内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

「エモい」発見 ― 辞書散歩の愉楽へのお誘い

2024-03-20 17:41:25 | 日本語について

 今日、その他の注文本といっしょに小学館の『新選国語辞典』(第十版、二〇二二年)が日本から届いた。手元にある小型国語辞典はこれで五冊目になる。ただ言葉の意味や用法を調べるだけなら、大抵の言葉については紙の辞書を引くまでもなくネットで検索すれば事足りる。だから今回も必要のために購入したのではない。辞書オタクや辞書マニアと言えるような「深み」や「高み」にはとても至りつけないが、「辞書を読み比べるのがちょっとした趣味です」くらいは私にも言えるかも知れない。
 手元の小型国語辞典のなかで新語に強いのはなんといっても『三省堂国語辞典』(第八版、二〇二二年)だが、従来からある言葉の新用法に関しては『明鏡国語辞典』(第三版、二〇二一年)が類書に見られない的確な語釈を示してくれることがある(例「だいじょうぶ」2023年9月4日の記事参照)。今回購入した『新選』は類書中最大級の収録語数を誇る。
 先日話題にしたNHKドラマ『舟を編む ~私、辞書を作ります~』の第一話のなかに、社員食堂で同僚の女子社員三人と昼食を取りながらおしゃべりしている岸辺みどり(池田エライザ)に向かって、通りかかった馬締光也(野田洋次郎)が、今あなたが使った「あがる」とはどういう意味でしょうかと出し抜けに尋ねるシーンがある。この場面での「あがる」には主語はなく、ただ「あがるぅ~」などと語尾を伸ばし、それと同時に両拳を頬のあたりまでもってくる動作がそれに伴う。「気分が高まる」というほどの意味で使われる。この用法を乗せているのは『三省堂国語辞典』だけであった。ただし俗用扱いで、用例は「あがる春ぐつ」。履くと春らしい気分が高揚する、というほどの意味であろう。
 日本で直接観察する機会がないので推測の域を出ないが、主に若い女性がこの意味での「あがる」を使うのではないだろうか(男の子もつかうのかな?)。これに近い用法だが、ちゃんと主語を伴っていた用例をはじめて聞いたのは、是枝裕和監督の『海街diary』のなかで、次女の佳乃(長澤まさみ)が異母妹のすず(広瀬すず)とふたりきりの場面でペディキュアを塗りながら「こうすると、気分あがるよ」というセリフとしてだった。映画のストーリーの展開上は特に重要な場面というのではなかったが妙に印象に残った。
 『新選国語辞典』の「あがる」の項で気づいたことは、最後の用法として古語の「昔にさかのぼる」の意を挙げ、「上がりての世」と用例も示していることだった。
 そこで「なつかしい」を引いてみると、やはり古語「なつかし」の用法が〔「動詞「懐く」を形容詞化させたもので、心が強くひきつけられて、そばにいたい、身近においておきたいという気持ちをあらわすことば〕と説明されており、さらに語釈を「いとしい。かわいい。好ましい。」と「人なつっこく甘えた感じだ。親しい感じだ。」と二つに分け、それぞれ万葉集と源氏物語が一例ずつ用例も挙げている。『角川必携国語辞典』も古語に強いが、「なつかしい」の項に古語の用例までは挙げていない。
 さらに驚いたのは、古語「えも」(副詞)が単独で立項されていることである。

〔副詞「え」と係助詞「も」〕①よくも。よくまあ。「恋ふと言ふはえも名づけたり」〈万葉〉②〔打ち消しの語を伴って〕どうも…(できない)。なんとも…(できない)。「えもいはぬにほひ」〈徒然〉

 これに続いて古語の連語「えもいわず[えも言はず]」も立項され、「〔副詞的に用いて〕なんとも言いようがないほどすばらしく」と語釈が示されている。そして、その次に連語「えもいわれぬ【えも言われぬ】」が来る。文章語とされ、「ことばにうまく言えないほどの。なんとも形容しがたい。「―おもしろさ」「―美しさ」」となっている。
 これら三語が連続して立項されていることで「えもいわれぬ」がどこから来ているかがわかる。ちなみに他の手元の国語辞典は「えもいわれぬ」のみを立項している。
 面白いことに、『三省堂国語辞典』と『明鏡国語辞典』の「えもいわれぬ」の直前の項が「エモい」なのである。

エモ・い(形)〔俗〕心がゆさぶられる感じだ。「冬って―よね」〔「エモな気持ち」のようにも言う〕由来 ロックの一種エモ〔←エモーショナル ハードコア〕の曲調から、二〇一〇年代後半に一般に広まった。古語の「あはれなり」の意味に似ている。派 ーさ・『三省堂国語辞典』

エモ・い[形]〔新〕感情が強く揺すぶられるさま。感動的だ。情緒的だ。「―曲[映画]」△「エモーショナル」を形容詞化した語。『明鏡国語辞典』

 『明鏡』のほうは冷静な記述だが、『三国』のこの項の執筆者、執筆時「してやったり」の気分ではなかったろうか。
 こんな発見があるから、辞書散歩は楽しいですよ。