ごっとさんのブログ

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なぜか「科学嫌いな人」が増加している

2024-08-04 10:33:08 | 文化
私は現役時代から科学を極めることを目的に研究していました(専門は化学ですが)。引退してからも科学に興味を持ち、毎日科学関連ニュースなどを読み漁っています。

ところが最近は「科学嫌いな人」が増えているようです。現在科学を役立たずだとする人は少なく、理解できないと拒絶するのもはばかられます。科学は日常生活の隅々まで行きわたり、生活を支えていると言えそうです。

しかし理科嫌いな子どもたちが増えており、この延長線上に科学嫌いの大人がたくさん生まれています。今でも科学的根拠に乏しく多くの研究で否定されている主張を、信じ広めようとする行動や活動は枚挙にいとまがありません。

こうした科学不信は、過激な反科学運動に打ち興じる人たちばかりの物ではありません。多くの人が便利で欠くべからざる存在意義を認めながらも、科学にうっすらとした忌避感、縁遠さや冷たいイメージを抱いています。

なぜ人々は科学を難しい、自分とは関係ないと感じるようになってしまったのでしょうか。多くの人が科学に「冷たい」イメージを抱くのには、いくつかの要因が考えられます。

科学は感情や個人的な意見を離れて、事実や数値に基づいて客観的な結論を導き出すことを目指し、またその結論をベースに次の研究を続けていきます。

しかしこの非主観的な側面が強調された上にカリカチュアライズ(戯画化)されて、科学研究自体が人間味を書いた営みであるかのように誤解されてしまうのです。また科学は、人類の分化や価値観に多きな影響を与えてきました。

その変化があまりにも急激であるがゆえに、伝統的な価値観と相いれない部分が生じ、そのために科学に対して抵抗感を抱く人も少なくありません。たとえばダーウインの進化論がヨーロッパの人々に与えた衝撃、そこから生まれた強い反発は有名です。

科学教育では、発見の背景やそこに至るまでのプロセスよりも、科学研究の成果である理論を教えることに重点が置かれがちです。

発見の裏に隠された科学者たちの挫折や失敗は捨てられ、その結果科学がまるで最初から完成された知識の体系であるかのように、むしろ正解だけを束ねたものとして認識されてしまうのです。

科学を学ぶことは、そんな正解の束を疑問を持たず、ひたすら飲み込むことだと誤解してしまうのです。さらに現代の科学は高度に専門化しており、各分野の研究者は自身の専門領域に特化した研究に没頭しています。

これは科学の進化に不可欠な要素ではありますが、異なる分野の営みは科学者同士でも簡単に理解できない専門分化したものになっています。

同時に一般の人にとっては、専門研究者とのギャップはますます広がり、科学の営みを理解することが難しいものとなっているのかもしれません。

オンラインの囲碁教室に認知機能の低下抑制

2024-06-27 10:32:56 | 文化
このブログでも定例囲碁会のことを書いたりしていますが、囲碁は手軽な趣味としてずっと続けていこうと思っています。

私は特に勉強的なことはしていませんが、日曜日のNHKの囲碁トーナメントを、NHK+を使ってゆっくり見ています。NHK+で見ると途中止めて考えたり、見直すことができるので、かなり勉強になるような気がしています。

後はタブレットやPCに対戦囲碁ソフトを入れてありますので、時々対局しますがやはり人との対局の方が面白いような気がしています。

東京都健康長寿医療センターのグループが、囲碁が高齢者の健康に与える有効性について研究を開始しました。タブレットを用いてインターネット上で囲碁を学ぶ、オンライン囲碁教室プログラムによる検証を開始しました。

この研究は湖山医療福祉グループの介護施設の協力により実施されました。この囲碁を選択した理由として、研究グループは次のように述べています。高齢になり認知機能が低下した場合に、新しいことを学んで知的な刺激を得ることが良いことは過去の研究から分かっています。

その上で囲碁はまずルールがシンプルです。将棋やチェスなら駒の動き、麻雀なら牌をそろえるとか最初に覚えることが多いと、認知症をすでに発症したあるいは認知機能が低下した人が新たに始めるのはハードルが高くなります。

一方オセロのような誰でも知っているゲームだと学習のプロセスがありません。シンプルさと学習の負荷のバランスが良く、最も良い効果が得られるのが囲碁としています。

囲碁の経験がない高齢者、認知症患者向けに囲碁教室のプログラムを組んで一定期間実施したところ、新たに囲碁の学習に取り組んだことで認知機能、注意力、ワーキングメモリ―などの脳の機能が維持できる、あるいは向上するという結果が出ました。

この取り組みはコロナ禍でリモート囲碁教室になってしまいましたが、問題なく継続しているようです。対面での囲碁教室は1時間でしたが、オンラインは30分となりました。ルールの講義が10分、練習問題が10分、オンライン対局が10分となっています。

全15回で約4か月間、日本棋院の棋士に講師を頼み、入門用の碁盤を使って対局できるようになることを目指しています。

この様な方法で、高齢者で認知症の可能性がある人が本当に囲碁を打てるようになるかは怪しい気がしますが、囲碁が脳のために良いのであれば、私ももう少し囲碁に取り組んでみようかとも思っています。

この研究でここまでの検証では、認知機能と精神的健康状態が維持できるという結果が出ているようです。

長期間延期となった定例囲碁会

2024-06-19 10:34:28 | 文化
昔の仲間との定例囲碁会は、大体2か月に1回程度開催していました。本来3月末に開催する予定でしたが、私がちょうど調子が悪くなってしまい、参加できないので私以外の3人でやって欲しいと連絡しました。

これにSさんが全員そろってやりたいとのことで、延期になってしまいました。その後幹事のIさんも体調を崩したようで、結局3か月遅れでの開催となりました。

当日は13:00に碁会所集合となっており、15分前ぐらい行ったのですがまだメンバーは誰も来ていませんでした。この碁会所は50面以上ありそうな広いところですが、平日のこんな時間ですので当然じいさんばかりでしたが、半分以上埋まっており囲碁人気も出て来たのかもしれません。

私は喫煙所に行って一服していましたが、最近は本当に喫煙場所がなくなってしまいました。少し前までは駅前のちょっとした広場の一角が喫煙場所になっていたのですが、そこがなくなり駅近辺一帯は路上喫煙禁止となっていますので、本当にちょっと一服の場所がなくなってしまいました。

喫煙室から出てきたら、すでにIさんとKさんが始めていました。すぐにSさんも見えて始めましたが、序盤Sさんが定石外しから失敗しかなり私に有利な展開となりました。これで私もゆったり打っていましたが、終盤Sさんが無理な戦いを挑んできたのです。

私はこれを避けることもできたのですが、これを咎めに行ったところ非常に初歩的なミスが出てしまい何と私の方がとられてしまったのです。それでも形成は細かい感じでしたが、ここで投了しました。

Sさんもまだ自分の方が不利と思っていたようですが、ちょうどIさんとKさんの対局も終わりましたので、ちょうど良いタイミングだったかもしれません。

次は最も強いKさんとの対局(たぶんアマチュア4.5段)でしたが、4子局ですので徹底的に厚く打ってみました。戦いというようなこともなく、すんなり終局しましたがこういった碁だと置き石の威力が出て10目ほど勝つことができました。

Kさんも仕掛けるタイミングが見つからず、完敗だと言ってましたが、碁としてはあまり面白くなかったような気がしました。

最後のIさんとの碁は、序盤有利に進んだのですが、中盤激しい戦いになり私のミスも出てしまい投了して終わりました。それでも碁としては、楽しい1局といえるような気がします。

4時過ぎには終わりましたので、近くの居酒屋で軽く飲み会を行いました。Iさんが薬を飲んでいるからとノンアルコールビールでしたが、それなりに楽しく情報交換など行いました。まあこの歳になると昔の職場仲間が亡くなった話が多いのですが、やむを得ないのかもしれません。

変革の瞬間を迎えた、AIが科学を加速

2024-06-04 10:35:02 | 文化
私は現役のころは色々な科学雑誌に論文を投稿していましたが、その査読者からのコメントに対応するのは大変でした。

それがたぶん40代ぐらいになると、査読を頼まれるようになってきました。もちろん有名ではなくどこかの国の化学会誌というようん雑誌ですが、ボランティアのような扱いで時間と手間が非常にかかるものでした。

勤務していた研究所はこういったいわば公的な仕事を優先して良いという了解がありましたが、年に1.2回とはいえ結構負担に感じていました。最近この査読を将来的にAIが行う可能性が議論されているようです。

査読は学術論文を掲載する前に、独立した専門家が内容や学術的な意義をチェックする仕組みです。査読者は先行文献と比べ、どこに新規性があるのか、論理的な矛盾はないか、適切な方法で適切なデータを集めているかなどを見てコメントし、著者に書き換えや追加実験を求めたりします。

科学の質を保つために不可欠な手続きといえます。ただ科学者の善意に頼るところもあり、時間がかかる査読への忌避感や、専門分野が細分化する中で、査読者の確保が課題になっています。

スタンフォード大学などがGPT4に査読させた場合と人間の査読者の場合で差があるか調べた論文によると、査読を受けた人の半数以上がGPT4の査読について「役立つ」「非常に役立つ」と回答し、8割が「少なくとも一部の人間の査読者からのコメントより有益だった」と答えています。

これを受けて研究者にとっては朗報で、人間の研究者とAIの役割分担が進むだろうとしています。一方で生成AIによって画像やデータの修正が簡単になったことで、捏造などの不正が起こりやすくなることへの懸念も相次ぎました。

今年5月に公正研究推進協会は、研究者向けにAI利用の注意点をまとめたオンライン教材を整備しました。意図せず研究不正の疑義が生じる恐れもあり、検証ができる様、AIの回答などの記録を残しておくことを推奨しています。

また生成AIを使うとしても、研究者は最終的に自分の研究について頭で理解し、きちんと世の中に説明できるないといけません。研究のプロセスをどこまでならAIに任せてよいのか、学術界で議論していく必要があるとしています。

AIの革命的な進歩が「科学自体の変革の瞬間を迎えた」と期待を示す一方で、研究の透明性や結果の再現性、著者の責任など科学の在り方に新しい困難を生むことになると指摘しています。

指針案では、研究者は使用したAIツールやアルゴリズムを開示し、AIが導き出した答えでも研究者が結論に責任を持つことなどを推奨しています。

AIが進歩することによってこれからの研究はいろいろ難しいことが出てきそうな気がします。

「喜寿」とは何歳のお祝い、意味や由来

2024-01-21 10:33:21 | 文化
先日私は誕生日で、ついに77歳となってしまいました。「喜寿」のお祝いですが、ケーキを食べたぐらいで特別なことはしていません。

ついでに長寿の祝いについて調べてみましたが、結構知らないことがあります。なおこういった長寿の数え方は、昔は数え年で行っていたようですが、現在はほぼ満年齢を使っているようです。

数え年とは、生まれた日を1歳として、元日(1月1日)を迎えるたびに歳をひとつずつ足す数え方で、誕生日とは関係なく年齢が決まるもので、現在ではほとんど使われていません。

満年齢は生まれた日を0歳として、誕生日が来るごとに1歳ずつ歳を加算していくもので、明治時代に入ってからはこれが主流となっています。

さて長寿の祝いには「還暦」「禄寿」「古希」「喜寿」「傘寿」「米寿」「卒寿」「白寿」「百寿」などがあります。

このうち最も有名なのが60歳の「還暦」でしょう。これは十二支と十干の組み合わせ(干支、えと)が60通りあることに由来し、人が生まれて60年目でこの干支が一巡するため、生まれた時と同じ暦に還るという意味を表わしています。

この時のシンボルカラーが赤ですので、赤いちゃんちゃんこなど赤いものを送る風習は今でも残っているようです。次が66歳の「禄寿」ですが、これは元々なかったものが、平成14年に日本百貨店協会により誕生したとされています。

いわばデパートの売り上げのための陰謀のようなものですので、知らなくて当然かもしれません。70歳の「古希」は唐の詩人の「人生七十年古来稀なり」に由来しており、カラーは紫とされています。

次が私が到達した「喜寿」ですが、これは喜の字を草書体で書くと七十七に見えることに由来しています。このカラーも紫で、私も好きな色ですので、何か紫色の記念品を買おうかと思っています。

その後80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」と続いています。私が若かったころは、77歳の老人というとよぼよぼのじいさんというイメージがありましたが、いざその歳に自分がなるとまだ十分動ける気がします。

それでも週1回テニススクールに行っていますが、腰が痛くなったり、足が動かないなど歳を実感することが増えてきました。こういった文章を考えるのも、昔に比べて時間がかかってしまうような気もします。

それでもまだやりたいことはできていますが、これがいつまで続けることができるのかを、考える歳にはなってしまったような気がします。そろそろ終活を真剣に考えるべきかもしれません。