こんにちは。
前橋の販促経営コンサルタント、藤田です。
今日もよろしくお願いします。
晴れているんですが、何となくぼんやりとしている、そんな薄曇りともいえない、どちらかというと晴の方が勝っているので、こんな言葉はありませんが、薄晴です。
冷たいですね。暖房を入れない部屋でキーボードに触れると、指先に冷たさが直に伝わってきます。指先のない毛糸の手袋をして今キーボードを打っています。
天気予報を聞いていると、この冷たさが平年並みだそうです。
さて今日はまた僕のコピー人生の続きをちょっと綴ろうかなと思います。
僕は宣伝会議賞奨励賞をいただく少し前に、群馬県桐生市の小さな広告制作会社に入社しました。
コピーラーター養成講座を修了し、コピーライターの卵にはなりましたが、職に就くまではまだ卵の殻を割ることもできません。
それに僕は大学を卒業しても就職せず今で言うフリーター(当時はこんな言葉ありませんでした)でずっと過ごしていましたので、新人と言っても年を食っていました。
最初大阪では有名なM社という広告代理店で就職試験を受けましたが、コピーライターとしてはいいのですが、組むデザイナーが僕よりも年が下なので、という変な理由で断られました。
これではらちがあかないと、コピーに限らず、文章を書く仕事を片っ端から探しました。
そして最初に新聞広告で飛び込み見習いで入ったのが、うさんくさい業界紙の編集でした。
企業に取材したいと連絡をして伺い、インタビューしたあと、この記事を載せるので、記事代としていくら出せというものでした。
勝手に押し掛けて、勝手にお金を出せという、まことに勝手な業界紙でした。
3日でやめて、さてとまた職を探し始めたところ、宣伝会議社そのもので社員を募集するということが宣伝会議誌に載っていたのですぐに応募し、そこがダメでもいいやや東京で職を探そうと、無鉄砲に東京に出てしまいました。
まあそれほど無鉄砲でもなかったのですが………。宣伝会議社でも、コピーライター養成講座修了者に、その頃はコピーライターの職を斡旋してくれていたのです。それもあったので、まあ東京に出たのです。
住むところは大阪の知り合いの知り合いという、自分は面識もない人の紹介で、小平のアパートに転がりこみました。
“3畳一間の小さな下宿”です。文字通りの。
おまけに部屋の片方が廊下から丸見えのガラス窓になっているんです。
その部屋から宣伝会議のある銀座まで西武新宿線と地下鉄を乗り継いで出かけました。
試験会場には30人以上はいたでしょうか。その中から中途募集なので、たった1名の採用です。
僕には卒業してから5年以上も遊んでいたというハンディが重くのしかかっていたので、半ばあきらめで試験の望んだところ、なんと面接の最後の3人(だったか2人だったか)に残ったのです。しかしそれで終わりです。もちろん落とされました。
意気消沈している暇もなく、僕はまた宣伝会議社に出かけ、就職斡旋カードに目を通し、その中から条件に合う(というより年齢制限のなかった)2社をとりあえずメモし、まず1社に電話しました。そこがその後30年以上お世話になる桐生市の広告会社でした。
すぐに面接するのでおいでということで、東武電車に乗って出かけました。
東武伊勢崎線に乗ってみるとわかりますが、埼玉に入ると、断然畑や田んぼが目につき始めます。どんどん田舎田舎した場所を走っていくのです。
面接日が忘れもしない9月15日。当時は敬老の日で世間では祝日でしたが、その会社では関係なく仕事をしていました。休日は日曜だけだったのです。
さてこの続きはまた後日。
お粗末様でした。
それでは今日はこれで。
上記へのご意見やコメントは下記メールまでお願いします。
このブログに載せることはありませんので、忌憚のないご意見、感想をお待ちしています。
▼下記は現在配信中の、無料メールマガジンです。
お店や会社経営のちょっとしたいいヒントがたくさん載っています。
消費者目線のマーケティング
繁盛店になりたいか!
「あっ、そうか! ちょっとした『気づき』が繁盛店に変える」
あなたの一日が今日も普段通りの良い一日でありますように。
藤田販促計画事務所、お客様力(ぢから)プロデューサの藤田でした。
群馬県前橋市天川大島町186-25
藤田販促計画事務所
http://www.shakatsu.co
E-mail:k1948f@nifty.com
TEL.027-261-6671(FAX.同様)
前橋の販促経営コンサルタント、藤田です。
今日もよろしくお願いします。
晴れているんですが、何となくぼんやりとしている、そんな薄曇りともいえない、どちらかというと晴の方が勝っているので、こんな言葉はありませんが、薄晴です。
冷たいですね。暖房を入れない部屋でキーボードに触れると、指先に冷たさが直に伝わってきます。指先のない毛糸の手袋をして今キーボードを打っています。
天気予報を聞いていると、この冷たさが平年並みだそうです。
さて今日はまた僕のコピー人生の続きをちょっと綴ろうかなと思います。
僕は宣伝会議賞奨励賞をいただく少し前に、群馬県桐生市の小さな広告制作会社に入社しました。
コピーラーター養成講座を修了し、コピーライターの卵にはなりましたが、職に就くまではまだ卵の殻を割ることもできません。
それに僕は大学を卒業しても就職せず今で言うフリーター(当時はこんな言葉ありませんでした)でずっと過ごしていましたので、新人と言っても年を食っていました。
最初大阪では有名なM社という広告代理店で就職試験を受けましたが、コピーライターとしてはいいのですが、組むデザイナーが僕よりも年が下なので、という変な理由で断られました。
これではらちがあかないと、コピーに限らず、文章を書く仕事を片っ端から探しました。
そして最初に新聞広告で飛び込み見習いで入ったのが、うさんくさい業界紙の編集でした。
企業に取材したいと連絡をして伺い、インタビューしたあと、この記事を載せるので、記事代としていくら出せというものでした。
勝手に押し掛けて、勝手にお金を出せという、まことに勝手な業界紙でした。
3日でやめて、さてとまた職を探し始めたところ、宣伝会議社そのもので社員を募集するということが宣伝会議誌に載っていたのですぐに応募し、そこがダメでもいいやや東京で職を探そうと、無鉄砲に東京に出てしまいました。
まあそれほど無鉄砲でもなかったのですが………。宣伝会議社でも、コピーライター養成講座修了者に、その頃はコピーライターの職を斡旋してくれていたのです。それもあったので、まあ東京に出たのです。
住むところは大阪の知り合いの知り合いという、自分は面識もない人の紹介で、小平のアパートに転がりこみました。
“3畳一間の小さな下宿”です。文字通りの。
おまけに部屋の片方が廊下から丸見えのガラス窓になっているんです。
その部屋から宣伝会議のある銀座まで西武新宿線と地下鉄を乗り継いで出かけました。
試験会場には30人以上はいたでしょうか。その中から中途募集なので、たった1名の採用です。
僕には卒業してから5年以上も遊んでいたというハンディが重くのしかかっていたので、半ばあきらめで試験の望んだところ、なんと面接の最後の3人(だったか2人だったか)に残ったのです。しかしそれで終わりです。もちろん落とされました。
意気消沈している暇もなく、僕はまた宣伝会議社に出かけ、就職斡旋カードに目を通し、その中から条件に合う(というより年齢制限のなかった)2社をとりあえずメモし、まず1社に電話しました。そこがその後30年以上お世話になる桐生市の広告会社でした。
すぐに面接するのでおいでということで、東武電車に乗って出かけました。
東武伊勢崎線に乗ってみるとわかりますが、埼玉に入ると、断然畑や田んぼが目につき始めます。どんどん田舎田舎した場所を走っていくのです。
面接日が忘れもしない9月15日。当時は敬老の日で世間では祝日でしたが、その会社では関係なく仕事をしていました。休日は日曜だけだったのです。
さてこの続きはまた後日。
お粗末様でした。
それでは今日はこれで。
上記へのご意見やコメントは下記メールまでお願いします。
このブログに載せることはありませんので、忌憚のないご意見、感想をお待ちしています。
▼下記は現在配信中の、無料メールマガジンです。
お店や会社経営のちょっとしたいいヒントがたくさん載っています。
消費者目線のマーケティング
繁盛店になりたいか!
「あっ、そうか! ちょっとした『気づき』が繁盛店に変える」
あなたの一日が今日も普段通りの良い一日でありますように。
藤田販促計画事務所、お客様力(ぢから)プロデューサの藤田でした。
群馬県前橋市天川大島町186-25
藤田販促計画事務所
http://www.shakatsu.co
E-mail:k1948f@nifty.com
TEL.027-261-6671(FAX.同様)