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終戦記念日です 独りでも黙祷をいたします

2007-08-15 10:56:14 | 國を思う
本日は終戦記念日です。日本に住んでいたならばぜひ靖国神社参拝に赴きたいと思います。

人々に自由な選択肢のなかった時代、日本人が誇り高く潔(いさぎよ)かった時代。多くの男子が出征を余儀なくされ、銃後のご夫人と家族たちは内外の地で苦しさに耐えておりました。現在と大きく異なる価値観の時代に家族と国のために戦没された方々の尊い精神と、日本人に限らず犠牲になられた方々全てに敬意をはらいたいと思います。

もし私があの時代に生まれていたならば、業界柄そして中国語、タイ、ビルマ語などの使用言語からして、北支かインドシナ半島へ送られていたかもしれません。むしろ過酷な戦況のために、無念ながら戦わずして餓死してしまう人々の一人になったかもしれません。
あるいは日本の勝利とアジアの共栄を信じてとことん大本営の命令を遂行したでしょう。
現代のような暖衣飽食な安全地帯に身を置きながら、当時の戦争をとやかく言う資格はなんびとにもありません。むしろ潔く散っていかれた方々に対しての礼を尽くすことが大切だと考えています。

これらの方々とそのご家族の遺志が現代にまで受け継がれて、現時点では外交的におかしな国になりましたが、日本人一人一人の心に間違いなく存在する、潔さ、誠実さ、礼節を知る民族としていられるのだと断定します。

中国人に私の息子の名前について聞かれます。彼の名前は「靖慈」とかいて(ジョウジ)と読ませます。
「靖国」の靖に「慈恵」の慈ということなのですが、中国人には「靖国神社の靖に慈禧太后の慈だ。西太后の名前さ。別に西太后に何の思い入れもないんだが、日本と清朝末期のシナが[外交的にも国防的にも堂々と対等な関係であった頃]があった。そして漢民族の共産主義者による文化大革命で、東洋医学を含む多くの貴重な文化が破壊されてしまう前の古き良き時代の風格を願ってつけた名前だ。」ときっちりと中国語で説明するようにしています。

あす米国の15日は懇意にさせていただいている、サンブルーノのタイ仏教寺院にお米を25キロほど担いでいって寄付します。そして大東亜戦争で亡くなった皆様のご冥福をお祈りします。
私が以前医療活動をしていた、タイ国もビルマ(ミャンマー)も、その国の年配者たちはみな、「日本國こそが欧米の力による支配と、華僑の不条理な経済支配から、アジア各国の自主独立の気概を育ててくれたのだ」と大いに感謝されているのを知って驚いたものです。

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