昨日の介護職員研修会で甦った高齢者たちの思い出です。
勤務していた札幌J老人ホームは1926年の創立で、S養老院と呼ばれていた頃からの長い歴史がある福祉施設でした。
ベッド数150で、高齢者だけでなく知的障害がある若い人や太平洋戦争で傷ついた復員兵なども入所していました。
戦後にロボトミー手術を施されたY男さんも、そのひとりでした。普段は温和な人でしたが
時おり不安症状が出て荒々しい行動を起こすことがありました。
夜の巡回時Yさんのベッドに寄ったところ、突然に上体を起こし掴み掛かろうとしたり
何かの拍子に怯えた表情を見せたり…戦時中の恐怖が甦ったのでしょうか。
またある冬の夜Yさんが窓から脱走する騒ぎがありました。
その日の午後、同室者とトラブルがあったようで、夜になってから仕返しされることを恐れて
逃げ出したようです。いつもは大きな体を持て余し素早い行動など出来ないYさんが
どうやって窓から脱出したのか…たぶん火事場のナントヤラだったのでしょう。
その後、雪の上の足跡を辿った職員に見つかったYさんは、何事もなかったように安眠したと翌日の日誌に書かれていました。
終戦時の混乱で奥さんと生き別れた侭のT男さん、NHKの『大地の子』を観て泣いていたA女さん、
中国奥地でご主人に死なれ一人残されたS女さんは、その後中国人夫との間に生まれた子供を残して帰国しました。
戦争の傷跡を深く残して苦しんでいた人々を思い出すと、今も胸が痛みます。
また重度の知的障害があり、近くの高校グラウンドから学生たちの靴や衣類を持ち帰ったM男さん、
見えない&聴こえない&話せない三重苦のI女さん、
貧しい家に生まれて花街で育ち、まるでドラマのような生涯を送ったM女さん、
介護テキストの行間から多くの人々が甦ってきます。
あのJ施設で得た経験は、現在のKimitsuku の財産となり人生の糧となっているのです。
穏やかな木漏れ日が気持ちよい秋好日、亡き人々に慰労と感謝の祈りを捧げたいと思います。