私はまだまだ若かったころ、円功禅拳(えんこうぜんけん)という非常にマイナーというか誰も知らない拳法を教わっていました。
この拳法は一見太極拳とか形意拳、八卦掌といった柔かい感じの拳法です。師匠は日本在住の中国人の芸術家で、私にこの拳法を教えるときは子の刻(ねのこく、夜11時から深夜1時)にしか教えてくれませんでした。この時刻は陰遁(いんとん)から陽遁(ようとん)に変わるときです。これは午後から夜になって陰的な気が最も多くなったところで今度は朝に向かう陽的な気が芽生える転換時ということです。
座禅を組んだり、気や武術を練るのに最も適した時間ということでした。
現在はこれに日本の古武術の動作で円功禅拳と共通する動作を取り入れることによって、よりスムーズな身体操作が可能となりました。
いまさら格闘技の腕を磨こうなどとは露も考えていませんが、万が一また3人の暴漢にいきなり襲われたときなどには、もっとましな反撃をするか、それ以上に的確で安全な逃走手段を確保できるのではないかと思います。
それよりも私自身が氣の流れる感覚を以前にも増して楽しめることも多くなり、一部の患者さんからは「最近の先生の氣が変わってきたみたい」とご指摘を受けることも多くなりました。やはり「身の危険」を感じたことによって武術の訓練に対する意識が変ったからだと思います。
はじめは片足で立って腰を落して、立っている足の裏をぴったりと地面につけて、両手と宙に浮いているほうの足は自然に前にあげて松の木になったつもりでたち続けます。つづいてさらに腰を落として阿波踊りのような足腰の使い方でそろりそろりと前進します。ここからいろいろな動作に派生するのですが、常に両足の裏全体を意識してひざを抜く(脱力する)様な気持ちで動作を続けます。
円功禅拳は72式(種類)の諸々の動作で成り立っているのですが、現時点で7種類の動作が復活しています。これらの訓練を復活させて約2ヶ月ほどで、ズボンのサイズが2インチ細くなったり、ミュアウッズで4時間も山歩きをして「ぜんぜん疲れない」ようになったわけです。「隠れ腰痛」も治ってしまいました。
先日「ダンカンダンス」に打ち込んでいらっしゃる患者さんが「身体動作を訓練していると、あるときに今まで使ったことのなかった筋肉というか体と氣使い方に目覚めて、体が宙に浮くようなというか、驚くような身体感覚に感動してこれがいつも使えるようになる」とおっしゃっていました。
この言葉が非常に理解できる気がします。とにかく「体を動かすのが気持ちいい」というのは大変よいことです。
日本で鍼灸の修行をしていたころ、いや鍼灸学校の学生のころから、伝統的な東洋医学を重んじる先生方によく言われた三つの大切な要素がありました。
1.必ず東洋医学の古典を読むこと
初めはわからなくても東洋医学の古典に親しむようにしていると、先人の宇宙観とか世界観を感じ取れるので、小宇宙としての人を観る目を養える。できればこの古典を写経するのがよい。
安易に病名とそのツボの書いてある、医者になれなくてしかたなく鍼灸師になったような者が書いた本のとおりに治療して、電気を通して終わるような治療はしないこと。
2.何かしら東洋的な趣味や打ち込むものを持ちつづけること
もちろん東洋医学のみに打ち込むことも大切だが、茶道、華道や能楽、文楽などの東洋的な芸能、あるいは易経などの東洋哲学、あるいは空手、太極拳、剣道などの武術などに、一つでよいから本気で打ち込んでみると東洋観が身につく。もちろん治療家としては殺気に満ちた目つきは禁物ゆえ、師匠はよく選ぶこと。
また特に「易経」は必ず学んでおくと、終生、治療哲学と技を磨くために役立つ。
3.西洋医学の生理、病理、解剖なども知っておくこと
患者さんの多くは西洋的な病名でものを考えているので、これを東洋的に説明して差し上げるときに、便宜上必要な知識は身につけておくこと。もちろん博学なのはよいのだが、うっかりと医者の行う神経の刺激だけの病名治療に迷い込まないように注意すること。
(それでも、日本の鍼灸学校の正規科目として、生理、病理、解剖などはかなり厳しく1年生から3年生まで厳しく叩き込まれます。ご遺体の解剖の授業もありました。たとえばアメリカの鍼灸学校の解剖学の授業は、たったの1学期4か月分くらいしかないので、「これでいいのか?!」と感じたものです。)
円功禅拳にはこの武術の要素と、易経哲学と東洋的宇宙観の訓練がふんだんに取り入れられていたので、あのころはかなりハマッてしまいました。
懐かしいですね、若いことの修行の日々を思い出しました。
円功禅拳に似ていて体によい武術は太極拳と剣道だと思います。太極拳と剣道はまったく違うもののように感じますが、じつは直線の中に円運動があり、推手の感覚と竹刀の先の触れ合いには大変な共通点があるようです。どちらもサンフランシスコ、ベイエリアでは習うことができる武術です。
海外で生きていると東洋的なものに飢えてきます、これらの武術の門をたたいてみるのはどうでしょうか?
この拳法は一見太極拳とか形意拳、八卦掌といった柔かい感じの拳法です。師匠は日本在住の中国人の芸術家で、私にこの拳法を教えるときは子の刻(ねのこく、夜11時から深夜1時)にしか教えてくれませんでした。この時刻は陰遁(いんとん)から陽遁(ようとん)に変わるときです。これは午後から夜になって陰的な気が最も多くなったところで今度は朝に向かう陽的な気が芽生える転換時ということです。
座禅を組んだり、気や武術を練るのに最も適した時間ということでした。
現在はこれに日本の古武術の動作で円功禅拳と共通する動作を取り入れることによって、よりスムーズな身体操作が可能となりました。
いまさら格闘技の腕を磨こうなどとは露も考えていませんが、万が一また3人の暴漢にいきなり襲われたときなどには、もっとましな反撃をするか、それ以上に的確で安全な逃走手段を確保できるのではないかと思います。
それよりも私自身が氣の流れる感覚を以前にも増して楽しめることも多くなり、一部の患者さんからは「最近の先生の氣が変わってきたみたい」とご指摘を受けることも多くなりました。やはり「身の危険」を感じたことによって武術の訓練に対する意識が変ったからだと思います。
はじめは片足で立って腰を落して、立っている足の裏をぴったりと地面につけて、両手と宙に浮いているほうの足は自然に前にあげて松の木になったつもりでたち続けます。つづいてさらに腰を落として阿波踊りのような足腰の使い方でそろりそろりと前進します。ここからいろいろな動作に派生するのですが、常に両足の裏全体を意識してひざを抜く(脱力する)様な気持ちで動作を続けます。
円功禅拳は72式(種類)の諸々の動作で成り立っているのですが、現時点で7種類の動作が復活しています。これらの訓練を復活させて約2ヶ月ほどで、ズボンのサイズが2インチ細くなったり、ミュアウッズで4時間も山歩きをして「ぜんぜん疲れない」ようになったわけです。「隠れ腰痛」も治ってしまいました。
先日「ダンカンダンス」に打ち込んでいらっしゃる患者さんが「身体動作を訓練していると、あるときに今まで使ったことのなかった筋肉というか体と氣使い方に目覚めて、体が宙に浮くようなというか、驚くような身体感覚に感動してこれがいつも使えるようになる」とおっしゃっていました。
この言葉が非常に理解できる気がします。とにかく「体を動かすのが気持ちいい」というのは大変よいことです。
日本で鍼灸の修行をしていたころ、いや鍼灸学校の学生のころから、伝統的な東洋医学を重んじる先生方によく言われた三つの大切な要素がありました。
1.必ず東洋医学の古典を読むこと
初めはわからなくても東洋医学の古典に親しむようにしていると、先人の宇宙観とか世界観を感じ取れるので、小宇宙としての人を観る目を養える。できればこの古典を写経するのがよい。
安易に病名とそのツボの書いてある、医者になれなくてしかたなく鍼灸師になったような者が書いた本のとおりに治療して、電気を通して終わるような治療はしないこと。
2.何かしら東洋的な趣味や打ち込むものを持ちつづけること
もちろん東洋医学のみに打ち込むことも大切だが、茶道、華道や能楽、文楽などの東洋的な芸能、あるいは易経などの東洋哲学、あるいは空手、太極拳、剣道などの武術などに、一つでよいから本気で打ち込んでみると東洋観が身につく。もちろん治療家としては殺気に満ちた目つきは禁物ゆえ、師匠はよく選ぶこと。
また特に「易経」は必ず学んでおくと、終生、治療哲学と技を磨くために役立つ。
3.西洋医学の生理、病理、解剖なども知っておくこと
患者さんの多くは西洋的な病名でものを考えているので、これを東洋的に説明して差し上げるときに、便宜上必要な知識は身につけておくこと。もちろん博学なのはよいのだが、うっかりと医者の行う神経の刺激だけの病名治療に迷い込まないように注意すること。
(それでも、日本の鍼灸学校の正規科目として、生理、病理、解剖などはかなり厳しく1年生から3年生まで厳しく叩き込まれます。ご遺体の解剖の授業もありました。たとえばアメリカの鍼灸学校の解剖学の授業は、たったの1学期4か月分くらいしかないので、「これでいいのか?!」と感じたものです。)
円功禅拳にはこの武術の要素と、易経哲学と東洋的宇宙観の訓練がふんだんに取り入れられていたので、あのころはかなりハマッてしまいました。
懐かしいですね、若いことの修行の日々を思い出しました。
円功禅拳に似ていて体によい武術は太極拳と剣道だと思います。太極拳と剣道はまったく違うもののように感じますが、じつは直線の中に円運動があり、推手の感覚と竹刀の先の触れ合いには大変な共通点があるようです。どちらもサンフランシスコ、ベイエリアでは習うことができる武術です。
海外で生きていると東洋的なものに飢えてきます、これらの武術の門をたたいてみるのはどうでしょうか?