ごっとさんのブログ

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「人生会議」という色々な話し合い

2019-12-13 10:21:04 | 時事
人生をどう終えるのか、本人の気持ちや考え方を受け止め、高齢者に寄り添いながら家族を含めた医療者などで共有することが重要とされています。

この人が自分の人生に関し、どういう医療や介護を受けたいのか、どういう最期を迎えたいのかといったことを日常的に家族や知人、医療関係者などと語り合っておくACPが、高齢化の進展に伴って議論されるようになっています。

厚生労働省は、分かりにくいこのACPという略語を2018年に「人生会議」という愛称に変更しましたが、全く知りませんでした。

この人生会議の普及啓発ポスターが批判に合い、それを回収し配布しないという事がマスコミの話題になり取り上げられました。この報道によって私は初めて人生会議という運動があることを知ったのですが、もし素晴らしいポスターで普通に配布されても気に留めることはなかったでしょう。

ここで批判されるようなポスターを作ったことが、この人生会議を広めるようになったのは皮肉なことですが、結果的には良かったのではないかと思っています。

こういった人生を見つめなおし、またその人の意思を尊重したいと考えている人にとっても重要なことといえます。それでも日本だけではなく海外でもあまり進んでいないようで、日本は宗教観の影響もあり広がることは難しそうな気がします。

またこういった問題を話し合っていても、いざ死に直面した時この話し合いで動けるかといった問題もあります。

もう十年以上前になりますが、私の母が入院しており自分で食事が摂れなくなりました。母はボケる前には尊厳死協会などと連絡したり、延命治療は嫌だという意思を示していました。

こういった母の意志は入院先の医師にも伝えていましたが、食べられなくなった時これからどうするかの決断を求められました。何もしなければ、1週間か10日で、点滴で栄養補給すれば3か月程度、胃瘻をすればもっと長く生きられるという事でした。

母の元気なころの意見からは、なにもせず89歳の大往生を見守るべきとは思いましたが、結局点滴での栄養補給をお願いしてしまいました。やはり現実の「死」が迫ってきた場合、少しでも遅らせたいという思いが強く出てしまったようです。

私は自分の死は素直に受け止めることができると考えていますし、家族にも伝えてありますが、あくまでも元気な時の気持ちですので、直面するようなときにどうなるかは自信がありません。

それでも人生会議というのはそれなりに意義のあることだと考えています。元気で頭もはっきりしているときに、家族と話し合いことはできそうですが、医療関係者に伝えるような手段が少ないのが問題かもしれません。