私と父親は居間に置かれた14インチの
小さなモノクロテレビをよく見ました
初めて我が家でテレビを見ていたときは
テレビが,どう進んで行くのか分かりませんでした
… … …
民間テレビ局では毎年秋に芸術祭参加番組として
制作局が全力あげるドラマがありました
なかなか見応えのあるドラマが放映されました
… … …
この芸術祭参加ドラマも
最初は長時間の生ドラマでしたから
出演者もスタッフも大変でした
ある日、一緒にテレビを見ていて父親は
「映画は我々、一代で終だったなあ…」と
私に云うのでもなく、ボソッと呟きました
父親の若い頃、普通写真を職業にしていました
ある日、久しぶりに会った友人から
「俺はいま、活動写真で働いている…」を
聞いて,これからは写真より活動写真(映画)だと
閃いたと父親から聞いていました
… … …
父親はそこで、写真から活動写真(映画)に
転職しました
二十歳代の父親は宣伝用のスチールマンから
スタートしました
活動写真も最初はサイレント(無声映画)です
丁度,テレビが始まったころの
未知の未来を信じるような
雰囲気だったのかも知れません。