さあやは前からほしかったトランポリンをクリスマスにサンタさんにお願いして、2階への階段前に置いていて、時々する。勢い余って、台所に机にぶつかったり、トランポリンとカバーの間に足を突っ込んでしまって、ケガしたりするから、私が「しばらくしたらあかん」と冗談で言うこともあった。
さあや:大人だから(は)、ケガしたらやめときって言うのはじゃまなの。
母:さあや、失敗についてはどう思う?
さあや:失敗は間違えたか、忘れたか。
母:(そういうことじゃなくて)どう思う?失敗することに対して。
さあや:失敗は怒られそう。どうしよどうしよって思う。怒られちゃいそう。あーってなっちゃう。
図書委員忘れたくらいやったら、「まーいいわ、あれぐらいやったら」って感じ。
先生が『失敗していいんです。』って言うけど、先生めっちゃ怒る。
でも、家で失敗するんやったら、別にいいし。
このくらいの失敗どうでもいいし、うるさいなって思う。
別にまたやり直したらいいし、誰々やって失敗してたやん。あやだって失敗したっていいやん。はー、なんなんって思っとく。
そうか、さあやはケガはいいけど、失敗は先生に怒られる場合のみイヤなんだ。
家では、私は失敗で怒るとしたら、自分の仕事が増える時だけだから、それ以外なら放置。それが気楽なのかもしれない。
私の気付き。
「失敗したくない」 失敗への恐れは大人によってつくられる。