以外に何か史料はありませんかと問い合わせたけれど、そのままになったので、防衛庁の戦史資料室に「広島原爆後の戒厳令の史料はありませんか」と問い合わせた答えが上の返信です。

この中にある第2総軍とは、戦争末期、それまでの軍管区を廃止、日本を二つの指揮系統に分け、一つは東京に、もう一つは広島に置き、それまで以上の権限が与えられた組織とのこと。

おそらく戦争末期、2か月くらいの組織だったのではと私は思います。←未確認。

お話聞いた人は第2総軍がとりあえず戒厳令出して、あとで東京に認めてもらったのでは・・・と言うのですが、戒厳令ですからね、いくらなんでも無理がありすぎ。

明治から敗戦まで、戒厳令が何回出されたのか不勉強で知りませんが、せいぜい数回ではないでしょうか。

参考資料として官報のコピーもいただきました。

昭和11年2月27日に出された戒厳令は、2.26事件を鎮圧する目的。

天皇が出して、サインと印鑑。そのあとやはり法律なので細かな取り決めが。

臨時に戒厳司令部が置かれ、司令官以下、参謀長から下士官まで、東京に在中の軍隊が再編成された模様。

具体的には不要不急の外出禁止とかいろいろあったのでしょうが、コピーはここで終わっています。

なるほど、戒厳令なんて思いつきで出すような軽いものではないんですね。よくわかりました。

天皇大権って、今でもあるんでしょうか。いや、日本国憲法ではもう消滅していると思います。


翻って、我が家には、エッヘン、姑大権というのがあります。

発動したのはたった一回だけ。

数年以上前、私は針金ハンガーを曲げてつくったバナナスタンドにバナナぶら下げていた。

お嫁ちゃんが「お母さん、あのハンガーのバナナ貰っていいですか」と聞くので「いいよ。でも(ハンガーではなくて)バナナスタンドのつもり」と訂正。

天皇大権とは違い、姑大権とは誠にささやかな大権~


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2 コメント

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難読文 (きもの大好き)
2021-01-05 09:41:19
明けましておめでとうございます
今朝、今年初めてパソコンを開きました
文章の写真の日付を『昭和』と勘違いして内容を読んでいました
なるほど、平成19年…
昭和19年の文章だと下の写真の漢字とカタカナ文字で縦書きね
年末年始は断捨離でした。昭和~平成の資料やレコード、カセットテープ、本などゴミ袋何杯分も出ました。思い切って捨てて部屋が広くなりました
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きもの大好き様へ (frozenrose)
2021-01-05 19:55:38
こんばんは。そして、遅ればせながら、明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いします。

自分の間違いには鈍感、人さまのことは気になるという困った性格で、活動中は何かと大変でした。でもいろいろ勉強になって、今はよかったと思っています。

元号と西暦、勘違いしやすいですよね。昭和、平成、令和・・・何年前か戸惑います。それも年のせいかもしれませんが。
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