父親が活動写真に転向したときは
カメラの横にクランク(ハンドル)がついていて
そのクランクをまわして撮影する方式でした
つまり手回しカメラでした
新しく企画された映画の撮影開始を
クランク・インと呼ばれるのはこの名残でしょう
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カメラサイドのディレクターチェアに監督が
座って,メガホンで演技の指示を出していました
当時、映画はサイレント(無声映画)ですから
監督が演技のきっかけをメガホンで叫んでも
支障がなかったのでしょう
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新企画の映画の監督は△△さんですを
メガホンは△△ですというのも当時の名残です
無声映画の新感覚派「狂った一頁」「十字路」を
通って、日本映画もトーキーになります
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「狂った一頁」の病院のセットでは
ライトの不足するところへ銀紙を貼って撮影したと
聞いたことがありました
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松竹下加茂撮影所で多くの仕事をしました
やがて,戦時体制になって
溝口健二監督の「元禄忠臣蔵・前後編」のあと、
大勢の映画人と満州映画協会へ渡満します