この度の能登半島地震で被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。
本県だけで1万人以上の犠牲者を出した東日本大震災の悪夢が蘇ります。
一日も早い普通の日常が戻ることを願うばかりです。
翻って、当地の今年の正月は穏やかです。
昔の正月は色々な習わしがありました。今は大分簡素化し、シンプルになったと思います。
第一の行事と言えば正月祈祷です。宮司からご祈祷を頂きます。
第一の行事と言えば正月祈祷です。宮司からご祈祷を頂きます。
この宮司の神社は数集落の住民が氏子になっており、旧村時代のいわば氏神様といった位置づけです。
かつては我が家の正月祈祷は1月4、5日頃でした。
たまたま近隣に毎月一日に元日祈祷を行うお宅がありました。
そこで、我が家もお願いし正月祈祷を元旦にしてもらうことになったのです。
両親が亡くなった後、勤め人稼業の身としては有り難いことでした。
ご祈祷の前にはこのようにして待ちます。
ご祈祷の前にはこのようにして待ちます。
お燈明、お清めの塩と水、そしてお初穂(ご祈祷料)をテーブルに準備しておきます。
お出でになったのはお昼近くでした。これがご祈祷後です。
正月祭のお札を置いて行かれます。このお札は神棚に奉ります。
食事の習わしもあります。おせち料理とは別物です。
昔から我が家では元旦に餅は食べず、とろろ飯です。
正月にとろろを食べる風習は多く、三日とろろはよく聞きます。
元旦は珍しいようですが、何故なのかは分りません。
元旦は珍しいようですが、何故なのかは分りません。
神棚や仏壇にとろろ飯をお供えします。
これは形式的なもので、お供え用の皿で少量のご飯の上にとろろを僅か乗せたもの。
餅を食べるのは二日。
昔は、大きな臼で何臼もついたものですが、近年はいくらも食べなくなりました。
少量なので今は助っ人宅で纏めてついて貰うようになりました。
少量なので今は助っ人宅で纏めてついて貰うようになりました。
小振りのブロックにして貰い、それを我が家で切っています。
神棚や仏壇にも切り餅を焼いてお供えします。皿に少々乗せお供えするだけです。
かまどの神様にもお供えします。
なぜこのような習わしになったのか不明なのですが、近隣同じかと言えばそうでもありません。
助っ人宅では三が日とも餅を食べるのが習わしと言います。
現代では意味がないとも言える習わしですが、止めるのも意外に心に掛かるものです。
この後、馴染みの農機具店と農業資材店の初売りに顔出しするのが2日の恒例です。
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