昨日放映されたドラマ『舟を編む ~私、辞書をつくります~』第四話のなかに「用がなくても開きたくなる辞書」というセリフが出てきた。言い得て妙な表現で、確かにそれは素晴らしい辞書に違いない。そのような辞書であるためには、どのような条件が揃っていなくてはならないであろうか。ここで問題になるのはもちろん紙の辞書で、電子辞書は、その利便性を認めるとしても、論外である。
「用がなくても開きたくなる辞書」は、中身において優れ、レイアウトの細部にまで配慮が行き届いていなくてはならないのはもちろんのこと、それだけではなく、箱と本体のデザインと手触り、箱から出して手に持ったときの重み(こういう書痴的な嗜好を得々と喋々すると、それができない障害や病気を抱えた方たちには差別的で暴力的な表現になることを知らないわけではないけれど)、紙の色と手触り、開いて鼻を近づけると感じられるほのかな香り、頁をめくるときの絶妙な「ぬめり感」、耳をくすぐるかそけき音等もまた、そのような辞書にはなくてはならない構成要素であろう。
他方、辞書を使う側としては、用がなくても引く、というか、読む、いや、逍遥して楽しむ、という「境地」にまで至ってはじめて、辞書好きと言えるのかもしれない。私はとてもそこまではいかないが、ふと気になった言葉を手元にある複数の小型国語辞典で引いてみて、それらの語釈や用例を比較しながら、時を忘れてもの思いに耽るということはよくある。その「無用」な時間は幸福な時間であるとさえ言ってもよい。