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9/12 自宅から美保関灯台まで

2024-09-15 | 旅行

8時40分頃、自宅発。ガソリン入れて、西風IC~広島道~中国道~松江道~山陰道と走り、米子西で下りて境港へ向かう。

いいお天気です。とても暑い。

途中で昼ご飯。

道沿いの蕎麦屋。

お客さんが多かった。

あちらがおいしそう。

お腹が冷えるので私は熱いうどんにした。残念。

境港市と松江市の間の境水道大橋。

とても高いところを走ります。

降りてくぐって・・・

海べりの快走路。まだまだ真夏。雲が少しだけ秋の気配。

美保漁港につきました。美保神社があります。

しめ縄が出雲大社に似ています。

狭い通りの両側に旅館、商店が並びます。昔からの通りのようです。

真昼で、人は少なめ。

古い旅館。

建物の間から港と大山が見える。

港に戻りました。大山は雲の中。

車にいた夫を誘ってもう一度歩き、突き当り左の仏谷寺ぶっこくじまで行く。

後鳥羽上皇が隠岐に流される途中でこのお寺の前身、三明院に滞在したそうです。その時に歌を残しています。

ここまで来れば隠岐はもうすぐ。落剝の思い、都を懐かしむ気持ちを歌に託しています。

約100年後、今度は後醍醐天皇も立ち寄ります。

後鳥羽上皇は隠岐に陵がありますが、後醍醐天皇は島を脱出、味方を集めて南朝を立て、吉野で最後を迎えます。史上まれにみるactiveな帝。その名もgo-dei-go。醍醐天皇に憧れ、生きているうちから諱を付けた信念の人。

隠岐を出て船上山に移りますが、昔の天皇はどんな所へも輿で行く。以前、船上山に登った時、輿を置いた場所を見ました。担ぐ人も大変です。

今夜の「光る君へ」は御嶽詣で。今なら近鉄で京都から日帰りできますが、昔の旅は大変です。剣岳みたいな岩場で落ちそうになって、リポビタンのCMみたいなで楽しめました。

島根半島が風よけになり、昔からの良港だったことでしょう。北前船の行き来する時代は今よりうんと賑やかで栄えたことでしょう。

古い時代の面影が色濃く残る港町、行ってよかったと思いました。文人墨客も多く訪れ、短歌など残しています。

しかし、暑かった。。。


続いて半島の先端、美保関灯台へ。

駐車場から歩いて行くと見えてきました。

隠岐の島がかすかに見えています。

灯台に周りを歩いて引き返します。途中、外海に面した港へ立ち寄ります。

磯が続きます。

アワビやサザエなどの密猟禁止の看板多数。

イカ釣り船。

このあと来た道を引き返して皆生温泉へ。海岸に旅館が並ぶ温泉街でした。旅館多数。平日でお客さんはそこそこ。海水浴のシーズンは賑わうそうです。

皆生温泉マリンアスレチック 海皆-KAI・KAI-

これはすごい。子供も孫も大きくなって、私達にはもう御縁もなさそうですが。


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