初心者の老人です

75才になって初めてVISTAを始めました。

満蒙開拓団の悲劇

2015年10月26日 23時49分31秒 | Weblog


満蒙開拓団の人々が北満から歩いて

新京にたどり着くというのは

日本で云えば東海道五十三次どころではない

見渡す限り広大な平原を止まることなく歩いて

歩いて逃亡をつづけるということでした



集団の中には身体の弱かった人や

歩けなくなった人はその場に残して、

また、乳飲み子を抱いた家族も

おられたでしょう

母親の背中で亡くなった子供はその場で

土に埋めて、逃亡の人々に遅れないよう追いかける



足手まといの我が子を現地の人々に渡したりして

兎に角、逃れる集団に遅れないよう、人間として

どん底の環境で新京へやってきたのでした

… … …

現地人に託された子供たちは

中国残留孤児として戦後、

日本で大問題になります



新京の日本人たちは、

この悲惨な話を聞いて

皆で少しばかりの金を集め、

見舞金としました








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