1909年に製紙会社の木材を運ぶ為に作られた専用鉄道から始まった
我が故郷のJR日高本線が、一部を残して廃止されることになりました。
2015年に起きた高波被害により不通が続いていたが検討の結果、沿線町村も苦渋の決断をしたとのこと。
子供の頃、列車が通過した後の石炭臭が好きで、鼻腔を広げ夢中になって嗅いだ日を懐かしく思い出します。
石炭からジーゼル燃料に変わってあの臭いが嗅げなくなり、ひどくガッカリしたものです。
太平洋日高沿岸の苫小牧駅から様似駅までの146.5km、わが故郷S町はその中間にあり
高校入学した時に列車通学する生徒が楽しそうで羨ましく思ったこと
列車を待つ間たむろしていた「お焼き屋」の話
4時間目の授業中に出前ラーメンが届いて、O先生に大目玉をくらったのも通学生たちでした。
今でも同窓会で集まると、その猛者話で盛り上がります。
この日高沿岸一帯は北海道の中でも温暖で、古くからアイヌ民族が集落を作り暮らしていた地域。
地域を結ぶ鉄道が完成するまでどれだけの困難があったのかと、往時の人々の苦労が偲ばれます。
山と海の間の細長い陸地に線路を敷いた為、日高本線は常に高波被害の恐れがありました。
この列車で多くの観光客が襟裳岬や軽種馬牧場を訪れたのも今は昔、これからはバス旅でお楽しみください。
まわるまわるよ時代はまわる 喜び悲しみ繰り返し
‥中島みゆきの『時代』が心に沁みる秋です。