朝、部屋で備え付けの本三冊、発見。
二冊は料亭と旅館を始めた立花家ご夫妻の著書です。戦後、この屋敷を料亭、旅館として活用するにいたった経緯や経営の苦労などが書かれています。
右端は柳川限定の北原白秋詩集「思い出」です。
裏表紙には大正時代でしょうか、記念撮影した立花家の人々。着物の着方、髪型などが時代を感じさせます。著者は三歳で、沓脱石の上に座っています。
朝ごはんです。どれも一口ずつ。上品。器がさすがです。割っては大変です。
部屋にはベランダもついています。ベランダから朝の庭を見下ろします。涼しいです。
ロビーの薩摩焼。一対のうちの一つ。立派。
ロビーのスープ皿。立花家で使っていたのでしょうか。イギリス製?華族の優雅な暮らしをしばし想像してみる。
柳川藩主立花邸「御花」正面。西洋館は修復中で見学不可。残念。
西洋館。明るく瀟洒。住んでいたのではなく、他の明治の建物と同じようにお客さんをもてなす空間だったのでは。
裏側から。右、御役間。家政を取り仕切る場所だったと思われます。西洋館とは廊下でつながっています。
お役間。
お役間と庭。
大広間前の廊下には兜がずらりと並んでいます。
金箔押し、古いのもあるそうです。作られた当時はどんなにか煌びやかだったことでしょう。
レストラン、宴会場は邸内にたくさんあるようです。バスツアー客の昼食会場として、地元のパーティ会場として(叙勲記念パーティをしていました)、結婚式場としてと用途に応じて使い分けしているようです。
いちばん格が高いのが、椅子テーブルを並べた本館大広間のようです。今風の結婚式には地味だけど、シックで格調高い和室、何に使えば映えるでしょうか。
誰でも入れるレストラン対月館、鰻もあります。この世の思い出にいかがでしょうか。
この前柳川に行ったのは25年くらい前、御花近くの店で家族五人で鰻のせいろ蒸し食べた。当時でも一人前1,500円、子供に食べるなと言うわけにもいかず、合計7,500円、消費税なし。当時はとても高いなと思った。今はもっと高くなっているらしい。
国産うなぎのせいろ蒸し、家族で行くなら今や、定期の解約して。息子が上のポスターのうなぎ食べたいと言い出したら、しっかりお勉強していい会社に入って、いっぱい働いてうなぎに敗けない人物になりなさいと言うしかないですね。
いまや絶滅危惧種の日本うなぎ。いずれ食べられなくなるのかも。
続いて北原白秋の生家跡へ。
白秋の実家は油を商い、のちに造り酒屋も。福岡県で一、二を争う大きな醸造元だったとか。長男の白秋は家業を継ぐことを期待されたが、文学へ情熱やみがたく、家出同然に上京し、早稲田大学の予科に入る。
生家の没落、隣家の人妻との恋愛、姦通罪での逮捕など、困難なこともたくさんあった人生は、詩に独特の奥行、深みを作っていると思う。童謡の歌詞でも白秋が作ると物寂しく、抒情がある。
それはもう帰れない、水の豊かな故郷、柳川への郷愁が心の底にあったと思う。つい最近まで、白秋の歌詞はそれと気が付かず、世の中で広く歌われていた。
故郷、自然、人生を歌う白秋の詩は日本人の叙情を形作ったと言っても過言ではないと思う。まさに国民詩人。
柳川の人は白秋をとても誇りに思っていることが、併設された立派な記念館でよく分かった。水の都、柳川。いつまでもこの素晴らしい景色が残ってほしいと思った。いつかまた行きたい。
このあと、みやま柳川ICから九州道へ入り、鳥栖JCTで大分道へ。朝倉IC下りて吉井へ行きます。
鳥栖JCTは九州の高速道がcrossする交通の要衝。15年くらい前、母を連れて初めて大分道へ行とき、「どう行くのかなあ」と夫婦で話していたら、母が「鳥栖には信号があるけん分かるんと違う?」呑気なことを言っていた。
高速道路の信号?はてさて。瀬戸大橋の手前に確か予備信号が?ありましたが、それ以外ではいまだ出会ったことなし。
「高速道に信号・・・・ありえんやろ」といまだに突っ込む私。