と言う話をスタッフ達とした。(女性もいるが)
基本的に女性は、生まれてからそのまま、女。
男は、教育されて初めて男になる。
というような話。
美学の無いのは男ではない。
自分の生きざまを、こうと決めて生きていくのが男。
これは、代々、の家訓、
もう一つある、良い物作りになるには、美味しいもの食べて、自分に似合う物着て、良い女性と付き合う。
と言うのも有った。
出来たかどうか、自分ではわからないけど、物作りもそうだけれど、
音楽家もそうあるべきではないか。
当然、二胡弾きも。
物作りも音楽も、人に夢を届けるくらいになりたいし、
夢を届けるのが仕事。
二胡を弾いている一時、自分の感性を、音に載せて、人々を包み込む。
上手いとか下手ではない。音楽出来るか、音楽を作れるか。
それが仕事、
それには、美味いという感性を磨き、自分を装う衣装と言う物にも、感性をとどかせ、
日々付き合う人々も、感性の良い相手でありたい。
と言うのはとても大事なことではないだろうか。
昨晩、二胡は自由に演奏するもの、悲しいものは悲しく、楽しいものは楽しく、自分の出来る範囲の技術でも、なおどのように演奏するか考えていけばよいという話を聞いた。
劉継紅さんの話。
自分の心の声を演奏に載せよう、出来る技術で良いではないか、それに満足しなければ、さらに心を磨き、技術を磨けばよい。
心の声を音にしようと。
物作りも、二胡弾きも、皆同じ。
それには、心豊かに生きよう。
夢を自分の中に育てよう。
人を否定せず、状況を否定せず、
こうあらねばならない、かくあるベシとも言わず、
ひたすら自分の、夢とイメージを膨らませ、
ただただその事のみに、心、留めることこそ、
自己実現。
人は自己を他の人に認めてもらい初めて己を理解できる動物だとしたら、
ひたすら己を、豊かにする事こそ、物つくり、音楽するものの役割と言えないだろうか。
己の感性とイメージを大きくすれば、その中に入り込む人々が次第に増え、
まず、ひとりでも良い、10人でも良い、100人1000人万人と己の感性に人を巻き込み、イメージの共有が出来上がって初めて、自己充足する。
己の器の大きさ以上に己を望むのは、ただの貪り、
人の望みは、貪りで有ってはならないし、貪りこそ、夢を壊す事と知るべきではないか。
自己の範囲をしっかりと見極めることこそ、自己実現の一歩、
自らの出来る技術と感性を、今を踏みとどまって充足させてこそ、音楽になる。
人に真に理解されようと望むなら、
それだけの大きな夢、イメージを己の中に作りだす事のみを考えればよいのだろう。
劉継紅さんの二泉映月、30数人の心の隅々まで届いた。
音が、音楽が、空間をも人をも包み込んだ、
掠れ、飛び、翻り、揺れて、動いて響き渡る、
これこそ二胡の音。
基本的に女性は、生まれてからそのまま、女。
男は、教育されて初めて男になる。
というような話。
美学の無いのは男ではない。
自分の生きざまを、こうと決めて生きていくのが男。
これは、代々、の家訓、
もう一つある、良い物作りになるには、美味しいもの食べて、自分に似合う物着て、良い女性と付き合う。
と言うのも有った。
出来たかどうか、自分ではわからないけど、物作りもそうだけれど、
音楽家もそうあるべきではないか。
当然、二胡弾きも。
物作りも音楽も、人に夢を届けるくらいになりたいし、
夢を届けるのが仕事。
二胡を弾いている一時、自分の感性を、音に載せて、人々を包み込む。
上手いとか下手ではない。音楽出来るか、音楽を作れるか。
それが仕事、
それには、美味いという感性を磨き、自分を装う衣装と言う物にも、感性をとどかせ、
日々付き合う人々も、感性の良い相手でありたい。
と言うのはとても大事なことではないだろうか。
昨晩、二胡は自由に演奏するもの、悲しいものは悲しく、楽しいものは楽しく、自分の出来る範囲の技術でも、なおどのように演奏するか考えていけばよいという話を聞いた。
劉継紅さんの話。
自分の心の声を演奏に載せよう、出来る技術で良いではないか、それに満足しなければ、さらに心を磨き、技術を磨けばよい。
心の声を音にしようと。
物作りも、二胡弾きも、皆同じ。
それには、心豊かに生きよう。
夢を自分の中に育てよう。
人を否定せず、状況を否定せず、
こうあらねばならない、かくあるベシとも言わず、
ひたすら自分の、夢とイメージを膨らませ、
ただただその事のみに、心、留めることこそ、
自己実現。
人は自己を他の人に認めてもらい初めて己を理解できる動物だとしたら、
ひたすら己を、豊かにする事こそ、物つくり、音楽するものの役割と言えないだろうか。
己の感性とイメージを大きくすれば、その中に入り込む人々が次第に増え、
まず、ひとりでも良い、10人でも良い、100人1000人万人と己の感性に人を巻き込み、イメージの共有が出来上がって初めて、自己充足する。
己の器の大きさ以上に己を望むのは、ただの貪り、
人の望みは、貪りで有ってはならないし、貪りこそ、夢を壊す事と知るべきではないか。
自己の範囲をしっかりと見極めることこそ、自己実現の一歩、
自らの出来る技術と感性を、今を踏みとどまって充足させてこそ、音楽になる。
人に真に理解されようと望むなら、
それだけの大きな夢、イメージを己の中に作りだす事のみを考えればよいのだろう。
劉継紅さんの二泉映月、30数人の心の隅々まで届いた。
音が、音楽が、空間をも人をも包み込んだ、
掠れ、飛び、翻り、揺れて、動いて響き渡る、
これこそ二胡の音。
心に刻んで精進します。
私もしみました。
でなぜかよみながらパルヨさんの顔が浮かんだので、コメント入っててビックリしました^_^
うちらの年代女子にタメになる内容なのかしら。
最初から居たかったすなぁ。
ハルヨ姉さん。ぷーろんさん。?
でも爺の役割ですから、時々こんなこと書いてみようと思います。
うざったかったらごめんなさい。
説教ジジイにはなりたくないし、嫌だから、
でも、男は、というテーマは書きつずけなければいけないでしょうね、
こんな平和な、ある意味だるい時代ですから。
誰かが弾いているという感じではないですね。
ただひたすらおとが、音楽が聞こえているという感じ、
フっと木がつけば、劉先生がそこにいたというあの感じ、ほんとに皆に聞かせたかった。
一度ライブをやって欲しい