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絵を描きながら

2014-09-15 | 日記

文章を書くのと違って、いろいろなことを考えながら、思いながら書く。

上の絵はドイツの町、11月、しかも雨の日、その雰囲気を出すのが難しい。緑の木はもっと沈んだ色、でもその色を出すのは難しい。

自然の中には原色はまずない。影を黒くすると絵がきつくなりがち。

手前は絵具を濃く溶いて質感を出し、遠くは薄く塗って視線を流す。言うは易く、行うは難し。

空は静物画の背景と同じ、前景を邪魔せず引き立てる。本当に薄く溶いてさらりと一筆、あーーー失敗した。何度水を付けた筆で洗っても色が取れん。ああーーー。

あと二回くらいで一応完成したいけど、どうなりますやら。取り敢えずこれからも頑張る。ボーッとしていても一日、頑張っても一日、同じ一日なら頑張って一日を気持ちよく終えよう。


この歳になって、自分が描きたくて絵を描く。楽しい。サークルの指導にある先生が来られる。夫は高校時代も美術部、その時にはすでに先生は広島美術界の新進の画家として知られた方だったらしい。

「上の人がみんな死んだから、今では広島で一番偉い先生になってる筈」とのこと。

素人がなぜ絵を描くかと言えば、下手なりに自分なりに、うまく描けたときの達成感を味わいたいから。先生はどんな未熟な絵も決してけなしません。何か一ついいところを見つけてそこを伸ばすような指導をされる。

この歳になってやっと自分の絵をしっかり見てくださる方に出会ったようです。


大学の美術部ね・・・・私にとっては居心地悪い場所だった。いえいえ、それは自分の性格が招いたこと。だから、他のサークルにいたとしても似たようなものだったと思う。

先日友達と話したんだけど、高校、大学と共学校での女子の正しいふるまいについていろいろと有意義な意見を交換した。

その日の結論は「男子は美人で男を立ててくれる女子が好き。その他は全然どうでもいい」と言うもの。まあ身も蓋もありませんが、ジェンダー規範を打破すべきとこれだけ言われる時代になっても、あまり変わらないのではと思う。

いえいえ、人に立てられるのは男も女も気分いいもの。私にはその基本的なスキルが決定的に欠けていましたね。


ここまで書いて胸がざわざわする。

居るだけでその場が楽しくなる人、みんなをうまくまとめられる人、華やかで連れて歩くだけで嬉しい女の子、頑張って絵を描いて黙ってその真面目な姿を見せる先輩・・・私はそのどれでもなかったんだという今さらながらの苦い思い。

今はそんなややこしいこと考えなくていい老人ばかりの集まり。心はものすごく平安で、絵を描いていればいい。他のことは何にも考えなくていいこの幸せ。しみじみ。

あのサークルで何を得たのかな。嫌なことばっかりだったような気がする。地元の高校出身者が多かった。話に入って行けなかった。私が一人で絵を描いていても誰も寄ってこない。隣の準備室で、楽しそうに話してこちらへは来ずにさっさと遊びに行く人たち。私ってよほどとっつきにくい人間だったのかも。

今の同居人はそのサークルにいたんですよね。私は途中で退会したのでほとんど話すこともなかったけど、1968年1月、大学が無期限ストライキに入って集会で時々顔を合わすようになり、集会のあと少しずつ話すようになり・・・いろいろあって・・・さらにいろいろあって・・・さらにさらにいろいろあって…今に至る。

今思えば、本読んで、いろいろめんどくさいこと言っていた女の子にも少しだけ光が当たった稀有な時代。それならそれに徹底すればいいのに、何であんなに不全感があったのかな。いやいや、こんな訳わからん言葉遣うから嫌われんだ。


夫が私の絵をいろいろ批評する。10代にはその一言にだってものすごく傷ついていたのに、「そんなに言うんなら、あんたあ描いてみんさいや」と、あれほど使いたくなかった広島弁を駆使して切り返す私。それにしても何であんなに傷ついてたのかな?不思議??

そうそう、夫は絵描きになりたくて美大を受けるつもりだったのを担任の先生に反対されたと聞いた。絵描きは野球選手と同じ、堅い職業に就いたほうがいいと言われたとか。さすが先生。今はたぶんそれでよかったと思っているはず。確認はしてません。

歳とるのは絶対に悪いことじゃない。いろんな景色が俯瞰できて、心の整理をつけられる。どんなことにも動揺しない心の金剛力が身につく。

体に気を付けてうーーーーんと長生きしようと誓った敬老の日。

いつか夫が何を血迷ったか小説を書き始めた。「見せてみなさい、添削してあげる」とディスプレイを覗き込み、最初の一文からそのあまりのあまりさに大笑いしてしまった私。なんかついでに思い出したので、ついでに書いておきます。

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八幡湿原の花と木

2014-09-14 | 日記

ススキを見たいという人に付いて、八幡湿原まで行きました。八幡湿原は広島市の北西、島根県との県境の北広島町にあります。

標高800メートル、年平均気温10度、臥龍山、掛頭山などに囲まれた湿地帯で、日本の湿原のほぼ南限にあたります。涼しくて湿地の多い場所特有の花がたくさん見られます。

ソバの花。高原の自然観玄関前に飾ってあった。

マツムシソウ。六月にフランスでヨーロッパマツムシソウを見たと自慢する私。

サワヒヨドリ(白花)

ススキはたくさん。高原の自然観となりはマツムシソウが群生している。

ミゾソバ

ツリフネソウ。きょうはたくさん見た。水辺に群生。ホウセンカの仲間。

アケボノソウ。花びらの点々がきれい。リンドウの仲間。

ヤマアザミ?

カンボク

ノコンギク

キンミズヒキ

ゲンノショウコ

マムシグサ

今からこちらへ行きます。昔は放牧地、その後、広島県の事業として堰を作って水を溜め、湿原を復元しました。

http://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/eco/j-yawata-life-life.html

アブラガヤ。群生していました。油臭いそうです。

ヤマノイモのムカゴ

ヨツバヒヨドリバナ?

ツリフネソウとミゾソバ。どちらも水辺を好む。

タムラソウ。アザミに似るがトゲがないので見分けは容易。

ノリウツギ

オタカラコウ

キセルアザミ(マアザミ)。キセルのように首を垂れる。

湿原の秋。人はほとんどいない。

またまたビッチュウフウロ。

ウツボグサ。乾燥地に夏、咲く。花もそろそろ終わり。

ススキ。この辺りから鼻がむずがゆくなる。秋のお彼岸を挟んで前後一週間、毎年忘れずにやってくる秋の花粉症。。。。

ヤマゼリ?

カンボク

イヌタデ。これは高原でなくても今の時期によく見られる。

オカトラノオはもう実になっている。

二川キャンプ場で恒例の必殺手抜き弁当を。

タラは大きく育っている。

ヤマボウシの実。おいしそうです。食べられます。

二川キャンプ場はイノシシ除けの電線が張り巡らされて外へは出られないし、山野草を刈り取って芝生を植え、コバノギボウシなどのたくさんの山野草は消滅しているし、いゃあ、もう私の行くところではなさそうです。ガックリ。


 

続いて尾関沼へ行きます。

こちらは変わりありません。私有地なので、動植物をとってはいけません。そう言えばキャンプ場でキンミズヒキ抜いて持ち歩いているおばさん発見。どうするんだろ。持ち帰って植木鉢に植えても、環境が違うので必ず枯れます。

山野草を抜いて持ち歩く人、賢く見えますか?私は見えません。なんであんなことするのか意味不明?

自生するカキツバタ。牧野富太郎は八幡湿原のカキツバタに感動してこの地で句を詠みました。

ハス。ハスを見ると得した気持ちになる。

極楽って、きっと自然がいっぱいのこんな場所。先に行って私の場所取ってくれてる人がいるはず。

ガマ

ナガバノミズアオイ。ホテイアオイが同種だけど、こちらは必ず土に根を張る。

自然の状態で見られるのは稀と聞きましたが。

スイレン

サワギキョウ

ヌマトラノオ。花が残っていた。花穂は直立する。

オモダカ。花は終わり。

ビッチュウフウロ。清楚。

尾関沼。こちらの方が霧ケ谷湿原より水が多い。

ホタルイ?

ビッチュウフウロ。花弁の筋模様が絶妙で引き込まれそう。花びらの中に宇宙がある。。。。


いつ行っても名前のわからない植物に出会う。自然の前ではまだまだほんの初心者。写真撮って高原の自然館の学芸員に聞くのが手っ取り早いと思います。きょうは連れがいたので帰ります。

本日のお買いもの。高原の自然観隣の売店で。地元の人が野菜を持ってきます。

茗荷、ナス、大根葉、ムカゴは各100円。トマトは六個で250円でした。安くて新鮮。涼しくて野菜も元気に育ちます。

取り敢えずトチの実を水に浸ける。火曜日の夕方取り出して一月間天日干し。

帰ったら目がものすごくかゆくて真っ赤に充血。ボスミン(血管収縮剤)を点眼。薬が残ったので、あとは自分でするつもり。針は付いてません。針がついてたらちと怖い。

目は劇的によくなったけど、涙が出る。これから10月初めまで、花粉症との闘いが続く。 

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絵を描く

2014-09-13 | 日記


ドイツのベニチアと呼ばれるバンベルクは、市の中心部に川が流れ、両岸に古い建物が並んでいます。

橋を渡って旧市街に入り、教会横の司教宮殿から見下ろす町並みは、濃いグレーやブラウンの色が重なり、初めて見るのにどこか懐かしい心癒される景色でした。

雨の日で、昼過ぎなのに、車はライトをつけ、濡れた路面に光が反射して町全体が、夕暮れのような沈んだ色合いでした。

あはれな 僕の魂よ

おそい秋の午后には 行くがいい

建築と建築とが さびしい影を曳いてゐる

人どほりのすくない 裏道を

遠い東洋の夭折した詩人が、長いコートを着て今しも道を横切っている。時間が重なっている町で見たのは幻影だったのでしょうか。


 いやいや、いい年して文学少女ぶってる場合ではない。本日、姑様に敬老の日のお祝いを届け、少し話をした。

91歳で誰の助けも借りずに自立しているのが偉い。愚痴も言わず、感謝の日送り。私もああなりたいもの。姑様のいる限り、いくつになっても不出来な嫁。不出来な嫁も薹が立ち、来週末は11人が我が家で食事予定。

料理がぶっちぎりで下手な私、さてどうする。

何がいいかなあ。あっさりした味付けの酢豚、キュウリの膾、赤飯、刺身または握り寿司、うどんまたはそば、サラダ、煮しめ、一口ステーキなどなど。うーーーむ、考えがまとまらん。。。。

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栃の実を拾った

2014-09-12 | 日記

用事で出かけました。

昨日はとってもいいお天気の日で・・・

トチノキの木陰が嬉しい日でした。平和大通りで。

足元には秋を告げる落葉と落果。栃の実です。

殻が三裂し、中からはくりに似た実が。これでトチ餅を作ろうかと思ったんですが。。。。

http://www.shinsahonpo.co.jp/tochi2.htm

ものすごく手間がかかりますね。食べられるのはひと月以上も先。灰の汁であく抜きなんて、灰なんてこのご時世にどこにある?

裸火を見るのさえ、孫と一緒の花火、それと蚊取り線香を付けるときだけ。人類は火さえcontrol出来るようになったと思いあがってはいけない。福島第一原発、どうするよ。水掛けようが掛けまいが、崩壊熱?は発し続けるのでは?数十年で片が付きますか?

おやおや、また話がそれた。

トチノキはマロニエの近縁種。セイヨウトチノキともいうらしいし。パリのシャンゼリゼ通りでもトチの実が歩道に落ちてるのでしょうか。ぎんなんと違って匂い関係は大丈夫のようですが。


 

秋にはひさしぶりに暖かいもの。チャンポン麺。

お好み焼きは先日の「器の絵付け」の教室で。お昼を出前に取る。ちょっと辛かった。白いご飯が欲しい。

おやつ三種。先生は当然ながら器のセンスがいい。


 

先日会った遠来の友人、とってもおいしいお菓子の詰め合わせをいただきました。

丸い箱がおしゃれ。もう食べてしまいました。Bさんご夫妻様、遠いところをありがとうございました。

元気でいてまたお会いしましょうね。ご主人は私と同郷、ローカルトークもまた楽しからずや。

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「天皇と日本国憲法」 なかにし礼

2014-09-10 | 読書

いつのころからか、ネットでいろいろなサイトを見ているとその少し前に検索したものが広告として出てくるようになった。

私だと海外旅行のツアー、国内のホテルと旅館、WIFIのプロバイダー、本など。そのようにしてこの本をアマゾンに誘導されて買った。

買ったけど、表題は内容とは連動していない。もともとは週刊誌に連載していたエッセィ、つまりは一話完結型。

その時々の話題の感想、自分が見た演劇、聞いた演奏会などの軽めの講評など。楽に読めると言えばそうだけど、この本の肝はやはり、前半の旧満州からの引き揚げ体験と、子供ながらに見た様々なことだと思う。

本当に信じられるものは何か、それを探して著者のその後の人生はあったのではないだろうか。外地で生まれた人は日本ではどこかよそ者の感覚を捨てきれないが、それだけに、人が当たり前として受け入れることも、立ち止まって考える。その視点はあちこちに見られた。

東京オリンピックは賛成だそうで。under the controlは首相の今後の事故処理の決意として聞いたそうで。

そこまで読んで、それ以後は読まなくてもよかったんだけど、せっかくお金払ったので最後まで読んだ。本は本屋で。涼しくなっのでたまにはリアルな書店ものぞくべきと思った。

きょうは午後から遠来の友人ご夫婦と、市内のもう一人の友人、私の四人で会う予定。楽しみ。明日以降かな。

美容院も行きたいけど省略。おされは私の中では優先順位が低い。今やばあさん道まっしぐら。その果てに見える景色は一体どんなものでありましょう。。。。。

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夏のあれこれ

2014-09-09 | 日記

梅雨明けから一月と20日くらい、ずっとお天気悪くて、今年の夏は気分もイマイチ。

いろいろ遊びに行きたかったけど、殆ど引きこもっていたかな。いいお天気になったと思ったら、もう秋。きょうは鰯雲を見た。

あなたと暮らすことにやっと慣れたのは気圧配置も秋、鰯雲が空に見えてた~♪frozmアメリカ橋・・・という気分ですね。

夏の写真まとめてアップ順不同。

虫干しの時に出てきた叔母の色無地。家紋はおもだか。鮮やかな青。きっと自分で縫ったはず。解いて何かにしましょうか。でも何にする?

クッションカバーは同じものを二つ作る。花子とアンの寝間着がこれによく似ていたので焦った。

当時はどんな柄の浴衣だったのかな?

以前泊まった安来清水寺の宿坊、松琴館で。うなぎとウリの膾。今度息子たちが来たら作ろうかな。

お盆は三男夫婦を除いて全員集結。賑やかでした。今月末には三男夫婦も帰省するので、遅いお盆の集まりになりそう。

こんなことが楽しみになるなんて、若い時には想像もしなかった。帰れるうちにもっと実家へ帰ればよかった。でもその時には自分たちで遊ぶことに忙しく、帰省は優先順位が低かった。お父さん、お母さん、ごめんなさい。

着物も干したけど靴も干した。地味でしょ。数も皆様よりずっと少ないと思う。それによく履くのはいつも二足くらい。

今だと、立てかけてる手前から四足目のサンダル風スニーカー、その斜め前の黒いパンプス風。あとは全天候型の革のスニーカーと登山靴。それでどんな場面も強引に済ませる。

ブーツもよく履くのは一足だけ。その他は惰性で持ってる。

イタリアンの店にあったズッキーニ。デカッ!!

水彩サークルのモチーフはホオズキ二鉢。描けなかったので写真で残す。

何時だったかな、夏休み。息子がたくさん出ているDVD。親の制御はもはや不可能。二つも買ったのは一つが観賞用、ひとつは保存用。親心の愚かさ。

妙な息子の妙なTシャツ。ギリギリセーフ?

実家地方の盆灯篭。まず仏壇の前に飾り、お盆にはお墓に持参。竹で支柱を二本立て、上に横に竹を渡してそこにこの灯篭を吊るす。

毎年使い捨て。盆灯篭は各地いろいろ。広島は地面に突き刺すタイプ。こちらも使い捨て。

フランス、ルルドのロウソク行列の簡易灯篭も使い捨て。古今東西、火はあの世のものをこの世へ招く道しるべだったのかも。あるいは思いを捧げる信仰の証し。

お盆に、亡くなった人が帰って来るかどうかは分からないけれど、しばし我が身の来し方行く末を想う夏の終わり。

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夏の挽歌

2014-09-08 | 断想

隠れているのはだあれ?遠くであの日の声がする。

山の上には青い空、昼下がり、ツバメが一羽、対角線に飛んで行く。

あの子はおとなしくて優しい子だった。いつも涙顔で、それでも遊んでほしくて付いてきた。

鼻緒の取れかかったちびた(方言?=すり減った)下駄、お下がりの大きすぎる半ズボン、古いベルトでキュッと締める。

きっと恥ずかしかった。いろんなことが。

頭のいい子だった。街の高校へ行き、東京の大学へ行き、そして遠くで働き、たまに帰るだけで、故郷に暮らすことはなかった。

母は嘆く。優しい子だったのに・・・今も母親の嘆きの声が聞こえる。

定年退職したら・・・母親は待っていたのに。復員ならなおさらのこと。

若い人は、いつの時代も遠くへ行きたい。兵隊にとられてさえ、勇躍勇んで出かけた世代もあった。

帰っておいで故郷へ。山も空も庭先の花も、あの日と同じ色で待っている。

夕暮れ時、母屋と納屋の間の暗がりに、いろんな声が残っている。

やがて秋、幾たびも季節は巡り、時間が古いレースのハンカチを折りたたむように積み重なっていく。

人は出会い、また別れ、赤ちゃんは子供に、子供は若者に、若者は長い時間をかけて年寄りに。

青い空を雲が行く。夏の終わりの澄んだ空。


 

昨日は孫が来た。タブレット端末で孫と一緒に動画を撮ってもらう。

再生して見て焦った。私って、人からはこんな風に見えていたんだあーーーー

そこにあるのは年相応の私の姿でありました。改めてダイエット永続宣言。合掌

 

 

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広島つけ麺を食べる

2014-09-06 | 日記

夕方、近くのお寿司屋さんへ行ったら満席!残念。もうお寿司食べるつもりになってたのにと、ふらふらと電車通りをあるくこと15分ほど、広島つけ麺「辛部」と言う店へ辿り着きました。

頭の中でお寿司からつけ麺にスイッチ切り替え。私は夜は暖かいもの食べたいのだけど、つけ麺とは冷たい面を辛いたれに付けて食べる一種の冷麺。

たれは1~30までで選べます。これは15番、中くらい。でもカプサイシンいっぱい。

海苔とネギ、チャーシューの下に麺が隠れています。たれに付けていただきます。

私は汁なし担担麺。スパゲッティのソースみたいに濃厚なたれをからめていただきます。おいしく頂きました。

市内にはこの他に何種類かのチェーン店があります。新幹線口ばくだん屋はかまぼこ板にメッセージ書くと店内に掲示してくれます。(8年前なので今はしていないかも)

三男が漫画描いてきたと友人に話すと、その友人はわざわざ京都から新幹線に乗ってその店に行ったそうで。。。。篤き友情に息子に成り代わってお礼申し上げます。みなさん、もう立派な社会人として活躍しておられることでしょう。

一杯のラーメンからたどる思い出。しみじみと歳とったものであります。つけ麺に思いめぐらす今は秋。

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夏から秋へ

2014-09-05 | 日記

先日、港へ食事に行きました。

窓ガラス越しに海。もうすぐ日暮れです。

いつものカレー屋さん。インド人経営。スパイスたくさん、辛さは選べる。私は中辛。

ナンはでかい。食べきれずに持ち帰る。ちょっと甘いのがカレーとよく合う。


それから時は移り、日は替わり、本日は織りの二学期開始。

先生のお世話で、知り合いの農園のブルーベリーのコンフィチュール?購入。1Lで2,100円。栽培生産者直販。多分安いと思う。少し熟成したほうがおいしいそうです。

リモコンは我が家にあったもの。大きさの対比として。

昼間はまだまだ暑いけど、朝夕はしのぎやすくなった。食卓も少しずつ秋へ。

昨日、愛媛県の芋たき風のおかず作ってみました。

夏の間、さっぱりしたものばかり食べていると、コトコトに込んだおかずが恋しくなります。新しいサトイモがおいしい。そう言えばセブンイレブンのおでん70円セールも明日まで。あすはおでんにしましょうか。

いゃあ、これは手抜きだわ。あるものばかりで買ったのはいんげん豆だけ。

近所のケーキ屋さんで、チーズケーキを果物でアレンジしたケーキ買う。ずっと昔からあるお店。作る人はパティシェではなく、ケーキ屋の**さん。子供会の行事など、注文したこともありました。

ん、何でケーキ買ったのと突っ込まれそうだけど、内緒のショッ。


また新しい一年を健康で頑張ろう。最近は絵にはまってしまって、描いていさえすれば楽しい。作品は平面なので場所取らない。描いたのは袋に詰めて、壁と机の間に突っ込んでいる。

もし要らなくなっても、着物や食器、本などと違って処分簡単。


 

広島カープが近年になく調子がいいそうで、連れ合いが気合入れて応援している。カープの活躍を喜ぶのにやぶさかではありませんが、あの応援の鳴り物、とがった音が耳に痛い。

歳とると強い音と光に弱くなるらしく、賑やかな場所、明るい場所が本当に苦手。静かで薄暗い場所が落ち着く。もう後何年生きられるか分からないので、どうでもいいことは省略。人生の仕上げをしたいもの。

といいつつ、遊びの計画ばかりしている今日この頃ですが。

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絵を描いた

2014-09-04 | 日記

毎週月曜日は水彩画のサークル、この日は私がモチーフの当番で、困った挙句、ドラゴンフルーツなどを持参した。

二時間目いっぱい描いても時間が足りず、きょうの午前中、とりあえず仕上げる。

ドラゴンフルーツはスーパーで半額、一個税込160円くらい。あとでカットしてみんなで分ける。ほのかに甘くてジューシーでおいしく頂きました。縦に四等分すると皮がむきやすいです。

後ろはシロナス。翡翠のようなとてもきれいな色だし、他のモチーフの邪魔をしないので、立たせる枕代わりに。

手前は夫栽培のゴーヤとウリです。

ドラゴンフルーツが大きすぎ。デッサン狂ってるけど、描きたかったのは赤い実三つ。これもありかなと。はい、素直さだけが取り柄の素朴派(自称)です。

題はどうしますか。武者小路実篤みたいに「仲よきことは美しき哉」にしますか。

で、絵具を出したついでにヨーロッパの町シリーズ・・・と言ってもこれ一枚しかありませんが、ちょっと色を塗りました。

屋根の色と形がいろいろ、それが面白くなる予定の絵です。道も空もほとんど無彩色、雨の日で昼間なのに車はライトをつけて走ります。

そんな感じが出ればいいかなと。ここまで描いたらもうお昼。ご飯食べる人がいるので中断です。こちらはまだまだです。


 

最近の我が家のおかず。

モットーは簡単に、安く、野菜大目に。

 

使った野菜、ナス、キャベツ、クレソン、トマト。ご飯は生姜を入れて炊き、茗荷とゴマを混ぜてお寿司に。さっぱりと美味しいです。

近所の老夫婦二人の小さな八百屋さん、「(商品は直接)島からくる」とかで、新鮮で安価。クレソンなど珍しいものもある。ナガフロウと私の実家で言っていたササゲ?も、この日はなかったけど、おいしい。

おいしい野菜の買える街こそ幸いなれ。あとはおいしいパンとケーキね。それと、友達と会う小さくて落ち着いた喫茶店。

食事は節約中なので、なるだけ家で食べる。

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ケヤキの木立の中を歩く

2014-09-03 | 日記

本日午前中、所用で外出。いつもは車で一時間のところを全行程、電車と歩きで、途中ダイソーで買い物もして約二時間半。

中央公園は人が全然いなくて静かだった。遠くの大きなクスノキの下で、楽器の練習する人が二人いただけ。

木の下を歩くと癒される。今年の夏は雨ばかりで全然外出できなかったけど、今日もお天気下り坂だとか。いったいいつになったらいいお天気になることやら。


今日よかったこと一つ、来月、一人でものすごく辺鄙な宿に泊まる。一日一組限定、人気の宿でやっと予約が取れた。宿泊の日はお昼ごはんも予約したので、チェックインは午前中好きな時刻でいいとのこと。

夜も一人で過ごす。いいなあ、一人が大好き。

昨日は友人からお誘いがあり、近所の喫茶店で久しぶりの情報交換会。彼女は夏の間、上海へ半月ほど行ってたそうで、写真色々。私は14年前と13年前に行ったけど、タブレット端末の写真見せてもらったら、今は東方明珠塔がかすむほどの高層ビルの林立、ちょっと驚いた。

秋の海外旅行に誘われたけど、今年はさすがに行けないと断った。「行きたいと思うのが行き時、一人でも大丈夫よ。是非行っておいで」とそそのかした。

なんか、私は知り合いの間で遊び番長というポジションらしい。ならば、嫌なこと辛いことがあっても顔は笑って、前の旅と次の旅の楽しさを話していよう。

次の海外旅行はどこかな。。。。安い時期にやっぱりヨーロッパかな。その日に備えて節約、節約。

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柳川・筑後吉井へ・・・3

2014-09-02 | 旅行

 

久しぶりにいいお天気でした。日差しがまぶしい。シャワーはあちら。どこぞのSAで。

バッグはお友達製作。いただき物。ありがとうございました。

 

「御花」前で福岡黒田武将隊のみなさんと。

北原白秋生家の船着き場。川には藻が茂る。水のきれいな証拠。柳川では、水路には下水など流さない模様。

白壁にさざ波が映り込む。涼しげ。


続いて一時間くらいかけて吉井町へ。久留米と日田の間にある街。木蝋の集散、農業、商業、宿場町として栄えたそうです。

古い街並みがよく整備されています。街中を旧日田街道が通り、車は多いです。

きれいな街並みが続きます。

軒裏まで漆喰で固めた造りは、この地が火災が多かったからだそうです。

間口はそう広くありませんが、店の奥の住居は奥行きがあり、その先に庭や蔵などがあります。

居蔵の館、説明。

風呂場の天井。板の間に隙間があり蒸気が抜ける工夫が。匠の技。

隣の脱衣用の部屋。三畳の間。出窓付き。

床の間もある。着替えだけでこの瀟洒な部屋。素晴らしい。

家の中に明り取り用の吹き抜けが。

日田街道の北の通り、筑後川から分水した小川が流れています。

次のお宅は久留米藩の役人が滞在する建物だったそうで、明治になって土地の有力者が住み、増改築などしたそうです。

四間続きの広い、広い座敷。風が吹き抜けます。

二階の増築部分は一段高くなって、眺めがいいです。こちらも光と風を取り入れた気持ちいい造り。

来客と酒盛りしたのだろうと、ガイドボランティアのの方の説明でした。

二階から庭を見下ろします。

名残は尽きませんが、一時過ぎ吉井町を出て、六時帰宅。帰りはほとんど私が運転して帰る。九州道、中国道、山陽道・・・やれやれ、疲れた~~いつまでこんな旅ができることやら。

今回の旅のテーマは「広くて涼しい座敷をたくさん見る」だったようです。夏には日本家屋がいちばん。

いつかは住みたい涼しいおうち~

 

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柳川、筑後吉井へ・・・2

2014-09-01 | 旅行

朝、部屋で備え付けの本三冊、発見。

二冊は料亭と旅館を始めた立花家ご夫妻の著書です。戦後、この屋敷を料亭、旅館として活用するにいたった経緯や経営の苦労などが書かれています。

右端は柳川限定の北原白秋詩集「思い出」です。

裏表紙には大正時代でしょうか、記念撮影した立花家の人々。着物の着方、髪型などが時代を感じさせます。著者は三歳で、沓脱石の上に座っています。

朝ごはんです。どれも一口ずつ。上品。器がさすがです。割っては大変です。

部屋にはベランダもついています。ベランダから朝の庭を見下ろします。涼しいです。

ロビーの薩摩焼。一対のうちの一つ。立派。

ロビーのスープ皿。立花家で使っていたのでしょうか。イギリス製?華族の優雅な暮らしをしばし想像してみる。

柳川藩主立花邸「御花」正面。西洋館は修復中で見学不可。残念。

西洋館。明るく瀟洒。住んでいたのではなく、他の明治の建物と同じようにお客さんをもてなす空間だったのでは。

裏側から。右、御役間。家政を取り仕切る場所だったと思われます。西洋館とは廊下でつながっています。

お役間。

お役間と庭。

大広間前の廊下には兜がずらりと並んでいます。

金箔押し、古いのもあるそうです。作られた当時はどんなにか煌びやかだったことでしょう。

レストラン、宴会場は邸内にたくさんあるようです。バスツアー客の昼食会場として、地元のパーティ会場として(叙勲記念パーティをしていました)、結婚式場としてと用途に応じて使い分けしているようです。

いちばん格が高いのが、椅子テーブルを並べた本館大広間のようです。今風の結婚式には地味だけど、シックで格調高い和室、何に使えば映えるでしょうか。

誰でも入れるレストラン対月館、鰻もあります。この世の思い出にいかがでしょうか。


 この前柳川に行ったのは25年くらい前、御花近くの店で家族五人で鰻のせいろ蒸し食べた。当時でも一人前1,500円、子供に食べるなと言うわけにもいかず、合計7,500円、消費税なし。当時はとても高いなと思った。今はもっと高くなっているらしい。

国産うなぎのせいろ蒸し、家族で行くなら今や、定期の解約して。息子が上のポスターのうなぎ食べたいと言い出したら、しっかりお勉強していい会社に入って、いっぱい働いてうなぎに敗けない人物になりなさいと言うしかないですね。

いまや絶滅危惧種の日本うなぎ。いずれ食べられなくなるのかも。


 続いて北原白秋の生家跡へ。

白秋の実家は油を商い、のちに造り酒屋も。福岡県で一、二を争う大きな醸造元だったとか。長男の白秋は家業を継ぐことを期待されたが、文学へ情熱やみがたく、家出同然に上京し、早稲田大学の予科に入る。

生家の没落、隣家の人妻との恋愛、姦通罪での逮捕など、困難なこともたくさんあった人生は、詩に独特の奥行、深みを作っていると思う。童謡の歌詞でも白秋が作ると物寂しく、抒情がある。

それはもう帰れない、水の豊かな故郷、柳川への郷愁が心の底にあったと思う。つい最近まで、白秋の歌詞はそれと気が付かず、世の中で広く歌われていた。

故郷、自然、人生を歌う白秋の詩は日本人の叙情を形作ったと言っても過言ではないと思う。まさに国民詩人。

柳川の人は白秋をとても誇りに思っていることが、併設された立派な記念館でよく分かった。水の都、柳川。いつまでもこの素晴らしい景色が残ってほしいと思った。いつかまた行きたい。


 このあと、みやま柳川ICから九州道へ入り、鳥栖JCTで大分道へ。朝倉IC下りて吉井へ行きます。

鳥栖JCTは九州の高速道がcrossする交通の要衝。15年くらい前、母を連れて初めて大分道へ行とき、「どう行くのかなあ」と夫婦で話していたら、母が「鳥栖には信号があるけん分かるんと違う?呑気なことを言っていた。

高速道路の信号?はてさて。瀬戸大橋の手前に確か予備信号が?ありましたが、それ以外ではいまだ出会ったことなし。

「高速道に信号・・・・ありえんやろ」といまだに突っ込む私

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