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二胡工房 光舜堂

二胡を愛する全ての人へ

二胡の形は、真似出来るのか?。

2011-12-03 12:16:23 | ■工房便り 総合 
私自身物を作ることで生活してきたわけですが、物を作りだすと言うのは、基本的に

考え方なのではないかと、最近私の周りの、美大出の人達を見ていて思います。

それともう一つは、好きと言うことでしょう。

食事をしたり、寝たりと言う生命維持に必要な事と同じくらいに、物を作りだすことが好きでなければ、やってはいけません。

どちらかと言うと、食べたり寝たりという事でエネルギーを補給したら、そのエネルギーの100%をその事につぎ込むくらいではないとやってはいけないかもしれません。

多分周りの人たちは大変でしょう、ね、ほぉさん。

と、二胡を作る話です。

二胡と言う物は既に、私の前に有りました。

全く新しいものを生み出すわけではないのです。

まず当然、真似から入ります。

真似から入って、完全に真似られるくらいになれば、これはすごいことです。

特に名人と言われる人たちの作った楽器をまねて作ると言うのは大変なことです。

形はできるでしょう。

そこは日本人ですから、(ジョージガオさんに言われました、日本人はまねて作るのは大変上手だ、その上もとのものより良いもの作りだす、頑張ってと、)私もそこそこの自信はあります。

確かに、私の知っている限りの世界の中でも、技術と言うことでは、特に木工と言うことでは、日本人の木工屋と言うのは、トップクラスでしょう、平均値が高いのです。

しかし、まねると言うのは,楽器の場合不可能に近いと思います。

パガニーニの楽器を預かって調整した人が、その楽器そっくりに作って、当然音も預かった楽器と、彼の作った贋作とを見せたところ、パガニーニが、解らなかったというエピソードは有ります。

そこまで行くともう神業でしょう。

二胡の場合問題は、皮でしょうね。木はまだできると思います。

皮でそっくりと言うのがあり得ないのです。

当然音も変わってきます。

まあそこまでの贋作ではないですが、誰誰の作ったと言われるほんとかなーーと言う物は二胡には沢山ありますね。

と、まねると言うことです。贋作とは違います。

その作る精神をまねると言うことでもありますし、その形を真似すると言うことでもあります。

伝統を受け継ぐと言う言い方もあるとは思いますが、時代によっては材料まで変わってきています、受け継ぐのは、その形でしょうか、その作り方でしょうか。

真似から入ると言うのは、もの作りとしては当然のことです。(他の仕事も同じということは承知していますよ)特に形を作ると言うことではまねると言うことが他の商売より人から見て分かりやすいのです。

誰が見ても比べられますから。

しかし時代が変わり材料も違うとしたら、まねると言うのはどんな所なのでしょうか?

ただただ形とその音色を真似出来るようになればよいということでもないと思います。

ひたすら良い楽器を作りだす、もの作りの姿勢だけが伝統として真似られて行けばよいのではないでしょうか。

二胡だけではなく、全てのもの作りとしてやってはいけない真似が有ります。

自分のまねです。

自分の今までで一番良かった作品のまねをしてはいけないのです。

これはとかく、人の陥りやすいところです。

ある程度自分も満足し、人様にもお褒めいただけるようになった時に。

真似する訳ではないと思っていても、ついつい手の慣れ、頭の慣れと言うのが有って、そして失敗を恐れると言うのが有って、自分の良い時のまねになりやすいのです。


楽器の場合、ある程度は形が決まってしまっています。

伝統と言うやつです。

当然です、使い勝手と言うのが有ります。

先日いらしたバイオリン作りの人も言っていました。

新しくしようとしても、それを弾いてくれる方たちが、すでに今までの形に慣れてしまっている、指板大きくすれば持ちにくいと言われるし、重くてもだめだし、なかなか新しいものを提供するというわけにはいかないのですよ、と。

二胡の場合、胴の形も内部の削りも、刃物の形が決まっていて、その形通りになってしまします。

ある程度量を作るのですから当然なのです。

使い勝手と言うのも有りますし、今までの楽器の慣れと言うのも有ります。

特に木の部分は、形状が決まってしまいます。刃物の形状が同じですから。

その形で鳴っていたのですから。

ところがこれが問題なのです。

いくら形は同じに削ったとしても、木は一枚一枚硬さが違います、木目も違います。

当然音色は変わります。それが良いところでもあります。

しかし必ずしも良い方に変わるだけではありません。

今までの作り方はこうだから、伝統だからと言ってすませて良いののでしょうか?

私などのように、他国の楽器を自分で仕上げなければいけないとしたら。

量を作ると言うことより、1台1台の質を追求するべきでしょう。

言うまでも無いと考える方も多いのでしょう。

問題は採算の事になります、お金の問題でもあります。

相手は、それこそ数十年の経験のある、日本より物価が10分の1以下の中国のものです。

まねをするにしても先ず材料から同じにしなければいけませんが、その材料費が既に中国の10倍はするのです。

当然人件費も違います。

中国製品のハンドメイドの高級品が、すでに四十万五十万で売られています。

安いものなら5万以内でも買えます。

それに匹敵しなおかつ同じくらいの値段にするというのも、真似をしなければいけないことの一つでしょうか。

店の維持費から工房の維持費、材料のストック、ケースや弓など、その仕入れそこに至るまでのイニシャルコスト考えてみると、、、これはまねできません。(かと言ってアパレルではあるあまいし、生産拠点を人件費の安いところにすれば安く売れると言う物でもありません)

と言うことも含んで、まねると言うことがいかに難しいか、、、、

でも二胡を買う人にとってはこんなことは、関係ありません。

日本で作っているから、この値段とは考えてはくれません。

これだけ鳴るから、この値段と考えるでしょう。

どこで作っても二胡は二胡、ですから。

そこで私の考えたのは、決定的に良いもの、弾いたとたんに、

ああ、これ良い。気持ちいい。と思ってもらえるもの。

うん!なかなか良く出来ていますね、ちゃんと弾きやすいし、二胡の音するし、そこそここの値段なら、と言う楽器は沢山ありますから、そのまねはできないと言うことです。

気持ちいい、これ欲しい!!と、空弦弾いた時に思ってもらえるものです。

全ての人にではないですよ、、、当然。

でもそこそこ弾ける人、ほんとの初心者。勿論プロにも。

これ欲しい、!気持ちいいと、思ってもらえれば、その楽器は凄く育つからでもあります。


或いは売れなくてもいいのです。

この楽器いつかは欲しいと言ってもらえれば、私の二胡作りは、やっと形になるのかもしれません。

次から、二胡の胴の構造屋棹の構造などの、かなりマニアックな話しになります。

絵だけ、見て飛ばし読みして下さい。(喜ぶ人がどれくらいいるか心配です)








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