2014年6月、フランス、ボルドー郊外のワイン醸造所で。
作者は女性。本作は2011年に文學界新人賞を受け、受賞後の5月19日に食道がんで死去したとのこと。
作品は食道がんが見つかってから、病状が進み、一人暮らしてだれにもみとられずに死期がいよいよ近くなるまでの1章から5章までを逆に書いている。
つまり一人横になり、つばも飲み込めないような重篤な場面から始まり、食べられなくても旺盛な食欲に突き動かされる描写があり、「職場の癌」と言われて孤立している、さえない、中年の介護職の人が、食道がんの告知を受ける場面が末尾に来ている。
生きることとは食欲と見つけたり、食べるの大好き、作るのも大好き、祖母においしいものを作ってもらった幸せな子供時代が作品の中で語られる。人間のいちばん根幹は食べる欲望だと改めて思った。生きることのすさまじさを感じた。
この作品が凡百の闘病記と一線を画しているのは、作家の視点は主人公の斜め上方にあり、静かに全部を見ていること。もがき焦り、また喜び、それを感情に流されずに描いているところ。食べ物を買いあさり、それを食べられないのに、戻してしまうのにむさぼり食べる姿は悲しさとともにユーモアを感じてしまう。
人間って、理屈では割り切れない存在なんだと。
受賞決定後、病床で書いたという「癌ぶるい」は、食道がんを打ち明けたメールへの、友人知人からの返メールを羅列しているという体裁の短い作品。
作家の澄んで冷静な目は一層磨きがかかり、そこはもう末期の目で見渡した人間界の俯瞰図みたいになっている。
なるほど、人は誰かから癌だと打ち明けられたら、結局は自分の考えをさらけ出す対応しかできないのだと気が付く。
メールには主人公が点を付けているのが面白い。「巧言令色少なし仁」、あれこれ言わずに一日でも長く生きてください。何かお手伝いできることはありませんかと言えばいいのかなと思った。
2001年、知り合いが同じ病気で亡くなった。状況はよく似ていた。食べられないけれど、あの人もこんな食べたかったのかなあと思ったら涙が出てきた。
山を歩いて植物観察をする仲間だった。お見舞いに行くと、いよいよ動けなくなるまで、階段を上がり降りして足腰が弱らないようにしていた。あの方がなくならなかったら会も続いたと思うけれど、その時に知り合った方の何人かは大切な友達になった。人の縁とは不思議なもの。
人はいずれ死んでいく。じたばたしても仕様がない。病気になった時、徐々にその考えを受け入れていくのだろう。
何かで読んだけど、死に行く人は「自分はもう死を受け入れたので、怖くも悲しくもない。心は大変に安らかで、みんなに感謝しながら死んでいく。今まで有難う」ということを身近な人に知らせたいのだと。
わたしもまたそのような心持になって死にたいと思った。もう少し先でいいけれど。