二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』に依拠した『歴史のための弁明』から摘録は今日が最終回である。
『歴史のための弁明』第五章は未完に終わる。ポシュ版で八頁ほどの草稿だけが残された。タイトルもない。初版にはフェーヴルが内容を汲んで「歴史における因果関係」という仮題が付された。
歴史における因果関係の探究は微妙な作業である。ブロックは、疫病蔓延を例として挙げる。恒久的貧困による健康の悪化や劣悪な衛生状態は一般に先行条件(前件)を呼ばれる。それに対して、黴菌の一時的な増殖のような直接的な与件だけが原因と呼ばれて重視されることが多い。しかし、これは実は見る者の立場によって変わりうる。医学史の専門家からすれば黴菌が問題だが、社会学者にとっては貧困こそが疫病の原因となる。
ブロックは、心理的決定論にせよ地理的決定論にせよ、唯一の原因に固執することは歴史の理解にとってふさわしくないと原因一元論を批判する。前章と同じくここでも裁判官と歴史家を対比し、裁判官は常に「誰に責任があるか」を問うていくのに対して、歴史家は何よりも「なぜ」と問うのであり、答えが単純でないことを受け入れるのだと言う。
ブロックの草稿は残念ながらここで中断している。一九四三年、ブロックは決定的に地下活動に入り、もはや歴史学のあり方を根本から考え直す作業を続ける状況ではなくなってしまったからである。それは一面たいへん残念なことだ。しかし、ブロックは、いまや歴史をめぐっての省察から転じて、みずから歴史の激流に身を投じる決断をしたのである。