内的自己対話-川の畔のささめごと

日々考えていることをフランスから発信しています。自分の研究生活に関わる話題が多いですが、時に日常生活雑記も含まれます。

若きマックス・ヴェーバーにおけるエルザス体験の衝撃

2024-03-04 23:59:59 | 読游摘録

 二宮宏之氏の『マルク・ブロックを読む』の最終講第五講「生きられた歴史」には、一九四一年三月一八日の日付をもつブロックの「遺書」の全文訳が引用され、さらにその自筆の原文の写真版も見開き二頁に掲載され、それに続いて遺書の内容と歴史的背景についてまさに委曲を尽くした解説が三十頁あまりにわたって展開される。二宮氏のマルク・ブロックに対する深い理解と敬愛に満ちた名文章であり、本書の白眉だと思う。とても要約する気にはなれない。
 ただ、一点、触れておきたい。それは、ブロックがその遺書のなかで自分の先祖代々の故郷であるアルザスについてはまったく触れていないことに関わる。この点について、「まったく意識にのぼっていないのではないかとすら思えるほど」だと二宮氏は述べたうえで、「ブロックにとってこの問題が存在していないかいに見えるとすればそれはいったいなぜなのか」という問いを立て、それに対する自身の考察と答えを詳細に示している。
 その考察のなかには、アルザス地方の歴史的・文化的・政治的な特異性が丁寧に説明されている。その説明のなかで、アルザスの人たちの文化的アイデンティティと政治的アイデンティティのずれをどのように理解したよいのか、という問いについて、歴史社会学者の住谷一彦がマックス・ヴェーバーを引きながらおこなっている「たいへん示唆的な指摘」を紹介している。実際、それはとても示唆的なのでここに摘録しておきたい。
 後注によると、参照されているのは「「種族」「民族」「国民」」と題された論文で、川田順造・福井勝義編『民族とは何か』岩波書店、一九八八年に収録されていることがわかる(同書には、二宮氏の論文「ソシアビリテの歴史学と民族」も収録されている)。その書名を見て、この本、川田先生ご自身から他の編著・共著・単著と合わせて九年ほど前に日本からご恵送いただいていたことを思い出した。そこで同書を書棚から取り出し、住谷氏の当該論文を読んでみた。二宮氏は住谷氏の示唆的な指摘を的確に要約しているのだが、せっかく手元にあるのだから住谷氏の論文そのものから当該箇所を引用しよう。
 引用箇所は、ヴェーバーが十九歳のとき兵役義務を果たすべく、西南ドイツのシュトラスブルク(現ストラスブール-引用者注。以下括弧内はすべて引用者注)に赴いたときの経験を綴った家族への手紙を話題にしている箇所である。
 その手紙のなかでヴェーバーは、当時はドイツ領であったエルザス(現アルザス)地方で演習したときの体験についてこう記している。「エルザスの民衆がわれわれプロイセンの軍人とこれほど親しもうしたがらず、これほどわれわれに冷淡なあしらいをするのは本当に残念です」(マリアンヌ・ヴェーバー『マックス・ヴェーバー伝』からの引用)。
 この体験について住谷氏は次のように述べている。
 「ヴェーバーはテューリンゲン地方のエアフルトに生まれ、ベルリンで育ったから、西南ドイツの、しかもフランスとの間で領有をめぐって歴史的な確執のあったエルザス地方は、まさに「民族とは何か」ということについての開眼の第一歩であったといってよいであろう。強国ドイツの命運を担うプロイセン軍隊が何故エルザスというフランスとの枢要な国境地帯で、ほかならぬ同国人であるその住民から嫌われるのか、という疑問が彼の脳裡に焼きつけられたことは、まず間違いのないところである。」
 「ヴェーバーがその兵役時代に過ごしたエルザス地方は、たとえ強い訛りのエルザス方言を話しているといっても、やはり同じドイツ語をしゃべる同国人の住んでいる地域であった。同じ民族(フォルク)、同じ国民(ナツィオーン)、同じ国家(シュタート)の成員であるという共属感情を持つうえで、一般に血統意識とならんで重視されるのは言語の同一性である。ヴェーバーもその当時は、この点についてそれほど深く考えていたという気配は見られない。その意味でエルザス体験は、この問題領域への開眼の第一歩であった。」
 明日の記事では、この若き日のエルザス体験がヴェーバーにおける民族概念および国民概念の形成にどのように作用したかを住谷論文に沿って見ていく。